12日のミラノ行では、一番の目的だった「ボッシュと他のルネッサンス展」
の後、ドゥオモのテラスに上ったのは先回見て頂きましたが、
の後、ドゥオモのテラスに上ったのは先回見て頂きましたが、
その後出かける前に地図を見て知った「アンブロジアーナ絵画館」
訪問をし、建物内の豪華さと共に、その収蔵作品の多さに
頭がいっぱいに!
訪問をし、建物内の豪華さと共に、その収蔵作品の多さに
頭がいっぱいに!

どの様な作品があるのかとざっと見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品
がある、というのが一番のお宝の様で、それだけでOKと思ったのですが、
がある、というのが一番のお宝の様で、それだけでOKと思ったのですが、
が、上の写真でお分かりの様に、カラヴァッジョの「籠の果物」も!
という事で、他にも知らずだった作品も数多く、ご覧頂きますね。
shinkaiめは、「アンブロージョ」と読んだ時、未だ知らない、憧れの
アンブロージョ聖堂、ミラノ中心からは離れている、と一瞬混同し、
驚いたのでしたが、
ここには、パラッツォ・アンブロジアーナ・Palazzo Ambrosinana の
建物の中に、図書館、絵画館、そしてアッカデミア、と総合収蔵の、
建物の中に、図書館、絵画館、そしてアッカデミア、と総合収蔵の、
1618年創設の、いわば総合教育文化会館とでもいう、しかも図書館は
誰でもが入れ、書物が読める公開図書館!
誰でもが入れ、書物が読める公開図書館!
17世紀当時、ヨーロッパで3番目に入る、素晴らしい図書館だったと。
まずはどこにあるか、地図をどうぞ。
ドゥオモ前の広場を西に突っ切り、斜めにカステル・スフォルツェスコ・
スフォルツァ城に行く道を行き、ヴィア・チェザーレ・カントゥ・
スフォルツァ城に行く道を行き、ヴィア・チェザーレ・カントゥ・
Via Cesare Cantùを左折、突き当りに。

簡単でしょ、道を間違える心配もいらずです、はは。
ここはドゥオモと共通チケットで20エウロ、但しドゥオモ上のテラスは別料金、
図書館は無料で、絵画館の案内パンフレットが上の写真でした。
図書館は無料で、絵画館の案内パンフレットが上の写真でした。
ご覧頂くと左の地図でお分かりの様に、入り口が右下、左折して来た道で、
内部をぐるぐる回り、階段を上り、下り、内庭側に出て、また建物内に入り、
最後は1階の一番奥に当たる、レオナルドの作品がある部屋に至り、
そこから出口になるのですが、
最後は1階の一番奥に当たる、レオナルドの作品がある部屋に至り、
そこから出口になるのですが、

地図でお分かりの様に、建物の真後ろが出口で、見える道は角々に
あったものの、迷わぬ様にぐるっと入り口まで外回りで戻り、でしたが、
あったものの、迷わぬ様にぐるっと入り口まで外回りで戻り、でしたが、
その時は手に持ったまま、まるで見なかった案内図に、へへ、
隣に教会もあり、しかも古い歴史を持つ教会があり、
後にこの建物、施設を創設したボッローメオ家の、
はい、マッジョーレ湖であれこれご案内のボッローメオ家が購入した、と
いう事で、この敷地内に含まれている事、
はい、マッジョーレ湖であれこれご案内のボッローメオ家が購入した、と
いう事で、この敷地内に含まれている事、
他にも教会の地下・クリプタとか、フォロ・ロマーノとか、あるのも知りました!
写真右に写っている像が、このアンブロジナーナ図書館、絵画館を
創設された、フェデリコ・ボッロメーオ・Federico Borromeo枢機卿
(1564-1631)
創設された、フェデリコ・ボッロメーオ・Federico Borromeo枢機卿
(1564-1631)

