・ ヘミングウェイ 「武器よさらば」 に関する映画3本 のあれこれ

アーネスト・ヘミングウェイ・Ernest Hemingway(1899-1961)
1929年に出版の「武器よさらば」はよくご存じと思います。

今回はたまたま最近に2本の映画を見、背後に映る場所の特定が
shinkaiにも容易に出来た事があり!

そしてそれが余りにもよく知っている家の近所!となると、
映画の筋とははずれて大変に気になり・・!

という事を含めての今回ですので、ゆる~くお付き合い下さいませませ!


作品の映画化は2度されており、パッと頭に浮かぶのは1957年
ロック・ハドソン、ジェニファー・ジョーンズ、
ヴィットリオ・デ・シーカ主演の作品で、

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実はつい先日TV放映されたのを何十年か振りに見ることが出来、
懐かしく、以前の記憶の朧だったのがかなり鮮明によみがえりました。

まず冒頭に出てくる、赤十字の救護車のボランティア、フレデリックの
駐屯所がある、とされる背後に映る景色を眺め、

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あれっ、これ、フリウリのヴェンゾーネ・Venzoneじゃん!



という発見の驚きと、映画が始まっての「カポレットの戦い」での
イタリア軍兵士の描かれ方、退却、凄さにも魅せられたのでした。

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こちらに「カポレットの戦い、退却」部のYoutubeが
https://www.youtube.com/watch?v=zjK29WC2H5Y


ヴェンゾーネ ・ 2017年イタリアで一番美しい村、 古い写真で
https://www.italiashiho.site/article/455703342.html



ともう1本、暫く前にこれもTV放映で見た、こちらは「武器よさらば」の
作品イメージの元となったと言われる、

ヘミングウェイがヴェネト州のピアーヴェ河の河岸の戦いで爆撃の
破片を受け怪我をし、ミラノのアメリカ軍赤十字病院に入院中に
恋に落ちた看護婦、
キャサリン・バークレイ、という女性との恋愛で描かれた、

という1本、「ラブ・アンド・ウォー」日本語版タイトル、1996年の映画
こちらはサンドラ・ブロック、クリス・オドンネル主演の、

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ヘミングウェイと赤十字看護婦アグネス・フォン・クロウスキーの
実際の恋愛事情を描いたもの、という事になっておりますがぁぁ、

映画背景に映る風景がヴィットリオ・ヴェネトで、はぁ、どしどし映る
兵士たちの出陣行進、病院のある場所、風景、病院テラスからの
眺めが隣町ヴィットリオ・ヴェネト!!

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まぁ、映画の筋、ミラノの病院である筈が、なんとヴィットリオ・
ヴェネトの風景となると、shinkaiの頭の中はわやくちゃに。

なにせ我が家から6km北にある、古い町並みが大好きな場所でもあり、
裏通りから、町並みからよぉ~く知っているので、
場面を見ては、あっ、あそこだ、と思う気持ちの方が強く・・!

ヴィットリオ・ヴェネトの旧中心地はホントに小さく、余り改装されず
そのまま残っているので、映画の背景にも良かったのでしょうが、
逆に町のイメージから離れられずで。

自分に、いや、これは「武器よさらば」ではなく、実際の彼らの恋愛事情
を描いたものなんだよと、言い聞かせる始末でしたが、ははは、


唯一、病室のテラスからの眺めで、左手に鐘楼が写り、奥に町並みが
見えるテラス、というのがどこだろ?とあれこれ推理したのでしたが、

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ああ、あそこだったか、と納得を。 と共に、映像で見せる
風景の力に驚嘆もしたのでした。

この鐘楼の横の教会に、ティツィアーノの描いた祭壇画があり。


ヴィットリオ・ヴェネト ・ 町と四季と
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847585.html

ヴェネトの北は、冬景色 ・ 近くの村々を一回り
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462253137.html

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170405-1.html



ネット検索で、イタリア映画に関する、映画の背景に映る
実際の風景はここで撮影された、と実地検証の奇特なブログがあり!

のどちらも見つかり、写真を拝借致しました。


と共に、上のサイトによりこの湖の場所も特定でき、精神安定。

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こんなバッサーノ・デル・グラッパの橋も登場し、

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バッサーノ・デル・グラッパ ・ ヤコポ展を見かたがた
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467387278.html



ヴェネツィアもちょこっと登場しましたね。

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実際、ミラノの病院でヘミングウェイを看病した7歳年上の看護婦
アグネス・フォン・クロウスキーは、
ヘミングウェイと戦争が終わりアメリカに戻ったら結婚しよう、という
約束を交わし、

彼は退院後バッサーノ・デル・グラッパの戦場に戻り、
動員解除後1919年2月21日にアメリカに戻ります。

が、1919年3月7日付けの彼女からの手紙で、イタリア人将校と婚約
したという、結婚約束ほごの手紙が届いたのでしたが、

映画の中で、婚約者がかなり裕福な家の男性の様で、
ヴェネツィアの邸宅に招かれ、という場面があったのでした。


あれこれ検索して分かったのは、ドメニコ・カラッチョロという
ナポリ貴族の男性で、

アグネスもイタリア男性に熱心に口説かれ、彼が裕福な事にも、
ヘミングウェイの様な将来不安な若者よりもと心が動いたのかもですが、
結局結婚せず、彼女も暫く後にアメリカに戻るのですね。



