・ ロバート・キャパ と ゲルダ・タロー  2人のカメラマンの写真と愛

皆さんは勿論「偉大な写真家」、とりわけ20世紀のスペイン内戦や、
第2次大戦での連合軍のノルマンディ上陸作戦時における
ロバート・キャパの写真」の評価を、実の写真をご存じと思います。

が、そのキャパの「写真家としての世界的デヴュー」の背後に
1人の女性の存在があり、
彼女もまた素晴らしいカメラマンであったことはご存じでしょうか?

1-Gerda-Taro-e-Robert-Capa_GF.jpg

いぇ、私めは彼女の存在をまるで知りませんで、はぁ、例の如く!
また彼女の撮ったスペイン内戦下の写真を今回初めて見ました。


そして最初に2人の事を知ったサイト記事が短かったもので、

ロバート・キャパ:偉大な写真家の登場とゲルダ・タローへの愛
Robert Capa: l’esordio di un grande fotografo e l’amore per Gerda Taro


もっと知るためにあれこれ読み、今迄キャパの写真とばかり思っていた

スペイン内戦時の「崩れ落ちる兵士」 1936年 の写真が、

2-Morte-di-un-miliziano-5-septembre-1936-Robert-Capa_GF.jpg

どうやらキャパの同志であり、恋人であったゲルダ・タローの撮ったもの、
という事も知りましたが、

これについてはウィキペディア日本版「崩れ落ちる兵士」に詳細が
ありますので、ご覧下さいね。


ロバート・キャパ・Robert Capaの名で知られる、本名エンドレ・フリーマン・
Endre Friedmann (1913-1954) ハンガリー・ブタペスト生まれ

そして彼女ゲルダ・タロー・Gerda Taroは、本名ゲルダ・ポホリル・
Gerda Pohorylle(1910-1937) ドイツ・シュトゥットガルト生まれ

2人ともユダヤ人で、祖国を去り、パリで1935年に知り合います。


ロバート・キャパという仮名はゲルダが考えたもので、アメリカ人の有名な
お金持ちの写真家という触れ込みで、写真の売り込みに使い、

またゲルダ・タローのタローは、パリで知り合っていた岡本太郎からと。


いずれにしても、彼女はビジネス・スクールで学んでおり、
そんな事からも社会の回り、経済的な問題にも敏かったのだろうと思い、

そしてその偽名が、戦場における反ファシズムの写真発表でも
ナチス当局の逮捕を逃れたのだろう、というのも読み、成程と。


ロバート・キャパの写真は有名すぎる程で、あちこちで見れますので、
今回は、ゲルダ・タローの短い生涯と、彼女が見た戦場を、
彼女の目を通した写真を交えてご覧頂きますね。


”ゲルダ・タロー 昨日、今日 そして明日”
“Gerda Taro – Ieri, oggi e domani”

ゲルダ・タロー、ロバート・キャパの陰で生きた人生
Gerda Taro, una vita vissuta all’ombra di Robert Capa

写真界のジャンヌ・ダルク:ゲルダ・タロー
La Giovanna d'Arco della Fotografia: Gerda Taro


1933年にパリに逃げたゲルダは、最初は精神分析医のルネ・スピッツの
秘書として働き、

じきにエンドレ・フリーマンと知り合い、個人的な助手となり、彼に教えて
貰いつつ写真を撮り始め、共通の価値観、両方ともユダヤ人という事も
多分2人を近づけ、恋に落ち、公私とものパートナーとなり、

3-Gerda-Taro_GF.jpg

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1935年 彼女はアリアンス・フォトで写真編集者として働き始め、

1936年アムステルダムに拠点を置く写真代理店ABC プレス・サーヴィスから
最初のプレス・パスを得ます。

1936年春に、2人は「ロバート・キャパ」なる人物を発明、
ゲルダ・タローの名で、エンドレの写真を発表し始め、

1936年7月17日スペイン内戦が勃発、8月2人は取材の為バルセロナに。

共和党の兵士たちは、彼女の細さ、金髪、敏捷性から
ラ・ペケーニャ・ルビア・小さな金髪」というニックネームを。

共和国兵士達 ゲルダ

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これはキャパの撮った彼女。 何とも愛しい若い彼女!

