フィレンツェはサンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂の丸天井の頂上、
ブルネレスキのデザインした明かり取り・ランテルナの上に円錐形の
小塔があり、その上に黄金の球、そしてその上に十字架がありますが、

この黄金の球が、1601年1月27日に稲妻に撃たれ、
116m下の地上に!!
という今回のお話で、そう言えばどこかで聞いた、読んだ、という
皆さんも多いかと思いますが、
私めも、そう言えば、と思いつつ、詳細を読みましたのでここに。
皆さんも多いかと思いますが、
私めも、そう言えば、と思いつつ、詳細を読みましたのでここに。
1601年1月27日、ブルネレスキのドームから球が地面に投げ出された
27 gennaio 1601: la palla della cupola del Brunelleschi scaraventata a terra
27 gennaio 1601: la palla della cupola del Brunelleschi scaraventata a terra
サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂の建設については、ブルネレスキが
デザインした大ドゥオーモが、遂に上に掛けられる迄が大変だったらしい!
というのは、皆さんもご存じでしょうが、
というのは、皆さんもご存じでしょうが、
こちらにその詳細を
つまりあの大聖堂は1294-5年位から工事が始まり、
クーポラ下の8角形の壁部分は,1314-15年には完了していたらしい、
のですが、
そう、あの上にクーポラが掛かる工事が始まるまでも大変だった様で!
というのも、デザイン募集があり、ギベルティの名も挙がったものの、
結局ブルネレスキ1人で請け負ったのが1425年。
結局ブルネレスキ1人で請け負ったのが1425年。
あの聖堂の天井が無いままに、板を渡して雨、雪を防いだのでしょうか、
1世紀間、筒状の聖堂の姿があった訳で!!
不謹慎ながら、これを思うといつも笑いがこみ上げて・・!

こうして、フィレンツェ人の大~きな辛抱の末に、はは、漸くに
1436年 約10年間の工事の後、クーポラの屋根部分が完成。
再度待つ事 10年
1446年 頂上の灯台部分の仕事が始まり、
1461年 一番上の円球と十字架が置かれ、
1468年 全ての建設完了。
1436年 約10年間の工事の後、クーポラの屋根部分が完成。
再度待つ事 10年
1446年 頂上の灯台部分の仕事が始まり、
1461年 一番上の円球と十字架が置かれ、
1468年 全ての建設完了。
という次第で、今の素晴らしい大聖堂の姿が現れたのでした。
で、ランテルナの建設デザインもブルネレスキの案が通ったのですが、
1462年に彼は死去し、
実際の黄金の球はヴェロッキオによって、はい、ダ・ヴィンチの
お師匠様で、大きな工房を抱え、絵の制作のみでなく、様々なデザイン、
建設も引き受ける、いわば彼も当時の「万能の人」であった訳で。
お師匠様で、大きな工房を抱え、絵の制作のみでなく、様々なデザイン、
建設も引き受ける、いわば彼も当時の「万能の人」であった訳で。
地面から見ると、それほど大きな物には見えませんが、
直径2、3m、全体が金で覆われた、優れた品質の銅製で、
直径2、3m、全体が金で覆われた、優れた品質の銅製で、

ヴェロッキオは全ての銅を見つけるにも苦労した様子で、
なにせ1800kgにもなる重さで!
なにせ1800kgにもなる重さで!
必要な量の優れた品質を見つける為に、ヴェネツィアに行き、
銅板を接着、球に仕上げ、そして金メッキを。
銅板を接着、球に仕上げ、そして金メッキを。
で、遂に1471年5月27日、あの頂上に光り輝く金の球が設置され、
フィレンツェ人の誇りと喜びになったのでしたがぁぁ、

これはドゥオーモの頂上に、稲妻、雷をしっかり呼び寄せるもの、となり、
はい、物凄い数の稲妻のかすり、雷直撃もあったようで、
1822年にベンジャミン・フランクリンが避雷針を発明して後、
70年後の1859年に「電柱」が設置される迄の4世紀間、
約30もの稲妻の襲撃を受けたそうで、
約30もの稲妻の襲撃を受けたそうで、
リストも長々と続いていましたが、ここでは省かせて頂き、
黄金の球は絶え間のない苦労に晒されることになったのでした!
1461年に取り付けられた球に、1492年4月5日に雷が直撃、
3分の1ほどの被害が出たものの、何とか落下せずで済みましたが、
フィレンツェ人たちは、ロレンツォ・イル・マニーフィコの死の予兆ではないか、
と恐れますが、実際3日後にロレンツォは、痛風による43歳の若い死を。
と恐れますが、実際3日後にロレンツォは、痛風による43歳の若い死を。

そして遂に、1601年1月26日から27日にかけての夜、
金の球が設置されて後130年後、
ヴェロッキオ作の球は、雷雨の間の稲妻の矢に激しい衝撃を受け、
ドゥオーモ広場に落ち、甚大な被害を。
ドゥオーモ広場に落ち、甚大な被害を。
球のみでなく、大理石の破片も多数激しく飛ばされ落下、
東側の広場、聖堂から約20mほどの位置に、球は半ば潰れ欠落。
東側の広場、聖堂から約20mほどの位置に、球は半ば潰れ欠落。
多分大音響と共に落ちたのでしょうね、
近くに住む人々は、世界の終わりが来たような恐怖に襲われ、
声を一つにして、ただお慈悲を求めていた、と当時の記録に残るそう。
声を一つにして、ただお慈悲を求めていた、と当時の記録に残るそう。
で、現在この落下地点に、白い大理石が嵌め込まれている、というので、
ひょっとして、とイチビリshinkaiはグーグル・マップで見ましたら、
これ、分かりますか、3角の広場のちょうど真ん中辺りに白い小さな〇が。



