・ ピッコローミニ図書館  シエナのドゥオーモ

今日のご案内は、シエナのドゥオーモの内部奥の左側にある、
ピッコローミニ図書館・Libreria Piccolomini を。

シエナのドゥオーモに行かれた方はきっと中に入られご覧になったと
思われる、素晴らしく絢爛豪華な図書館。

聖堂内の入り口部分はこんな様子で

1-Portale_della_libreria_piccolomini_GF.jpg



上部にチラッと見える壁画と上部真ん中上には、ピウス2世の
戴冠式の浮彫があり、画家はピントゥリッキオ・Pinricchioと他。

2-Pinturicchio,_incoronazione_di_Pio_III,_1503-1508_GF.jpg


ピッコローミニ・Piccolominiという姓は、シエナから南東に約50km
に位置するオルチャの谷のピエンツァ・Pienza、

現在世界遺産に指定されている、自分の生まれた村をルネッサンス風の
理想の町にしようと奮闘した教皇ピウス2世(1405-1464)
の姓がピッコローミニ。


壁画の中にも現れるこのピウス2世の頭上にあるのが教皇冠。

7-Pintoricchio_012_GF.jpg



で、この図書館は、彼の甥で後の教皇ピウス3世(1439-1503)が
シエナの大司教時代に、

叔父ピウス2世が収集した大変貴重な書物収集の遺産を収容する為に
1492年から造られたものなのですね。

教皇ピウス2世は、若い頃は詩人でもあり、人道主義、学者としても
名高い方で、その後に遅く宗教界に入った方で、大司教となって後
3年で教皇選出という、何とも稀な人生を歩まれた方でした。

花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html

ロマネスクの古寺ふたつ ・ ピエンツァ周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461832854.html


そしていわゆるネポティズムと呼ばれる縁故取り立てにより、司教、
大司教、枢機卿となった甥フランチェスコ・ピッコローミニ・トデスキ、
は大変優秀な方で、叔父の引き立てで宗教界に入ったものの、
周囲からの引き立てで教皇ピオ3世に。 

赤い衣は枢機卿位で、余りにも短い教皇で、教皇冠の肖像はなし。

6-PiusIII.jpg



最初の写真の、聖堂内の図書館入り口から入ると、内部はこんな様子で、

3-la-biblioteca-di-piccolomini-_GF.jpg



大変天井の高い煌びやかな細長い広間で、全部で10面のフレスコ画で、
正面には2つの高い窓が。

4-DSC00484_01_GF.jpg

5-DSC00483_01 - Copia_GF.jpg


フレスコ画製作は、ウンブリア出身画家ピントゥリッキオ(1454-1513)
に依頼され、

当時の彼はローマでのあれこれの制作、システィーナ礼拝堂のぺルジーノの
フレスコ画助手、教皇アレッサンドロの依頼による「ボルジャの間」
等などで成功の大人気画家でしたが、

1502年6月29日の契約書があり、ルネッサンス期に大規模な一連の
絵の契約は珍しいケースだったそうで、

10場面の主題は、ピウス2世の生涯の逸話。

1503年までに最初の準備段階が済み、壁に壁龕と建築用格子が設置。

そして同年9月22日、注文主はピウス3世として教皇に選出されたのが、
なんと26日後の10月18日に亡くなり、工事が中断、という事に。

この早すぎる逝去についてはちょっときな臭い話がありますが、またに。


とはいえ、ピントゥリッキオはシエナに残り、他の仕事をしていたそうで、
ピウス2世の壁画の話が再開されたのは、1505年頃。

で1507年、シエナに留まりつつ、ウンブリアからの他の依頼を
受け入れ始めたので、この仕事は完了したものとみられますが、
支払いは更に数年間続いたそうで。



部屋の中、上部の壁画の下には、手稿細密画の入った本が並んでおり、
これはどうやら楽譜の様ですねぇ。

8-DSC00489_01_GF.jpg

9-DSC00493_01_GF.jpg


とにもかくにも、注文を受けたピントゥリッキオの美しい絵と、その手伝いの
若きラファエッロが大変素晴らしい仕事振りなのが一目で分かる、
豪華絢爛の部屋の一連のフレスコ画の様子をどうぞ!!