6-GerdaTaro_PhotoRobertCapa_GF.jpg


「2人のカメラマンがやって来た。 彼らの唯一の武器はカメラだ。 
2人ともハンサムは恋人同士だった。 男性の名前はロバート・キャパ、
女性の名前はゲルダ・タローだった。 彼の目は、危険への愛と
不滅の感覚の煌めきで輝いていた」


バルセロナの外、海岸での共和女性兵士の訓練 1936年8月 ゲルダ

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バルセロナ、1936年8月

8-2--gerda-taro- Barcellona, Agosto 1936_GF.jpg

8-3--GerdaTaro_Bambini_barricata Barcellona, Agosto 1936_GF.jpg


彼女の目線がどこを見ているか、よく分かりますね。


そして1936年9月5日 2人が共和国民兵のグループを撮影している時、
キャパは彼の最も有名な写真の一枚「倒れる兵士」を撮影。

2-Morte-di-un-miliziano-5-septembre-1936-Robert-Capa_GF.jpg


ですが、これは上記した様に、ゲルダがローライ・フレックスで撮った写真を、
キャパの使っていたライカでの写真の様に、小さめに切り取ったもの、
という事が検証されたことが、ウィキペディアの記事で分かります。

ゲルダはキャパの写真を発表する手伝いをしており、恋人でもあったので、
同じ現場で、断然完璧に撮れた自分の写真を、彼の名に譲ったのでしょうが、

余りにもその写真が有名になりすぎ、おまけに彼女が有名になる前に
亡くなり、結局明らかにしないままに両者とも亡くなった、という事と。

撃ち倒された、という説明にも、どこにもそれらしい損傷が見えないなぁ、
と私めも思っておりましたが、
そんな事からも、長年の写真界の疑問として残っていた様子です。


こうしてスペイン内戦の戦場のあちこちと、パリを往復しつつ、
2人で、また彼女のみでスペインに残り撮影を続ける内、

1937年2月 戦艦ハイメ I の艦上にて スペイン・アメーリア

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1937年6月 マドリッドの路上にて、盲目の音楽家

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1937年3月になると、キャパとの共同の仕事以外の自分の作品には、
FOTO TARO と刻印を始めます。

つまりこの変化は、彼女が彼から独立しつつあることを示し、
彼女の作品は定期的に、様々な雑誌、新聞に掲載されるようになり、
4月にはムッソリーニの軍に対する共和国軍側の勝利をカバーした、
最初の主要なルポルタージュの作成も。


こうして彼女の写真は、スペイン内戦を撮りつつ成熟して行き、
戦争中に生きている人々、人間に目が向けられているのが分かります。

ゲルダはそれまで使っていたカメラをローライ・フレックスではなく、
機敏でコンパクトなライカに、1937年から切り替えており、
写真もよりドラマチックで、高いレベルに達しているそう。

1937年2月 マラガから避難してきた人々

15-_taro_gerda_2010_40_11_GF.jpg



1937年5月 空襲後の死体安置所の外の人々

12-GerdaTaro_MaletaMexicana_Folla raid aereo  Spagna, Valencia, Maggio, 1937_GF.jpg



1937年5月1日 2人がパリに戻った時のメーデーで、
ゲルダがスズランを買っている様子を撮り、

13-Gerda-compra-dei-mughetti-Parigi-1-maggio1937-foto-di-Robert-Capa_GF.jpg

この写真は彼女の死の1年後、キャパは彼女の写真を集め、
ゲルダに捧げた「Teath in the Making・進行中の死」
の奉納に使われたそう。



この後2人は別々にそれぞれの仕事でスペインに戻り、6月またセゴヴィアで
合い、写真と映像を撮影したり、ここではとてもご紹介出来ない程の日程で、
2人は戦場を駆け回っての撮影を。

1937年6月 アルメーナから避難してきた赤ちゃん

14-taro_gerda Bambino rifugiato” Spagna, Almeria, Febbraio, Giugno 1937_GF.jpg


7月にパリに戻った彼女は、キャパと一緒にフランス革命記念日を祝い、
短い数日の休暇後マドリッドに戻り、


テッド・アラン・Ted Allan、カメラマン仲間と、ビジャヌエバ・デ・ラ・
カニャダとブルネテの間の戦場に向かい、

パリに戻る予定の前日7月25日、2人はパニックに陥った退却軍の
真っ只中にいる事に気づき、

負傷兵を運ぶオープン・カーを見つけ同乗しようとステップに足をかけた時、
共和国軍の暴走した戦車が車の側面に衝突、2人とも振り落とされ、

ゲルダは、多分テッド・アランも、戦車に轢かれ、大重傷を。

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即エル・エスコリアルの第35師団野戦病院で手術を受けますが、
翌朝早く、26歳の若すぎる死を。

ゲルダの死はフランスのマスコミで広く報道され、Ce Soir 紙は
彼女のために作成した特別版で、

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「彼女は天才であり、美しく、聖人であり、共産主義の英雄であり、
その死はすべてのファシストに語りかけました。彼女はジャンヌ・ダルクでした」

ゲルダは戦場で死亡した、最初の女性報道カメラマンだったと。



キャパの撮ったゲルダ、爆撃の穴の前と。

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ゲルダの言葉。
「私は岩山に囲まれたアラゴンの前の丘の頂上にいます。
敵が支配している村から 2 km 離れています。敵はほとんど見えません。
機関銃の音が聞こえ、1 機か 2 機の戦闘機が飛んでいます。
時々遠くから銃声が聞こえ、太陽が燃え、
「病気になりそうです。ほとんど食べられず、ほとんど仕事もできません。
何もすることがなく、私たちは一日中ここをさまよっています。」



