皆さん、16世紀にヴェローナの画家によって描かれた「スケッチを持つ少年」
現在ヴェローナのカステルヴェッキオ博物館収蔵作品をご存じでしょうか?
現在ヴェローナのカステルヴェッキオ博物館収蔵作品をご存じでしょうか?

作品は「ファンチュッロ・コン・ディゼーニョ・Fanciullo con disegno」
1523年作 板に油彩 62x48cm
1523年作 板に油彩 62x48cm
ルネッサンス期における、特異な唯一の作品ともいえるユーモラスな作品。
が、じっくり見ると、単に自分の描いたスケッチを持ち、嬉しく
見せびらかす、いたずら盛りの少年、というだけの画ではないのが見えてくる、
そんな、自分の子供を描いた、一般にはあまり知られていない画家の、
でも世界中に作品が収蔵されている、周辺のあれこれをどうぞ!
でも世界中に作品が収蔵されている、周辺のあれこれをどうぞ!
今回の記事の参考にしたのは、
スケッチを持つ少年の肖像:イタリアルネッサンスの歴史における唯一の絵画
Ritratto di fanciullo con disegno: un dipinto unico nella storia del Rinascimento Italiano
スケッチを持つ少年の肖像:イタリアルネッサンスの歴史における唯一の絵画
Ritratto di fanciullo con disegno: un dipinto unico nella storia del Rinascimento Italiano
と、各画家、作品についてはwikipediaのイタ版、日本版を参照に。
画家は父親ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロート・
Giovanni Francesco Caroto(1480-1555) 父48歳、少年は12歳頃と。
ヴェローナ生まれ、そしてヴェローナで没。
ヴェローナ生まれ、そしてヴェローナで没。
一家のオリジナルはベルガモ県のカラヴァッジョ・Caravaggio、
はい、あの有名な迫力ある画のカラヴァッジョ、本名ミケランジェロ・メリージの
出身地と同じですが、
彼の生まれる数年前にはヴェローナに住み、アディジェ河がぐっと湾曲し
半島の様になっている箇所を巡っての東側のオルガノ・Organo生まれ。
元の姓のバスキ・Baschiを、父親のピエトロがエルベ広場に店を所有していた
薬剤師で、その看板にCaro・カーロ、Charo・キャーロとあった為変えたと。
薬剤師で、その看板にCaro・カーロ、Charo・キャーロとあった為変えたと。
1508年の記録には、「ヴェローナに26年以上家族と共に住む、カラヴァッジョからの
故ピエトロ殿の(息子)、著名な画家」と記されているそうで。
故ピエトロ殿の(息子)、著名な画家」と記されているそうで。
こちらが中年になった、カロートの自画像と言われているもの。

ジョヴァンニ・カロートは、リヴェラーレ・ダ・ヴェローナ・
Liverale da Verona(1445-1530)画家、細密画家の元に弟子入りをし、

強い色の使い方、明るさと明るい色合いを組み合わせる能力を身につけたと。
こちらがリヴェラーレの作品、聖母と幼児、天使像
現在はブダペストの博物館に。

その後リヴェラーレの元を離れ、北イタリアの様々な土地への旅行で接触した
多様な芸術から様々の、大きな影響を受ける事に。
1500年代初頭にマントヴァに行き、ゴンザーガ家で働いていた
アンドレア・マンテーニャ・Andrea Mantegna(1431-1506)から多大な影響を
受けますが、
一方マンテーニャもヴェローナの教会サンタ・マリーア・イン・オルガノの
祭壇画の制作でヴェローナ滞在中にはリヴェラーレの工房に何度か訪問をしており、
祭壇画の制作でヴェローナ滞在中にはリヴェラーレの工房に何度か訪問をしており、
マンテーニャの素晴らしく美しい、S.M イン・オルガノの
「トゥリヴルツィオ祭壇画・Pala Trivulzio 1497年 287x214cm
現在はミラノ-スフォルツェスコ絵画館に。

カロートは、とりわけ強い感銘を受けたに違いないマンテーニャの元に、
そしてマントヴァに何度か通ったに違いないのですが、
彼はマンテーニャの工房には入らず、常に独立して働く事を好み、
絵のスタイルとしては折衷派、ともいうを維持。
絵のスタイルとしては折衷派、ともいうを維持。
そしてこの時期、カロートは最初の重要な作品依頼を受け、滞在した
カザーレ・モンフェッラート・Casale Monferratoで、
ロンバルディア派絵画への大きな関心を持つ事に。
カロートがカザーレ・モンフェッラートのサント・ステーファノ教会の為に描いた
大変美しい サン・セバスティアーノ・San Sebastiano.

そして州都ミラノのコスモポリタンな環境の中で、ミラノで常に非常に人気のある
レオナルド派の画家、とりわけベルナルディーノ・ルイーニ・Bernardino Luiniの
作品と、フランダースの画家の芸術にも触れたのですね。
レオナルド派の画家、とりわけベルナルディーノ・ルイーニ・Bernardino Luiniの
作品と、フランダースの画家の芸術にも触れたのですね。
ベルナルディーノ・ルイーニ(1480,82-1532)はレオナルド・ダ・ヴィンチの
強い影響を受け、結果として彼の作品の多くがレオナルドの作品と見られてきた程で、
ルイーニ 「バラ園の聖母」 1516,7年 63x70cm ミラノ・ブレラ美術館