フェデリコ・ボッローメオ枢機卿は、3歳の時に父親が亡くなり、それ以降、
ミラノでペストが蔓延した時、ご自分の財産を売り、救出を
されたりで「聖人」になられている、従弟のカルロ・ボッロメーオ枢機卿、
1560年生まれ、から様々に精神的ガイドで導かれたのだそうで。
されたりで「聖人」になられている、従弟のカルロ・ボッロメーオ枢機卿、
1560年生まれ、から様々に精神的ガイドで導かれたのだそうで。
そういう事からも、一般公開の教育、文化施設を、という事だった様。
この一帯はいわばミラノの古い一帯に含まれるのだそうで、写真に見える
部分は改装され新しいのですが、
部分は改装され新しいのですが、
教会の正面はこの様に!

このすぐ横の出口から出ながら、ぐるっと横を通りながら、まるで見ていない
我ら2人! まったくねぇ、ははは。
我ら2人! まったくねぇ、ははは。
という事で、では絵画館内部のご案内に。
例により先に道草で、へへ、済みません、 こちらが正面入り口。
左の垂れ幕にカラヴァッジョ、 右にレオナルド。

入り口を入り、2階にどうぞ、という事で上がった広間の奥に、
カラヴァッジョの「籠の果物」 1594-98 31x47cm

かなり驚いたのが、この背景の色で、これは私めの安物スマホの色で、
キンキラ豪華な額を見て下さいね。
キンキラ豪華な額を見て下さいね。
で、こちらがサイトで引いた絵。

どちらかというと、この黄色でもなく、も少し上の暖かい色が入った感じ。
でも濃い色ではなく。
でも濃い色ではなく。
いつも印刷された、一番最初の写真の色に近い色で見ているので、
あれ?!と、その色の薄さに大いに驚いたのでした。
あれ?!と、その色の薄さに大いに驚いたのでした。
初めて実物にお目にかかり、しげしげと目を近づけて見ましたが、
極細密、で、超迫力!
極細密、で、超迫力!
背景の明るい黄ベージュの下塗り色は、濃い緑か、チャコール・グレイかが
垣間見え、長年の間に色味がすこし吸われたのかな、とも。
垣間見え、長年の間に色味がすこし吸われたのかな、とも。
前に立って眺めていると、隣に来たシニョーラが、立ち去る前に私を見て、
ペルフェット!・完璧!と。 シー! と言いつつ、
ペルフェット!・完璧!と。 シー! と言いつつ、
自分の個展に来て下さった方にお褒めを頂いた時みたいに、はは、
有難うございます!と言う所だったじゃん、と自分で突っ込みを、がはは。
有難うございます!と言う所だったじゃん、と自分で突っ込みを、がはは。
こちらはピントリッキオ。

修復されたそうで、明るく美しく、ピントリッキオ好きのshinkai好み。
顔色は実際はもっと白く、両目の間がかなり離れ、そのせいか穏やかな
美しいお顔で!

ボッティチェッリ。

ギルランダイオ。

「聖家族」がモチーフの絵の中では、いつも父のヨセフが少し憂い顔の
様に見えるのは、窺いすぎ?
この子は本当の俺の子? とでもいう様に画家が描いたのかなぁ、と
shinkaiは勘ぐったりし・・、へへ。
様に見えるのは、窺いすぎ?
この子は本当の俺の子? とでもいう様に画家が描いたのかなぁ、と
shinkaiは勘ぐったりし・・、へへ。
ラファエッロの「アテネの学堂」の下絵、カルトーネ・Cartoneと呼ばれる
木炭で描かれた下図で、5x7,7mの大画面。 1509-11年作。
木炭で描かれた下図で、5x7,7mの大画面。 1509-11年作。