という事で、場所が確定され、次回フィレンツェに行かれる方はお確かめを!
但し白い石のみで、何も碑文はないそうで!
落下した球の再建は非常に迅速に行われ、この時に小さな窓が作られ、

中にいる保全係りの人に光を与え、仕事をする人にも安全さを与えますよね。
フィレンツェの大聖堂 クーポラの金の球の中に
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/20210110-1.html
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/20210110-1.html
ヴェロッキオ作の球の修復は、当時最も才能ある金細工師の中から
マッテオ・マネッティ・Matteo Manettiにゆだねられ、
骨の折れる忍耐と絶対的な献身を持って、追加を含む長い修復を快復させ、
1602年10月21日に、再建されたのでした。
1859年漸くに避雷針が付けられた後も稲妻の襲撃はあったものの、
サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂上の黄金の球は、今日迄の
400年間を耐え、
今も抵抗し続け、フィレンツェの空に輝いている、という健気なお話でしたぁ!
400年間を耐え、
今も抵抗し続け、フィレンツェの空に輝いている、という健気なお話でしたぁ!

で、最後におまけのお話を加えさせていただくと、 これは
ドゥオーモのランテルナの金の球:400年間の雷、稲妻
La palla d’oro sulla lucerna del Duomo: quattrocento anni di fulmini e saette
2002年に行われたこの金の球の修復は、名門金細工会社の
ジュスト・マネッティ・バッティロロ・Giusto Manetti Battiloroにより
資金提供されたのだそうで。
ジュスト・マネッティ・バッティロロ・Giusto Manetti Battiloroにより
資金提供されたのだそうで。
つまり創業者のルイージは、1820年に創業した会社を息子のジュストに
託し、上記の巨匠マッテオと、ディ・ディアノーラ・ドルチの5代目の
直系の子孫である事を誇りに思っていたそうで、
託し、上記の巨匠マッテオと、ディ・ディアノーラ・ドルチの5代目の
直系の子孫である事を誇りに思っていたそうで、
現在のマッテオ一家は、ヴェロッキオの球の修復をしたマッテオから
なんと15代目の金細工師に当たり、
なんと15代目の金細工師に当たり、
金の球は何世紀にも渡って不運が続きましたが、偉大な芸術家一家に
幸運をもたらし、彼らが金の球に再びの命を吹き込んだのでした、
というお話で。
幸運をもたらし、彼らが金の球に再びの命を吹き込んだのでした、
というお話で。
この上空からの写真を見ると、びっしり詰まった市街の中に、
ちょこっとの隙間があり、そこに、歴史も、景観もどでかい物が詰められて、
ちょこっとの隙間があり、そこに、歴史も、景観もどでかい物が詰められて、


何とも、フィレンツェはやはり凄いですねぇ!!
夜景も素敵!!
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この記事へのコメント
YUN
お元気でミラノもシエナも行って帰られたのですね。
レオナルドにカラヴァッジョ、ボッシュ・・・あー、何と贅沢な時間♪
羨ましい限りです。シエナはお天気が気になってましたが・・・それでも充実したご旅行だったこと、本当に良かったですね。やはりあのお馬さんたちの熱狂を思い出すと、今年の夏はTV観戦されますか!
フィレンツェのドォーモ、あの天辺の金の玉がこんな災難に。今は小窓が作られてるんですねぇ。ちょっと入ってみたいけど、一般の人は無理でしょうね(笑) レンガ色の懐かしのフィレンツェ。また上から眺めてみたいものです。
shinkai
はい、シエナではひどい天候にも出会いましたが、でも素晴らしいものを見ることが出来、行って良かった、と本当に満足して戻って来ました。
ミラノのボッシュも良かったのですけど、ボッシュの絵の中の主人公たちはみな小さくて、それらの動きが様々で、絵も思っていたよりも大きくて素晴らしかったのですけど、
なにせたくさんの人で、1人だけ絵の前で感嘆して眺めて居れる状態ではなく、これはもう大体想像できていたのですけど、
それがちょっと残念でした。
でも、他の同様なボッシュの真似、というのかな、それらの画家の作品と比して、やはり格段の出来の違いで、美しかったです!
シエナの方の収穫は、またブログに載せたいので、その時には見てやって下さいね。
はぁい、今年は忘れずにパリオを見るように、カレンダーに印をつけておこうと、ははは。
フィレンツェのドゥオーモのあの頂上は、ランテルナの階までは登れるのですけど、それ以上はダメで、
でも残念、とは言えない様な、やはり保全の方だけが、という特別な場所で!
ドゥオーモも、鐘楼も一度づつ上がったので、もう一度景色は見たいと思うものの、またの挑戦はもう難しいだろうなぁ、と思う年になりましたぁ。
またそちらにお邪魔しますね。 素敵な椿を拝見しましたよ!