・ ミケランジェロの ダヴィデ像 の 困難な生涯

分家ブログに先回から2度、イタリアにおける芸術品の破壊行為
についてアップしていますが、

知る都度、行われた破壊行為に大いなる憤りを感じつつ、
またそれに対応する修復者達の献身に感謝の念を抱き、

とりわけ今回のn.2に載せた、パドヴァのエレミターニ教会の
オヴェターリ礼拝堂のマンテーニャの壁画と、

そして今回取り上げるミケランジェロのダヴィデ像については、

01-michelangelo-david_GF.jpg

作品が誕生以来辿って来た事件経緯、について読み、
知らない事ばかりなのはいつもの事ながら、

読みつつ憤慨したり、呆れたり、感嘆したり、で、
是非皆さんにも、と思い、取り上げる事に致しました。

記事の一番の基本、起こった順について参考にしたのは

・ミケランジェロのダヴィデの冒険
 LE AVVENTURE DI DAVID DI MICHELANGELO
 

そしてその細部については、こちらのいくつもの記事
・シニョーリア広場にあるダヴィデ像の、オリジナルの貴重な写真
 Le rare foto del David originale in Piazza della Signoria
 
・ダヴィデ像と、像を損なった修復作業
 Il David e gli interventi che l’hanno rovinato
 
・シニョリーア広場からアッカデミア美術館に
 Da Piazza della Signoria alla Galleria dell’Accademia
 
・1873年7月31日 ダヴィデ像 シニョーリア広場からアッカデミア美術館への引っ越しが始まる
 31 luglio 1873: inizia il trasloco del David verso la Galleria dell’Accademia
 
という事で、イタリア・ルネッサンスの1つの象徴であり、
世界彫刻の傑作、と万人が認める、ミケランジェロ作のダヴィデ像、

約3年間をかけての制作の後、1504年9月8日に公開されたもので、
誕生後既に510年余りを経ている訳ですね。

1873年、シニョーリア広場からアッカデミア美術館に移送され、

天窓のある特別の観覧席から、全世界からやって来る観客を
迎え、一見安泰な様子に見えるダヴィデ像です。

が、ここに至る迄にかなり様々な冒険を乗り越え、危険な目にも
遭って来たのですね。

ミケランジェロの制作について、またフィレンツェのシニョーリア広場、
ヴェッキオ宮入り口に設置された経過については、
ウィキペディアにも詳しいので、どうぞ。


で、ここでは、シニョーリア広場に設置されていたダヴィデ像の、
かっての懐かしいオリジナル写真をまずどうぞ!

まず残っている一番貴重な写真はこちら、1860年以前のもの。

2-1-david-prima-1860_GF.jpg


そしてもう一枚、上に素朴な屋根が差しかけられたもので、
1857年だそう。

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ですがご覧になってお気づきですか?
この写真裏焼きになっていて、つまり陰画を裏返しで焼いていて、
フィルム時代にもチョイチョイ見かけましたっけ。


そして1860年3月15日以降のものが、2枚あります。

3-fld0010556x_p-1_GF.jpg

4-originale-1_GF.jpg

上の1枚と、この下の2枚を見分けるのは、背後に写っている
額縁に収まった碑文の存在有無で、

実はこれ、1860年3月15日に行われた国民投票の結果を
示したもので、結果のみをお伝えすると、
この国民投票により、イタリア王国が成立した、という物。

5-plebiscito_GF.jpg


これと同じ掲示を同じトスカーナのオルチャの谷で見かけた事があり、
当時興味津々で調べた事をこちらに、はは。

カスティリオーネ・ドルチャ ・ Castiglione d'Orcia
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363281.html


つまりここでは、背後に写っているこの掲示で、年代を確かめ得た、
という事なのでしたが、


それにしても、体つきは、そうねぇ、ダヴィデ君ね、と思うものの、
ほら、最初に目につくのが、イチジクの葉で隠されている事!

それに全体に薄汚れ、とりわけ顔の目の周辺の汚れが目立ち、
「おいたわしや!」とほろっとなりそうですが、

でも、以前にあった屋根は見えずで、粗末な造りで壊れ、
片づけられたのか、どうかかな。


この様に、ダヴィデ像の出会った様々な災害は既にずっと続いており、

ミケランジェロにより1504年に完成した像は、制作された大聖堂
博物館の中庭から、木製の檻の中で滑らない様に監視されつつ、
40人以上の男達によりシニョーリア広場まで4日間かけて輸送
されたのでしたが、

夜の休憩中に、当時追放されていたメディチ家派の若者グループが、
共和党政府の象徴としてすでに認められていたこの像に石を投げたり
もあったそうで。

まぁ、無事に広場に到着し、ミケランジェロは右足後ろの
木の幹を金で塗装し、頭と吊り紐を囲む金銅の葉が付いた
真鍮の花輪をその場で追加し完成させたのだそう。

設置する位置にあったドナテッロの「ジューディット」は
6月8日に斜め横のロッジャに移され、

像の為の台座が委託され、遂にその年9月8日ダヴィデは、
すべてを備えて裸のまま」設置された、とあるので、

はい、最初は現在と同様、ミケランジェロが制作したままの姿、
だった訳で、
いつ、イチジクの葉をつけられたのか、まだ突き止められず・・。

で、ミケランジェロには、400フローリンが支払われたと。 
現在の価値では?


