寒くなると、温かくて甘~いココアが、本当に嬉しい飲み物に
なりますよね?!
なりますよね?!
今日はその「ココア・カカオ豆」が16世紀最初にコロンブスにより
ヨーロッパに運ばれた後、じわじわと広がりを見せ、
17世紀後半から18世紀にかけ、一般庶民に迄広がった様子を。
ヨーロッパに運ばれた後、じわじわと広がりを見せ、
17世紀後半から18世紀にかけ、一般庶民に迄広がった様子を。

タイトルは「チョコレート」となっておりますが、日本で使われる言葉の
飲み物の「ココア」は同じ「チョコレート」、伊語でチョッコラータ・
飲み物の「ココア」は同じ「チョコレート」、伊語でチョッコラータ・
cioccolataと呼ばれるので、タイトルがそうなっている事をお断りし、
こちらは素晴らしく詳細に、古代からの歴史を綴っておりますので、
興味をお持ちの方、ぜひどうぞ。
ディスプレイ上でクリックされると、日本語訳で読めますです。
興味をお持ちの方、ぜひどうぞ。
ディスプレイ上でクリックされると、日本語訳で読めますです。
では、
1502年4月初旬、クリストファー・コロンブスはインドへの道を探求する為、
遂に4度目の新世界への航海に出航を。
遂に4度目の新世界への航海に出航を。

そして遂に3か月後に、ホンジュラス沖のグアナハ島・Guanajaに上陸した時、
彼は原住民からの贈り物として、数個のカカオ豆を受け取ったのですね。

が、コロンブスはそれらの奇妙な果物を重要視せず、が、スペインに戻る時に
持ち帰り、それをカトリック両王にご披露を。
持ち帰り、それをカトリック両王にご披露を。
カトリック両王・アラゴン王フェルナンド2世と、カスティーリア女王
イサベル1世. 両王は1469年に結婚、スペイン王国が成立。
2人の出資で、コロンブスは新世界の発見を。
という事で、当時は浸透しなかったこのカカオ豆が、後の1世紀余りに
ヨーロッパ全土にチョコレートが普及し、マドリッドはその中心地と
ヨーロッパ全土にチョコレートが普及し、マドリッドはその中心地と
なったという貴重な食べ物を旧大陸に紹介した
最初の人物がコロンブスでした。
そして当時は飲み物だったカカオ豆、偉大なマヤとアステカ文明で
好まれた飲み物を、誰が初めてスペイン宮廷に持ち込んだのかは
分かっておりませんが、
カカオ豆とその消費の古代史における最初の痕跡は、
マドリッドのアメリカ博物館・Museo de Américaに保存されている、
マヤ語のテキスト、所謂マドリッド・コード・Codice Tudela, Madrid
に見られ、

カカオ豆を挽いた後、アステカ人はスパイスとコーン・ミールを加え、
こうして得られた粉末に冷水を注ぎかき混ぜ、泡を作った、と。
こうして得られた粉末に冷水を注ぎかき混ぜ、泡を作った、と。
メソ・アメリカ・メキシコ及び中央アメリカ北西部地域、マヤ、
テオティワカン、アステカ等の硬度文明が繁栄した文化領域、
の人々の文化では、
カカオには精神的、宗教的な意味がたくさん含まれ、
カカオの木は神聖なものだったそうで、
カカオの木は神聖なものだったそうで、


実際アステカ人は、知恵の神であるケツァルコアトル・Quetzalcoatlが
人間に知恵を与え、疲労を和らげる為に提供した贈り物、と考えていたと。
人間に知恵を与え、疲労を和らげる為に提供した贈り物、と考えていたと。
カカオ豆は、アステカ社会で通貨として使用されており、その重要性が
高く評価されていた事も分かりますが、
高く評価されていた事も分かりますが、
新世界の最初の歴史家ロンバルディーア人のピエトロ・マルティーレ・
ダンギエーラ・Pietro Martire d’Anghieraは、この点について
「彼らは金属のコインを使わず、アーモンドに似た木の実を使います。」
と述べているそうで。
と述べているそうで。
ただ、この冷水を混ぜ、かき回した泡の飲み物の、苦みとスパイシーな味は
西洋人の舌に合わず、
ミラノの探検家ジェローラモ・ベンゾーニ・Gerolamo Benzoniは、
その著作「世界の歴史」1565年で、
「豚用の粥に似た混ぜ物で、男性向けの飲み物」と判断しているそうで!
わぁ~お!
ま、いずれにせよ、16世紀半ば頃には、「残忍な征服者」と呼ばれた
エルナン・コルテス・Hernán Cortésが呼んだ「神々の飲み物」なるものが
スペイン宮廷に広まったであろうと。
エルナン・コルテス・Hernán Cortésが呼んだ「神々の飲み物」なるものが
スペイン宮廷に広まったであろうと。