こういったルイーニの作品を見ると、かってはレオナルドの作品と見做されたのも
無理ないだろうなぁと。
無理ないだろうなぁと。
後程またルイーニの作品と、カロートの作品との繋がりを。
カロートはダ・モンテフェッラート家のグリエルモ9世の長男(カロートのパトロン)
の肖像画、侯爵夫人の侍女の肖像なども描き、その美しさでも評判となったそう。
「画家偉人伝」を残したヴァザーリのカロート評は、夢想家で、風変わり、
冗談が好き、と書いているそうですが、
冗談が好き、と書いているそうですが、
その人物評が、よく当たっている、というべき作品が、今回取り上げた
「スケッチを持つ少年像」ですよね。
「スケッチを持つ少年像」ですよね。

長めの赤毛、10~12歳の少年が、多分カロートの息子ベルナルディーノが
如何にもいたずらっ子らしい、得意げな笑いを浮かべこちらを見つめ、
描いたスケッチを見せていて、
如何にもいたずらっ子らしい、得意げな笑いを浮かべこちらを見つめ、
描いたスケッチを見せていて、
こちらにスケッチがよく見える様、ちょっと余分を切って見ました。
いたずら描きにしては結構きちんと体の大きさなど描いていますし、ははは、
それに、どうやらこの少年が使った紙は、画家の父親のちょっとした覚書か
それに、どうやらこの少年が使った紙は、画家の父親のちょっとした覚書か
何かから抜き取ったものか、

ダ・ヴィンチの解剖学研究に非常に似ている、
人間の目の横からの研究かもが、描かれた人間の左膝の横に見えます。
人間の目の横からの研究かもが、描かれた人間の左膝の横に見えます。
画家は息子のいたずらの、この遊び心のある無邪気な瞬間を切りとり
画いた事で、この日常の一コマを、少年の笑顔を、永遠に止めたのですね。
画いた事で、この日常の一コマを、少年の笑顔を、永遠に止めたのですね。
上に、ベルナルディーノ・ルイーニと、カロートとの繋がり、と書きましたが、
実は今回この記事を読み、調べて見つけたルイーノの絵を、
「幼児とスケッチ・Puttino con disegno」という、1500~32の作品と。
「幼児とスケッチ・Puttino con disegno」という、1500~32の作品と。

となると、ルイーニの幼児の遊ぶ姿の方が少し早く、
カロータはどこかでこの絵を見たのかも、という想像もつきますが、
でも、いたずら盛りの、あの得意そうな満面の笑顔は、
やはりカロートの冗談好きな、そしてちょっと他の画家とは一線を画していた
彼独特の目線と腕が捉えたものなのでしょう!
で、この絵は実は覚えておいでか、2015年にヴェローナのカステルヴェッキオ
博物館から盗まれ、他の作品と共に、ウクライナのキエフに、きゃ、持ち込まれ、
でも無事、2016年初めに回収。
今も、ヴェローナ博物館にお出かけの方々に、いたずらっ子が微笑みを!!
次回のチャンスにはぜひお目を止めて下さいね!
カステルヴェッキオのご案内 絵画については n.3 に。
n.1 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ
n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ
ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートは、75歳の生涯を生き、生まれた町
ヴェローナのオルガノのサンタ・マリーア教会のサン・ニコロ礼拝堂に、
弟ジョヴァンニと並んで休息。
ヴェローナのオルガノのサンタ・マリーア教会のサン・ニコロ礼拝堂に、
弟ジョヴァンニと並んで休息。
ヴァザーリがいみじくも書いている様に、「彼は自分の絵で装飾した」というのも、
1540年頃、この教会の中央身廊の北側に、旧約聖書のモチーフをフレスコ画で
描いているのだそうで!
描いているのだそうで!

下側に3つある円形の真ん中は、オリヴェターノ会の僧、とあり、
カロートの最初の師、リヴェラーレ・ダ・ヴェローナの師がオリヴェート会、
カロートの最初の師、リヴェラーレ・ダ・ヴェローナの師がオリヴェート会、
シエナ県にある、モンテ・オリヴェートマッジョーレ修道院の僧だったそうで、
つまりカロートが孫弟子となる、その縁で描きこまれたのだろうと。
モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院 ・ トスカーナ・キュズーレ
https://www.italiashiho.site/archives/20190718-1.html
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この記事へのコメント
シニョレッリ
カロートは、一般にはあまり知られてない画家なんですか。
美術館や教会巡りをすれば、カロートは比較的馴染みがある画家の一人であり、美術史上重要な画家というのが良くわかると思うのですが。
件の作品が盗難に遭ったという報道に接した時、もう二度と見ることが出来ないのだ、と思い悲しくなりました。盗難後、心配になってカステルヴェッキオ美術館に行きましたが、作品が無いにも拘らず、何故急いで行ったのか、今となっては非常に不思議な行動でした。
shinkai
ああ、カロートが「一般にはあまり知られていない」と書いたのは、普通の方が画家や他の芸術家たちを知るには、展覧会が日本で開かれるとか、一般のTV番組、雑誌での報道があって知る、という事だろうと思うのと、
シニョレッリさんの様に、あちこちの美術・博物館、教会巡りを何度も!!され、美術史も深く勉強される、という事ではないと思いますし、
今回の記事も、珍しく見つけたので「あった、あった!」と取り上げたのでした。
はい、あの盗難事件の時は、私も余りにも簡単に盗まれがっくりしたのと、イタリアの防犯の甘さにも驚くと共に、もう出てこない、とがっくりでしたが、
意外にもじきに発見され、無事に戻ったのは、殆ど奇跡に近いなぁ、と喜んだのでした。
シニョレッリさんが盗難後すぐに博物館に行かれた、という事からも、あの作品がとてもお好きだったのがよく分かります。
半ばお別れの気持ちと、諦めきれない気持ち、とだったのでしょうね。
本当に無事戻って良かったです!
金子友子