そして、このダヴィデ像は登場して以来、力強い男らしい姿と、
それを表現する為の解剖学的研究のお蔭で、当時の美的嗜好
をも変え、
ルネッサンスの理想的な表現としての地位を確立し、称賛を得ます。


が、1512年、像の基部に落雷があり、足首の崩壊が懸念された
のでしたが、最終的には修復不可能な損傷はなく済みます。


でも現在見る写真では、この様に亀裂が入っているそうで、
右上が右足後ろの幹で、右下が左脚部分。

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1527年4月26日、フィレンツェからメディチ家の2回目の追放中に
市内で暴動が発生。

共和主義者のグループが敵対者から身を守る為、ヴェッキオ宮の
窓から石やその他の重量物を投げつけたのが、

ダヴィデの上にも落ち、彼の左腕、下に延びている方、は3つに砕け
投石器は肩の高さで欠け・・。

ミケランジェロの崇拝者であるジョルジョ・ヴァザーリと、同様に
画家のフランチェスコ・サルヴィアーティは像の破片を収集し、
サルヴィアーティの家に保管。

で、コジモ1世の帰還後に、

6-Bronzino,_Portrait_of_Cosimo_I_de'_Medici_in_armour,_1545_(Uffizi)_GF.jpg



像は修復されたものの、傷跡は残り。

5-michelangelobuonarroti-davidparticolare1_GF.jpg


1813年右手の中指が、理由が明らかでない事故で欠け、再建。


そうなんですね、このダヴィデ像が彫られた大理石は、
ミケランジェロがダヴィデ像を委託される40年ほど前から
放置されたままで、

余りにも長く、細すぎる、というので、ミケランジェロ以前にも
2人委託を受けた彫刻家はじきに放棄した石で、
まぁ、力不足もあったのでしょうが、

既に言われていたのは、大理石の質の悪さの脆さ、多数の亀裂や
穴の存在、そして大理石の本質的な結晶の凝集力の喪失が言われ

特に現在の左腕の下部分のもろさから、彫った後に足だけで重量を
支えられるかが心配されていたのだそう。


現在の像の高さは台座108cmを含み520cm、重量は5572kg!

どうやら彫像を作っていた時の地面が重みで傾き、重心が28cm
ズレているとか、怖い話も読みました、はぁ。


ミケランジェロは、大理石の亀裂や穴を石灰モルタルで満たして覆い、
初期の彫刻の表面に典型的は滑らかさを復元したそうで!

見事だったでしょうねぇ!! 
初めてこの彫像を見た人々の感嘆した顔が想像されますねぇ!

5世紀後に眺めたshinkaiも、あれこれいっぱい予備知識もあったのに、
わぁ~ぉ!!と思ったのですものねぇ。
 

そして、ここからが憤慨の修復のお話ですが、

1843年長年のヴェッキオ宮前に置かれたダヴィデ像の汚れ、保存法に
漸くに心配が始まり、

「レジー・ファッブリカ」の所長、彫刻家ロレンツォ・バルトリーニは
ダヴィデ像の修復をアリストデーモ・コストリ・Aristodemo Costoriに
依頼し、コストリは大変大雑把、疑わしい方法で修復を。

カサブタ、つまり重なり積もった汚れを取り除くために、50%の塩酸ベース
の液と、鋭利なアイロン(刃物状)を使用し、
最も抵抗力のある大理石の外皮を、深さ2mmも削り取り、
傷つけたのですね。

なんとも呆れるほどの大胆、大雑把な仕事で、この清掃の影響で、
既に非常に懸念されていたダヴィデ像の保護状態に更に悪い影響を!

可哀想なダヴィデ! 既に何世紀もそとの風雨にさらされ、肩や
カールした髪の毛などを侵食していたのが、
金属ブラシでこすったりもしたのだそうで!

読んだだけで、本気で大悪口を言いたくなりましたぁ!!