まず第1の場面、という事で良いのかと思いますが、若き日の逸話2面。

10-DSC00490_01_GF.jpg


左の画面、中央下の白馬に乗っているのがエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ・
Enea Silvio がピウス2世の本名で、若干26世!
バーゼルの公会議に出かける所。

右の画面は、スコットランド宮廷大使の彼で、君主が左に視線を向けた
先の赤い服を着ているのがエネア・シルヴィオ。



shinkaiめは、左の背景の上空が嵐の描写に興味を持ち写しており、

11-DSC00503_01_GF.jpg


エルバ島とコルシカ島の間で、彼らの船を襲った嵐が、南に方向転換した事、
右から(黄色い)虹がかかるのは、ポルトヴェーネレとジェノヴァ間の
無事着陸と穏やかな帰還を現しているのだそうで。



ですがぁ、サイトで見つけたこの白馬の上の貴公子! いくら26歳とはいえ、

12-concilio-basilea_GF.jpg

注文主の叔父上とはいえ、なんか、凄いヨイショ、ではないですかぁ、ははは。


でも布の表現が、素晴らしく的確で、そのくせ、そう手間がかかっていないなぁ、
で、まぁ、フレスコ画ですので、下描き・下塗りが濡れている間の
仕事で、モタモタしてはおれませんけんね。

で、一旦乾いてからの上からの手入れも、ピントゥリッキオはしたそうで。
この場合は、テンペラで、ですね。



こちらは左に切れているのが上述の、スコットランド宮廷大使の、
君主の覚えめでたい彼の場面で、

13-1-DSC00492_01_GF.jpg


真ん中は、エネア・シルヴィオが皇帝フリードリッヒ3世により、
詩人としての戴冠を受けた、という場面。

13-2--Pinturicchio,_libreria_piccolomini,_GF.jpg



同じ画面の右端前の若者2人。 これも取り分けこちらを向いている方が
ラフェエッロの雰囲気ですよね?

13-3-Pintoricchio_017_01_GF.jpg



この2面は、入り口を入っての上の壁で、前に白いニッキがある中の像は、
楽園追放のアダムとエヴァで、

14-DSC00491_01_GF.jpg



左側は、シエナ司教のエネア・シルヴィオが、アラゴン(ポルトガル)
のエレオノーラ王女を、神聖ローマ皇帝フィリードリッヒ3世に紹介の場面。

15-federico_eleonora_GF.jpg


つまり司教は結婚交渉を担当し、1452年2月24日にシエナに2人が到着、
という事だった様で。

でも初対面で肩に手を置いたり、握手したり・・、そこまでするかなぁ?!

後ろで空を見上げている若者など、ぺルジーノかラファエッロか、と思う程。
まさにこの仕事では若きラファエッロがかなりをこなした様子で、
本当に、あちこちに彼の筆使いを感じたのでしたぁ。



こうして見て行くと、背景に風景が入るか、建物があっても、窓を通したり、
脇から遠い風景が見え、大変爽やかな空気を感じさせる工夫がある様で。

これは上の、許婚者2人の背景で、奥に見えるのはお話に添い、
シエナの風景、と言われると、ああ、白黒横縞の鐘楼があるなぁ、と。

左に見える門はポルタ・カモッリア・Camolliaとあり、現在の姿とは違いますが、
シエナ駅前から坂道を上がった辺りかと。

16-DSC00499_01_GF.jpg



こちらはスコットランド宮廷大使の場面背景で、豪華な宮廷内装飾と、
ずっと奥に広がっていく水辺と、遠い丘、山。

17-DSC00504_01_GF.jpg



詩人の戴冠式の場面背景。 空飛ぶ大きな、鳥!!

