・ ダ・ヴィンチ 発明のケーブル・フェリー 16世紀から現在も

日本はゴールデン・ウィークですねぇ。 ええよぉ!(広島弁で羨み)

こちらは5月1日はメーデーで祭日、ローマでは組合主催の
毎年恒例の大コンサートも開かれましたが、雨!

こちら北イタリアも曇り空、2日は雨で肌寒く、3日から曇り空、
時に太陽、という予報ですが、週末にはまた雨模様にと。


で、日本の皆さんがゴールデン・ウィークに気分ウキウキな所に
アップするネタは何が良かろうか、と、
昨日アルマナッコ・almanacco、年代記・暦、を眺めていて、

5月2日はレオナルド・ダ・ヴィンチが、1519年のこの日、
504年前に亡くなった日、と知りました。

1-Francesco_Melzi_-_Portrait_of_Leonardo_GF.jpg

このデッサンは、最後まで付き添った弟子のフランチェスコ・メルツィ作。


はい、生年月日は1452年4月15日、571年前。  67歳で、
フランス国王フランソワ1世から贈られたアンボワーズの城で、
安らかにお亡くなりに。

という事を知り、思い出した彼に関する記事をここに!


彼は現在の我々に静謐な気持ちを与えてくれる何枚かの、
はい、決して多くはない、名画を残してくれましたが、

他にたくさんの研究、その為のスケッチ、発明品を残しているのは
皆さんも良くご存じと思いますが、

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明になる、ヴェネツィア式製材所の見学
https://www.italiashiho.site/archives/20180921-1.html

デルタ・デル・ポー ・ ポー河が海に出あう所
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463259026.html

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した物、考案したもの
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685811.html

ガラタ橋は、釣り人天国 ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093420.html


今回のはそんな彼の発明品の1つ、というよりも水力原理の研究で
効率良いタイプの、ケーブル・フェリー・引き綱ボートを、
という事と理解しましたが、


ロンバルディア州のインベルサーゴ・Imbersagoにあり、アッダ川・
Addaを渡り、対岸のヴィッラ・ダッダ・Villa d'Addaとの連絡を、
16世紀以来続けています。

2-il-traghetto-di-imbersago-durante-una-traversata__GF.jpg


今回参考の記事は、16世紀から続く「レオナルドのフェリー」
Il "traghetto leonardesco" in funzione dal Cinquecento

地図をどうぞ。

3-traghetto map_GF.jpg

4-tragetto map_GF.jpg

ミラノからだと40kmちょっとで58分、ベルガモから44分、30kmと。


木製の小さな舟ですが、両岸に張られたケーブルの利用で、
人と物がいっぱいのボートを操縦する1人の人間の力でokなのだそう!



このレオナルドのスケッチは、「ヴァープリオ・Vaprioの港」として有名で、
ヴァープリオ、というのは、ここより南に20km程下った所の地名。

5-1-leonardo-da-vinci_traghetto-imbersago_fiume-adda_GF.jpg


このボートの起源は、アッダ川の両岸、現在はロンバルディーア州の
レッコ県とベルガモ県の属するのが、かってはミラノ公国とヴェネツィア共和国
の下にあった16世紀以前に遡り、

イタリア文学の古典アレッサンドロ・マンゾーニのプロメッシ・スポージ・
婚約者、を含む様々な文学作品中に登場しているそうですが、

それ以上に最も重要な証言として、

16世紀初めにミラノ公国に滞在し、ナヴィッリ地域での水力研究に
専念したレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチがあるのですね。

というのも、15~16世紀にかけ約25年間を過ごしたミラノ公国で、
ダ・ヴィンチはイル・モーロから、船の航行性についての問題を
解決する様に、
水面の高低差から川底の凸凹迄、を依頼されていたのだそうで。



現在、ヴァープリオにある「エコムゼーオ・アッダ・ディ・レオナルド・
レオナルドの環境博物館」があり、

5-3-Vaprio-dAdda-Casa-del-custode-e-stabilimento-VELVIS-Mario-Donadoni_GF.jpg

5-2-vaprio d'adda ecomuseo adda di leonardo_GF.jpg


ここには彼の発明した、水面の違いを克服する水のくみ上げ水車、
等も残っており、こういった事も現地視察をしながらの研究結果
なのでしょうね。

5-4-vaprio-dadda-la-ruota-idraulica_GF.jpg


上記したナヴィッリ地域、というのは、北のコモ湖・東側と、マッジョーレ湖・
西側、から南下するそれぞれの川から、ミラノ迄の運河を引き込み、
通商交易に利用していたもので、