描かれた形を決める線には、本画用の位置を確かにする為に、タンポンで
印をつける小穴が開いているそうで、というのも、目には見えずで、
木炭での色もかなり全体に薄くなっており、500年を経たのを実感。
何枚もの紙が繋がれ、裏からキャンバス地が張られていたのを剥がし、
新しく一枚の画面にする制作過程のヴィデオもあり、
これらを見れたのも素晴らしかった!
新しく一枚の画面にする制作過程のヴィデオもあり、
これらを見れたのも素晴らしかった!
現在ヴァティカン美術館のラファエッロの間にある、こちらが本画。

なにも疑いを持たず、はは、内庭に向いた回廊に出たのですが、

これも今になってパンフレットの地図を見て、回廊に出る前の細い小さな
部屋が並ぶ部分に、「ルクレツィア・ボルジャの金髪」が挟まれたガラス板、
があった様で!
部屋が並ぶ部分に、「ルクレツィア・ボルジャの金髪」が挟まれたガラス板、
があった様で!
まぁ、shinkaiめはピエトロ・ベンボ展をパドヴァで見た時にお目にかかって
いますので、悔しい!と思わずに済みましたが、ははは。
いますので、悔しい!と思わずに済みましたが、ははは。
ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html
覗き込む内庭部分。 左の煉瓦壁部がサン・セポルクロ教会の背後。

そして改めて入った部屋が、わぁお、この部屋、写真で見たっけ!
「エセードラの部屋」と言い、正面がキラキラの懐古調モザイクで、


エセードラ・esedraというのは、ローマ期のこうした半円形にかたどり、
柱廊をめぐらし、長椅子を置いた屋外の部屋、だそうで、
柱廊をめぐらし、長椅子を置いた屋外の部屋、だそうで、
これを初めて知ったのが、アクイレイアの遺跡を訪ねた、ン十年前で、
我ながら覚えていたのに驚き! はい、昔はねぇ。
我ながら覚えていたのに驚き! はい、昔はねぇ。
で、こうして柱廊を思いつつ上に上がると、

上の部屋の中からの眺めがこれ!! うわ~お!

これを贅沢と言わずして何というか、という感じで、この建物は元は
どなたかのお屋敷だったんだろうか、なんぞと思い、最後のレオナルドの
部屋に居られた方にお聞きし、そうではなかったのを知ったのでした。
どなたかのお屋敷だったんだろうか、なんぞと思い、最後のレオナルドの
部屋に居られた方にお聞きし、そうではなかったのを知ったのでした。
この辺りはかなり後の画家たちの部屋となっており、
ティエポロ、小品でしたが、いつも感じる通りの達者な筆さばきと勇壮さで。

こちらはモゼ・ビアンキ。 モンザに行った時に町の教会脇に彼の銅像があり、
モンザ出身と知ったのでしたが、この方も素晴らしく達者な絵でいつも感嘆。
モンザ出身と知ったのでしたが、この方も素晴らしく達者な絵でいつも感嘆。

モンザの中心ちょっぴり ・ 聖堂 鉄の王冠 王宮
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469194993.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469194993.html
3階から見下ろす内庭。 上のとは逆の方角から。

最後、矢印に従い、あちこちを上がり下がり、階段を一番下まで。
ここがレオナルド関係の部屋。

この作品は何年か前レオナルドの真筆と認められた、と記事になった記憶が
ありますが、ここでは、肖像、または貴婦人像、とあり、レオナルド作とは無し。
ありますが、ここでは、肖像、または貴婦人像、とあり、レオナルド作とは無し。

そうですね、以前記事を読んだ時は、そうか、と思っただけでしたが、
先日久し振りにこの絵の写真をここのサイトで見て、ああ、これは違う、と。
先日久し振りにこの絵の写真をここのサイトで見て、ああ、これは違う、と。
というのも、レオナルドの作品は「殆どが斜め横から」ですよね?
真正面、真横から、という様なのはない気がしますし、
真正面、真横から、という様なのはない気がしますし、
顔の描写も、こうはっきりくっきりではなく、余韻を感じさせますものね。
なので、多分腕の良い弟子が描いたのに、ちょっと手を入れたのかも。
「音楽家の肖像」 レオナルド作。 ベスト風上着の色が少し濃く出て。