そしてどうしたか、というより映画の中でどうなったか、なのですが、

彼は一家の持ち家の湖の傍の小屋に引きこもり、書いている、所に
訪ねて行くのですが、彼は冷たく受け付けず、

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彼女の独白「一度傷ついた誇り高い心は・・」という事で1人去り行く
場面で終わるのですが、(自分の)「愛は永遠に」と。



ですが、一度イタリアで終戦後に会い、結婚を約束しつつ分かれた時
以来、アグネスの手紙も勿論後に届いた事もあり、
2人は一度も再会しておらず、が確かな様子。

アグネスはその後赤十字の仕事に戻った後、かなりの時を置き
生涯に2度結婚しています。


と、ヘミングウェイが亡くなった後、彼の弟、作家のレスターが、
「私の兄 アーネスト・ヘミングウェイ」という著書を出す前に、
彼女に会い、インターヴューをしており、

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彼女の若い頃の写真も見たりだった様子ですが、
その弟に、2人の関係はプラトニックだった、と語っているそう。


映画の中では、彼女は率直熱心にぐいぐい押すタイプのヘミングウェイに
対し、大人になりなさい、とか、クッチョロ・子犬、とか呼んでいるのですが、
恋人関係になっていた、という場面があり、

それの違いについて、あれこれ考えましたが、
まぁね、他人の恋愛関係について考えても始まらんよね、と、ははは。


ただ、図書館司書として働いていたアグネスが、看護学校に通って後に
このミラノの赤十字病院で初めて看護婦として働き、
その時の多分最初の患者だったと思われるヘミングウェイとの出会いで、

ヘミングウェイの戦場での怪我の様子はこちらに書きましたので
ご覧頂けると有難いですが、

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170410-1.html

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170409-1.html

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今回あれこれ読んでも少し詳細が分かった事を書き加えますと、

1918年7月8日から9日の夜ヴェネト州のフォッサルタ・デル・ピアーヴェで
手りゅう弾の合計237の破片で負傷、機関銃の弾丸が右足と膝蓋骨を貫通、
という怪我を負った彼は、

それでも先に怪我をしていた兵士を援ける為に肩に担いでいたのが、
無意識のうちに盾として、ヘミングウェイに向けられた弾丸を避ける事に。

サン・マリーノ共和国のヴォランティアの野戦病院で慎重な治療を受け、
後漸く15日になり医業用ワゴンで運ばれ、17日にミラノに到着。


アルモラーリ通り 4・via Armorari 4. この建物の4階が当時
アメリカ赤十字軍が臨時に緊急病院を開設した所で、
ここに緊急手術を必要、という事で運び込まれたのだそう。


現在この建物に、ヘミングウェイが収容された事、その経験が
「武器よさらば」に描かれている、という碑が。

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で、アルモラーリ通り4番、とはどこにあるかと検索しましたら、
なんとミラノのドゥオーモからほんの近くで、驚き!

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うん、こうなるとshinkaiの、ヴィットリオ・ヴェネトのあそこに病院、という
映画設定を、印象の余りの違いに驚いた、というのもお分かりですねぇ?!
あの当時のミラノは80万人の住民だったそうですが、それでもねぇ、ははは。



ただ映画の中に大変興味深い場面があり、それは運び込まれた
ヘミングウェイの足が壊疽の匂いを発散しており、
軍医は即、翌日朝に脚切断の手術を、と決めたのだそう。

若者を可愛そうに思ったアグネスは、20分毎に一晩中、消毒を続け、
翌朝壊疽の匂いが消えていたので、脚の切断手術は中止されたと。

これは今回初めて知った事で、そんな看護婦の手厚い看護に
若いヘミングウェイは尚のこと恋心を募らせたのかも、と思ったのでした。


ミラノの病院に3カ月間入院のヘミングウェイの写真はたくさん残っており、
勿論アグネスのも。

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右から2人め、そして4人めが彼ら2人。

晴れやかな笑顔で笑っている2人の若さ漲る顔に、
そうよね、戦時中とはいえ、未来がいっぱいだったのよね。



そして最後は、「武器よさらば」の映画化最初のもの、
1932年 主演ゲーリー・クーパー、ヘレン・ヘイズ. と読み、

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あれっ、私このDVD持ってるやん、と遅まきに気が付いたshinkai、ははは。
まだ再見してませんが、近日中に。

お話の筋は、本と大筋替わりませんが、

1932年という2度の世界戦争の間に挟まれた当時であり、
検閲では、当時の道徳観から、中尉と看護婦の結婚なしの関係、
そして軍からの脱走など、危険とみなされた状況で、

それにより、映画の主題に幾らかの変更を加える必要があり、
よりロマンチックになった、という様な説明を読みました。
まさにね。



こうして改めて振り返ると、第一次大戦のイタリア戦線にやって来て、
18,19歳の若さで戦争の極場面に実際に接し、カポレットの敗戦の
様子もあれこれ聞いたでしょうし、自分の若い心のロマンスもあり、

そんなこんなを10年間自分の心の中で見つめ直し、煮詰め、
「武器よさらば」を書きあげたヘミングウェイ。

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見る目を、聞く耳を持ってのイタリアでの経験だったでしょうが、
やはり凄い作家だったのだと、改めて感じたという、今回の徒然でした。


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