伝説によると、コルテス自身が、アステカの王モンテスマ2世と共に
観察できた「神々の飲み物」の準備の秘密を、

1528年にスペインのカルロス5世・Carlo Vに、明かしたと。

「神の飲み物」の典型的な添加物であった唐辛子を、バニラ、シナモン、
アニス、砂糖、という甘い飲み物、ヨーロッパ人の好みに置き換えたのは、
ブレンドと注入の組成専門家であるスペインの修道士でしたが、
カルロス5世自身は、東方から高額で輸入されたサトウキビをカカオに混ぜ、
非常に高価な飲み物を作り、スペイン宮廷で大流行したそうで!
非常に高価な飲み物を作り、スペイン宮廷で大流行したそうで!
また修道院ではメキシコ産のカカオ豆の加工プロセスが完成、
スペインの修道士達は、効果的に独占販売を征服し、
16世紀の殆どは、チョコレートとそのカフェインの刺激効果の
「イベリアの秘密」は厳重に秘匿されました。
が、聖職者の全てが新しい飲み物を飲む事に賛成した訳ではなく、
当時の医者でさえ、体に危険で、魂に致命的、であると判断!
当時の医者でさえ、体に危険で、魂に致命的、であると判断!
さらに、チョコレートが断食破りであるかどうかの、飲み物であるか、
食品と見做すか、の真の宗教的論争がすぐに勃発!
食品と見做すか、の真の宗教的論争がすぐに勃発!
が、1662年フランチェスコ・マリア・ブランカッチョ枢機卿・
Francesco MariaBrancaccio が介入、問題を解決し、
次の原則が有効であると主張。
「Liquidum non frangit jejunum」 つまり 「液体は断食を破らない」
わぁ~お!
という事で、当時の美食家達は四旬節・
カトリック教会の典礼暦において、復活祭の40日前の水曜日(灰の水曜日)
から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間の断食、肉食を断つ、
の間も、湯気の立つホット・チョコレートを飲み続けることが出来た、
という、ははは。

この勅令は、現在のカトリック世界で一般的な用法を実際に体系化したもので、
実際に、古代アステカの神聖な食べ物は、徹夜中に栄養と快適さを提供する、
として非常に高く評価されていたのだそうで。
として非常に高く評価されていたのだそうで。
イタリアはヨーロッパで2番目にチョコレートの人気が高まった国で、
フィレンツェの商人アントニオ・カルレッティ・Antonio Carlettiが
スペイン旅行から戻った1606年にレシピを紹介、
彼の同胞者たちはすぐに熱心な消費者に。
こうしてチョコレートの流行は他のヨーロッパ諸国にも急速に広まったものの、
カカオはごく少数の人々に向けられた製品で、つまりお高い品であったわけで。
銅のチョコレート・ポット、パン、チョコレートのカップ

フランスには、神聖な飲み物を朝食やおやつとして飲む習慣は、
1615年フランス王ルイ13世と結婚した、オーストリアのスペイン王女
アンナ・ダウストリア・Anna d'Austriaによって持ち込まれ、
1615年フランス王ルイ13世と結婚した、オーストリアのスペイン王女
アンナ・ダウストリア・Anna d'Austriaによって持ち込まれ、

オーストリアのスペイン王女、というややこしさは、16世紀に神聖ローマ帝国の
皇帝位をハプスブルグ家が独占した全盛期となり、
1556年誕生のカルロス5世はハプスブルグ家皇帝3代め、
先代皇帝マクシミリアン1世の嫡孫で、マクシミリアンの長男フィリップ美公・
ブルゴーニュ公と、スペイン女王フアナの嫡子。
ここにスペイン王であり、皇帝、という人物が登場したのでした。
ブルゴーニュ公と、スペイン女王フアナの嫡子。
ここにスペイン王であり、皇帝、という人物が登場したのでした。
アンナ・ダウストリアは多くの婚資と共に、伝説のカカオ缶と共に、
準備する為の秘密のレシピも勿論。
準備する為の秘密のレシピも勿論。
が、1660年、チョコレートが大好きな別のスペイン王女、
マリーア・テレージア・Maria Teresa di Spagnaが、

ルイ13世の息子、太陽王となるルイ14世と結婚した時、

この飲み物、チョコレートは上流階級の間で絶大な人気を博し、

ブルボン王朝の君主達もカカオの崇拝者となり、
とりわけフェリペ5世・Felipe V、この方はブルボン家で初めて
スペイン王になられた方で、フランス国王ルイ14世の甥で、
祖母がルイ14世の妃マリーア・テレージアという関係で、
祖母がルイ14世の妃マリーア・テレージアという関係で、