18-DSC00505_01_GF.jpg



左画面から、1458年9月3日遂に教皇に選出され、
遂にサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの当時の教皇位に。

19-DSC00485_01_GF.jpg

白い司教冠がたくさん見えますが、


場面右手前に2人、どういった人物か、衣服から判断しにくい男性がおり、

20-DSC00495_01_GF.jpg

この2人の衣服の光と影の描き方がテンペラ画で使う明暗法なのに
目が留まったshinkaiで、
同時代の他の画家のフレスコ画ではどう描いていたんだろ、と
自分の今後の宿題に。



これと同様に、右端の画面、シエナのサンタ・カテリーナを列聖、では、


左端手前の若者2人、これはもう、如何にもラファエッロの筆で、

おまけにこの2人の上着の開きから見えるシャツのお腹辺り、ね、
まさに影色の描き方が玉虫色のね。

21-Pinturicchio,_libreria_piccolomini,_GF.jpg

自分の撮ったのがブレており、焦って探し回ったのでしたぁ、ははは。


真ん中場面は、1453年のマントヴァの公会議を描いており、ここで
ピウス2世の念願であった、対オスマントルコ戦が議論されたのだそうで。

背景の風景はこちらで、マントヴァの宮殿前のミンチョ河の湖というより、
ガルダ湖のイメージですねぇ、はは。

22-DSC00501_01_GF.jpg

でもね、こういうサラサラっとした木が描けたらねぇ、と憧れてるのですぅ。



この3画面は上と半分ダブっていますが、ピウス2世の最後が右側にあり、
1464年十字軍開始の為、自身が出航の港アンコーナ迄出かけ待つ姿。

23-DSC00487_01_GF.jpg


24-DSC00498_01_GF.jpg


アンコーナの港に集結する船団が背景に見えますが、マントヴァ公会議で
約束されていた船40隻どころか、たったの2隻のみ!

6月にローマを出発、夏の暑い時期、熱狂的に焦りつつ、2か月間
まだかまだかと待ち続け、憤慨した教皇はペストに感染。

8月12日にヴェネツィアから12隻の船団が遂に到着したものの、
教皇は2日後14日に死亡、58歳でした。



最初の3,4枚目の部屋の中に見える「3美神」の像ですが、
サイトから拝借。 

ギリシャのヘレニズム期の彫刻デッサンを基に、ローマ期に彫られた、
ローマのお屋敷のコレクションだったそう。

25-tre_grazie_piccolomini,_III_secolo_da_un_orig._ellenistico_02_GF.jpg



あちこち欠けているのが残念でしたが、部分はとても美しく。

26-DSC00494_01_GF.jpg


最初は、ピウス2世の貴重な本のコレクションをここに、と始まった
図書館建設でしたが、遂に本は届かないままになったそうで。


床も中心部は、菱形に、ピッコローミニ家の三日月が入った陶板で、

27-DSC00486_01_GF.jpg



こちらは床の端っこ部分と、それに続く2枚は、四角の模様入りが、
上を歩くために模様が擦れてしまったようで。

28-DSC00488_01_GF.jpg



奥の2双の窓の内側にも、ピッコローミニ家の三ケ月模様があり、

29-DSC00502_01_GF.jpg


こちらは壁画の合間に描かれた騙し絵的な、
ピッコローミニ家の紋章に、教皇冠が入ったもの。

30-DSC00497_01_GF.jpg



シエナの聖堂内部の、白と濃い緑の縞模様、太く束ねた円柱で
支えられる高い天井、と言ったゴシック様式の雰囲気に続き、

ここに入ると如何にもルネッサンスの香り、柔らかで優美な洗練された美、
それもお金に糸目をつけずに、という豪華さが加わり、

聖堂内の、まさに別世界、の感あるピッコローミニ図書館なのでした。


シエナに行かれる方は、是非少しお時間を取って、
ここの見学もゆっくりとどうぞ!!


*****

当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!

    にほんブログ村  

     
     2022誕生日 - Copia_GF.jpg


*****
  
色鉛筆+水彩画ブログには、
ウクライナはリヴィウの、アルメニア聖堂のキリスト像
をアップしています。 ご訪問よろしくどうぞ!


*****
   
記録庫ブログは、お陰様で無事引っ越しを終えています
 
今後ともの皆様のご訪問を、お待ち致しておりま~す!

*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

この記事へのコメント