レオナルドはその水力の分解原理に基づき、機能を研究したのだそうで、
はぁ、書かれたままを写しておりますが、へへ、

話が上下して申し訳ありません! 何せ出てくる土地の名が多く、
その名の時に関連するお話を、と思うもので・・。


で、元に戻り、

ボートは横に並べて配置され、全長に添って固定された2つのキール・
竜骨で構成され、小さな船室が上に乗ったはしけの形に。

6-traghetto_windsor_part_GF.jpg

反対側には、帆の無い帆柱があり、その上に太いロープが走る
2重ローラーがあり、ロープは両岸の間に張られ、

出航するには、渡し守がロープを引いて船を川の中心に向ける為に、
グイっと引っ張るだけで十分で、

後は川の流れが残りを処理し、ボートの両側に等しい力を与え、

総舵手は金属棒をロープに引っ掛け、キール・竜骨の傾きを調整
するだけで、ボートを反対側の岸に押し出す力の組み合わせを
調整する事が出来る、のですと。

スケッチに見える、船の上に乗せられた牛たち、が如何にも
レオナルドのサーヴィスらしく、笑いが来ますね。


で、この人力要らずのボートの存在は15世紀半ば、つまり
レオナルドがミラノに到着する以前に遡るのが、

アッダ川のフェリーの歴史と変遷を再構築したエルミーニオ・ボナノーミ・
Erminio Bonanomiの著書にあり、というので探し、

2005年出版の
Vivi Adda. Itinerario storico naturalistico per il tempo liberoと。

最初の証言は、マルテザーナ号船長パオロ・アミゴーニが署名の
1454年の手紙で、
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ公爵が、サン・マルティーノ渓谷の
住民に与えた渡し船使用の許可を、多分、違法な人身売買に
使ったらしく、取り消しを要求しており、

それについての仮説の中で、それを知ったレオナルド自身が、
インヴェルサーゴの港を構想した可能性が述べられていて、

流れの自然な水力を利用し、フェリーが川に対し垂直に動く事を
可能にする水力の分解の法則を研究したのではないか、と。


この図は、ボナノーミの「アッダのトラゲット・フェリー」からで、
縦線が、川の幅  水平線は、川の流れの方向、 
斜線、船の中心線。

7-schema-delle-forze-che-permettono-il-funzionamento-del-traghetto-tratto-da-traghetti-sulladda_GF.jpg


別の1575年に遡る文書は、インベルサーゴの北11kmにある
オリジナーテ・Oliginateの物で、

同様のボートは、当時疫病の深刻な影響を受けたミラノ地域から、
ヴェネツィア共和国領土の岸まで乗客を輸送する為に特別な
注意を払って活動していた事を記し、

他にも2つのフェリーが、トレッツォ・ダッダ・Trezzo d’Addaと
カプリアーテ・Capriate、そしてブリーヴィオ・Brivio と
チザーノ・ベルガマスコ・Cisano Bergamasco を結んでいたそうで。


この2つ目の渡しについて、ボナーノミが 
「1499年にフランス軍に敗れたルドヴィーコ・イル・モーロにより、
ボッロメーオ家に譲渡され、ミラノの著名な家族に慈悲を得る為に贈った」と。

そしてその後、「貪欲なスペイン総督に押収され、1567年に通行権
を売却、1577年にそれを償還し、翌年には年間320リラで再度
賃借した」と。


ルドヴィーコ・イル・モーロは、1455年-1508年の生涯で、
上記のフランス兵に敗北し、スイス傭兵の裏切りにより捉えられ、
(1500年のノヴァーラの戦いで)投獄され、そのまま獄死、
という事なので、

8-Pala_Sforzesca_-_detail_01_GF.jpg


その後の「貪欲なスペイン総督に押収」云々は、ボッローメオ家が
蒙った事なのですね、 はは、時にこんな逸話が飛び出すのが・・!


こうした水路は、ポー渓谷の住民にとって非常に重要な資源で、
地域の商業活気は、16世紀の文書によっても証明されており、

川釣り、製粉所、小職人の現実がミラノの貿易を刺激し、近隣の
領土の生存を保証し、

フェリーで移動する、「荷物を持った男達、馬、ラバ、荷車」・・、

これらそれぞれに、乗船時に支払われる確立した通行料があり、

各自治体間での協定で、無料で通行できる代わりに、村と港を結ぶ
道路区間の維持管理を行う事と引き換えだったり、

少なくとも300年間、ケーブル・フェリーが、物理的、商業的に
唯一の「公共の」接続手段であり、

アッダ川にはこのタイプの船が5隻あったのが、つまり5か所あったのが、

1889年にパデルノ・ダッダ・Paderno d'Addaに最初の橋が建設され、
これらの船は消滅する運命となったのでした。


こちらがパデルノ・ダッダ橋、またはサン・ミケーレ橋と呼ばれる、

9-ponte-di-paderno-adda_01_mario-donadoni_GF.jpg

この写真、素晴らしく美しいでしょう? この写真に魅かれ、アッダ川に
添った各町の案内サイトを読んだのが、元々の始まりだったのです。

アッダ川に沿った町には、特有の古い趣を残すものがあれこれあり、
美しいアッダ川の佇まいが趣を添える、防御のヴィスコンティ家の
城等など、またご案内致しますね。


19世紀の鉄製の266mの長さで、鉄道とベルガモへの州道の
2重橋で、

10-bergamo_pontesanmichele_GF.jpg

鋼、鉄、鋳鉄が人類の進歩の真の象徴であった時代の
最も興味深い証言、の橋、なのだそうで!



ですが、インベルサーゴのこの木製のフェリーは、
時の流れを生き残った唯一の船、として残り、

11-Traghetto_di_Leonardo_-_Il_traghetto_GF.jpg

環境保護の防波堤として、逆に時代の先駆者としての地位を再確認、
しているのですね。

この緑に囲まれたアッダ川をほんのちょっとの人力で渡る、
かのレオナルド様が水力研究を極めた渡し船。

いつかチャンスを見つけて乗って見たい、と思っているのですが・・。


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