その息子カルロス3世・Carlo IIIも大のカカオ好き、どちらも朝食に1杯を。

この陶板の壁装飾は、優雅な庭園でのおやつのシーンを描いており、
何人かの使用人がゲストの為にホット・チョコレートを準備している所。

1728年に設立されたカラカスのギプスコアナ会社・Guipuzcoanaに
スペインとベネズエラ間の貿易管理の特権を与えたのは、
中央集権政策の提唱者、啓蒙専制君主の上のカルロス3世で、
スペインとベネズエラ間の貿易管理の特権を与えたのは、
中央集権政策の提唱者、啓蒙専制君主の上のカルロス3世で、
コーヒー、カカオ、インディゴ・藍の顔料、染料など、以前は殆ど存在
しなかった作物栽培に弾みをつけ、
旧大陸でのカカオの普及と並行し、時の経過と共に量を増やし成長した
カカオ貿易だった様子。
カカオ貿易だった様子。
更にスペインとフランスでは、その使用が貴族にとっての贅沢品であった為、
17世紀半ば以降、オランダの商人はその種子を多量に輸入し始め、
「神の飲み物」は中、下層階級にも摂取できるようになり、
「神の飲み物」は中、下層階級にも摂取できるようになり、
おまけに18世紀末に、それまでは温かい飲み物、でしか知られていなかった
この食品を固形にするシステムが考案され、品質のさらなる飛躍が。


最初のスペインのショコラティエの伝統では、カカオ豆は古代の
メソアメリカ人が行った様に、石の特別な麺棒を使用し、
メターテ・metateと呼ばれる石の加熱された傾斜面で挽かれ、
この製法から流動性のある高密度の塊が得られたのでしたが、
スペイン学者マルコス・アントニオ・デ・オレリャーナ・
Marcos Antoniode Orellana は次の様に。
«ああ、神聖なチョコレート 彼らはあなたをひざまずいて
すりつぶします 彼らは祈りながらあなたを殴ります
そして彼らは目を丸くしてあなたを飲みます!».
はぁ、学者様にしては、いささかオタクっぽい賛歌ではありませんか?!
そして19世紀以降、チョコレートの工業生産によってコストが下がり、
毎日の大規模な消費が促進される様になり、全てが変わり、
毎日の大規模な消費が促進される様になり、全てが変わり、
万病の万能薬と考えられていた食べ物への崇拝は消え去り、
スペインの詩人バジェ・インクラン・Valle-Inclánが書いたように、
「神のパン」と見做されていた時代は、遠くに過ぎ去ったのでした。
「神のパン」と見做されていた時代は、遠くに過ぎ去ったのでした。
甘く美味しく、疲れを取りさり、時に刺激、陶酔も与えるチョコレート。
それを常時欲しがり、味わいたい人間達は、
長い歴史の経過の中で、あれやこれやと対策を考え、手を尽くし、
そして遂にすぐ手の届く位置に、安価で美味しいチョコレートを得たのでした。
それを常時欲しがり、味わいたい人間達は、
長い歴史の経過の中で、あれやこれやと対策を考え、手を尽くし、
そして遂にすぐ手の届く位置に、安価で美味しいチョコレートを得たのでした。
でも時に過去を振り返り、心の中で過去の様々に感謝の気持ちを
伝える事もきっと必要なのかもね、と思った今回でした。
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この記事へのコメント
夜のネコ
一般人でも買って食べることができる時代に生まれて
しあわせでございます!!
先人たちに感謝です!
日本に完全帰任しています!
わたしの住んでいる地域は上海より寒いですが、
こたつに入ってチョコ菓子をつまんで、
クリスマス、年越しをまったりと過ごしたいと思います!!
shinkai
春東京に行った時も、上海がえらい騒ぎになとのニュースがあり、つい最近もまた戒厳令、ではなかった、はは、ロック・ダウンになる、いや住民たちの抗議で揉めている、そしてどうやらロックダウンはなし、となったらしい、というニュースで、
ず~~っと、もう日本に帰られたかなぁ、と気になりつつ、メールを書きそびれておりました。 済みません。
良かった、良かった!! 普通は帰国されるのか、残念だね、と思うのですが、ははは、ネコさんのは、早く帰られると良いのになぁ、と、正直思っておりました。
ね、チョコレートは余り食べなくなっていますが、ココアは冬には欲しくなる有り難い飲み物で、
本当に現代では当たり前に手に入り、先人たちに感謝ですねぇ!
炬燵ね、入ると出るのが辛いでしょ、ははは。 でもね、この時期はゆっくりと炬燵と日本のお正月を満喫してくださいね!!
良いクリスマス、そしてお正月をどうぞ!!