撮った写真、死を写した写真が広く配布される喜びと共に、
その間を埋める寂寞感、待つ辛さ、多分生と死も混沌とし、
そして強い恐怖と共に、麻薬にも似た陶酔感ももたらす・・、
戦争従軍記者、カメラマンの様子を見たり、読んだりしての感想は、
多分そうではないかな、と。 一度知ると逃げられない、とも。


今回初めて知った女性ですが、優れていたからこその苦しみも大きかったろう、
と思った事でした。 ご冥福を!


ロバート・キャパのその後の活躍はご存じの通り、第2次大戦の
連合軍ノルマンディへの上陸の際の有名な写真もあり、

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でもshinkaiには、シチーリアに上陸したアメリカ兵に、農民が、
ドイツ兵の通った道を教えている、というこの写真が好きなのです。

19-par76829-teaser-story-big_GF.jpg



平和時の著名人の写真、そしてベトナムで地雷を踏んでの死まで、
常に活躍したカメラマン。

最後は、ゲルダの撮った1937年のキャパを。

20-RobertCapabyGerdaTaro 1936_GF.jpg


たくさんの素晴らしい非常時の写真を有難うございました!



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この記事へのコメント

  • corsa

    Shinkaiさん
    キャパの記事、ありがとうございます。彼の著書、「ちょっとピンボケ」は、とすると、読まれていないでしょうか?イタリア語タイトルは、分かりませんけれども。
    多分学生の頃に読みまして、キャパのこと、そしてマグナムや戦争写真家のことがとても気になっていた時期があります。写真家の方は、切り取るセンスがあるからか、文もうまい方が多いように思います。
    2022年11月03日 00:57
  • shinkai

    ★corsaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

    はい、でもね、今回はキャパの今迄知らなかった恋人を知ったので、そっちが重点になり、キャパの事はちょっぴりのみになりました。

    コルサさんは、ゲルダの事、ご存じでした?!

    キャパの事、写真は、ずっと若い日に結構熱心に読んだり見たりしたのですが、
    はい、「ちょっとピンボケ」も本を持っていて、間違いなくこちらにも持って来ている筈なのですが、今、奥の本棚が狭い暗い場所で、ごちゃごちゃになっており・・! 探せずなんです。

    あれは若い日には嵌りますねぇ。 読み返してみようと思います。
    きっと当時よりも分かる部分が多い筈と思うのですが。

    写真も強烈に覚えている物があり、トム・ハンクスの「プライベート・ライアン」の中のシーンを見ながら、共通の印象をかなり受けた記憶がありましたっけ。

    「ちょっとピンボケ」のイタリア語タイトルは「Leggermente fuori fuoco」だそうで、全世界共通のタイトルですね。

    マグナム、というのが思い出せません。 なんだろ? また調べてみます。

    2人の出会いや、それ以降の進み方、ゲルダの写真への取り組み方を読んでいて思ったのは、きっと2人ともとても頭がよく、自分の狙い、自分、を的確に知っていたのだろう、と思ったのでした。

    あの2人以外にも戦争写真家、とか、有名なカメラマンの本を読んでもやはり同様に思うので、
    写真の様に一瞬に構図やフレームを決めるには、やはりね、と思った事でした。




    2022年11月03日 16:31
  • corsa

    はい、ご存じでした、笑。
    ちょっとピンボケの中のピンキーがそうなのかなぁとか、青臭く、彼らの愛の形にあこがれたような記憶もあります。
    二冊文庫本を持っているはずですが、見当たらなかったのが、先日こんなところに!というところから出て来ました。今は読み返したくない時期ですが、そのうちまた、読みたくなるかもね。そういうのってありますよね。
    2022年11月22日 00:02
  • shinkai

    ★corsaさん、 こんにちは! へへ、済みません、お返事を書くの、急がずで良いと思ったまま、コロッと忘れておりました。

    そうですねぇ、彼ら2人の関係は、若い頃には理想でもあり、でもなかなか自分では出来ない、というのも、
    日本の状態もそうでないし、自分自身の状態も、経済、心理的にも、出来なかったんだろう、と今になると分かります。

    今こちらに長く住んで後、漸くにあれこれ、分かって来る事もあり、
    出来なかった事も懐かしく、逆に年と共に出来たと思える事もあり、
    イタリアに住めて良かった、と思っています。

    持ってきた本も、じゃりン子チエも、ははは、ほんとは全部スキャンして、自炊本にしたい、と思いつつ、ここも今はなかなかなんで~す。

    でもね、
    2022年11月25日 16:52