この写真は、髪の毛の形のかたどりや、ベストの向かって左の肩の
奥への折れ曲がりがはっきり見えるので、ここに。

というのも、shinkai程度の物が見て、あ、あそこ、と気になる部分は、
とっくに大巨匠は気が付いておられる筈で、
とっくに大巨匠は気が付いておられる筈で、
多分こちらの作品も顔には手を入れられたのでしょうが、首、
ベストの折れ曲がり、つまり肩の厚さで、手にも訂正の線が見えますし・・、
お弟子の作品に手を入れられたのかも、と。
この絵画館には物凄い数の作品があり、コレクションも多いのですけど、
元々はこの施設に「アッカデミア」と付いている通り、
元々はこの施設に「アッカデミア」と付いている通り、
絵画も教えていたのだそうで、学ぶ為に積極的に模写も、という事で
そういった作品も残されており、
そういった作品も残されており、
レオナルドの「岩窟の聖母」模写もありましたが、
正直な所、ちょっと、うう~ん、と言いたいような作品もあり、
その辺が気になった事も事実です。
その辺が気になった事も事実です。
でもこのアッカデミアは、ミラノに、ブレラのアッカデミアが
1776年に開設後に閉鎖されたそうで。
いずれにしても、裕福なご実家ボッローメオ家出身の枢機卿が、
学びたい者たちに大きな門戸を開いた、素晴らしい施設で、
そうそう、図書館には印刷所もあったそうで。
学びたい者たちに大きな門戸を開いた、素晴らしい施設で、
そうそう、図書館には印刷所もあったそうで。
隣の広い部屋の両脇壁いっぱいに本が並び、上写真の手前右端に見える
頑丈そうな木の錠付きの囲いは、レオナルドの「アトランティック手稿」と。


そして下の写真に見えるように、その手稿が何枚か展示されており。


私めはヴェネツィアのアッカデミア美術館所蔵の手稿を見に行った事があり、
レオナルドのデッサンの、あの細くて繊細な線をまた見れて幸せでした!
この復興された時計は、隣にデッサンを起こしている等のヴィデオもあり、
意味がよく分からず、おられた係りの方に尋ねました。
意味がよく分からず、おられた係りの方に尋ねました。

で、今はもうない教会と鐘楼がこの近くにあり、当時レオナルドがミラノに
来た時はまだあったので、多分時計の仕掛けに興味があったのでしょうね、
見に行き、そのデッサンが残っており、
来た時はまだあったので、多分時計の仕掛けに興味があったのでしょうね、
見に行き、そのデッサンが残っており、
そこから設計図を起こし、こうして新しく時計を復活出来たのだそう。
そう、レオナルドの考えた図からの復興はあれこれありますものね。
こちらは部屋の隅にあった、木彫の「お祭りの衣装のXX像」と。


まだ少年期の、細い脚が上着の下から見えているので、上着部だけにし、
色がさめていますが、元はきっと催事用の赤い上着だったのでしょうね。
色がさめていますが、元はきっと催事用の赤い上着だったのでしょうね。
フランコ・ゼッフィレッリの映画「ロメオとジュリエッタ」の
宴会シーンを懐かしく思い出したのでした。
朝はボッシュ展を見て、ドゥオーモの上にも上がり、そしてこの絵画館で
頭がいっぱいになる程の作品も見て!
2人で、もういいから、カフェに行こうよ!と表通りに出て来て振り返ると、
道の突き当りに大きく、威容を見せるスフォルツェスコ城の塔。

ミラノの様なモダンな大都会であっても、ドゥオモやこのお城、
そして他の教会も、古いどっしりとした建物類が要所要所を締め、
それが住む人々にも気持ちの余裕を与えているのだろうな、と
思った事でした。
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