1846年8月29日トスカーナ大公レオポルド2世は、素晴らしい
アイディアを思いつき、クレメンテ・パーピなる彫刻家に、
ダヴィデ像の石膏模型を作らせたのですね。

パーピは即ワックス鋳物でダヴィデを覆う作業に取り掛かり、
その後にはブロンズ鋳物も作る事を視野に入れており、

ミケランジェロ広場のダヴィデ像は、
この時の基礎から作られたものだそうで。


ですから、今回の冒頭でご覧頂いたシニョーリア広場の痛めつけられた
ダヴィデ像は、この時のコストリの野蛮な清掃と、
ワックス鋳物でやっつけられた以降の像で! ますます惨めな様子に。


が、まだ暫く決定を待たねばならず、遂に1872年、不安定な保存状況
を考慮し、彫刻家バルトリーニ・Bartolini の関心と圧力のお蔭で、
長い議論の末、アッカデミア美術館に保管する事に決定。

建築家エミーリオ・デ・ファブリス・Emilio de Fabrisは、
ダヴィデ像を迎える為の特別なスペースを作る任務を負い、

9-Ritratto_di_emilio_de_fabris,_egisto_sarri_1899_circa_GF.jpg


トゥリブーナ・貴賓席と呼ばれる建設工事は1873年に始まり、
1882年迄完成せずだったのですが、


ダヴィデ像の長く困難な引っ越しは1873年7月31日に始まりました。

同年5月に巨人像の輸送を調整する微妙な仕事は上記のファブリスと、
エンジニアのポッラ・Porraに委任され、
これも貴重な写真で、輸送用の木製の檻に入れられたダヴィデ君!

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写真に、ALINARI とマークが入っていますが、これは上でご覧頂いた
野ざらしのダヴィデの写真と同じ、アリナーリ兄弟3名、
レオポルド、ロムアルド、ジュゼッペが1854年に会社を設立したもので、

後にフラテッリ・アリナーリ・アリナーリ兄弟、として世界中で有名になり、
イタリア写真の歴史を切り開いたのだそうで。

今回ご案内の古い写真は全てこのアリナーリ兄弟社のものですね。


で、1860年代中頃に、雨風を防ぐ為の小屋が作られた、という文があり、
shinkaiめは、上の四角い棒4本、の写真かと思ったのですが、

これを書きつつ、写真を眺めていて気が付いたのが、ほら、檻の背後、
ヴェッキオ宮の壁に添って縦に細長い木製の小屋があるじゃん!!

そうか、これがダヴィデがアッカデミアに移る前の10年かそこらを
過ごした小屋だったんだ、と気が付きましたぁ、良かった、分かって。



そうなると、ウッフィッツィ宮の間の通路の写真の年が不明確な、
バンディネッリの「ヘラクレスとカクス像」の後ろに、
ダヴィデの小屋が!

12-david-ingabbiato_GF.jpg

住人が既に引っ越し後の空の小屋をいつまでも置いとく筈はなく、
今またこれを書きつつ、バンディネッリのこの2人像はいつの作?
と調べましたら、1535年! 

すでに出来ていた像をここに移したのかもで、
バッチョ・バンディネッリの生涯も1488-1560、となると、

あれこれ教えて下さったサイト記事の説明自体が曖昧で、
ダヴィデは、まだ中にお住いの時期だった、というのもあり得、
1860年代の半ばの写真、なのかもですね。

やはり面倒でも自分でちゃんと調べ、確信をもって書く事なり!!

さて、ダヴィデ君のお引越し、1873年7月31日のDディに後少し、
木製のワゴンに、小屋から少なからぬ労力を費やし、台座なしの
ダヴィデを垂直に配置。

横隔膜の部分まで木箱のなかで、台座の部分、膝の高さ、脚の一番
高い部分で、しっかりと固定。

移動時の衝撃や振動の影響を軽減する為、サスペンション装置には
頑丈な鋼製ゼンマイ・バネを採用、

ワゴンがレールの上をゆっくりと進むように、レールも作られ、
街角で必要なカーヴに対応する為に回転床も設置。

こうしたアッカデミア美術館迄運ぶのを可能にした全ての
機械装置は、ローマの鉄道作業場で作られたのだそうで。

フィレンツェ「ブオナロッティの家博物館」に保存の、
ワゴンのモデル。

11-carro_GF.jpg


そうそう、そしてヴェッキオ宮前でダヴィデが上にいた台座は、
破壊するしか無く、

ラテン語で「Exemplum salutis publicae cives posvere・
国民に公共の安全の模範を示す事」という、どこか皮肉な碑文の
入った台座は、永遠に消えたのでした。



移動には1873年7月31日から8月4日までの5日間掛かり、
移動には朝の4時から11時まで働き、というのも、それ以降は本当に
暑くなるので働くには困難だったからで!

出発の模様を描いたスケッチで、台車はこちらに向かっています。

13-illustrazione-della-partenza-da-piazza-della-signoria-da-_GF.jpg


この事業がフィレンツェの人々にとって、如何に壮大な出来事の
体験だったのがよく分かるスケッチで、

ダヴィデが少しずつ動くのを見るチャンスを逃すまいとする
見物人で道はいっぱい、

アッカデミア美術館の壁に特別に開けられた開口部から、
ダヴィデは凱旋入場したと!

が、アッカデミアの貴賓室はまるで完成しておらず、ダヴィデ君は
またワゴンのまま、9年間の辛抱をする事になったのだそうで!!


が、多分この待ちの期間中、様々な長い年月の汚れも落とし、
修復もされたのでしょうし、


14-restauro-david-michelangelo_GF.jpg

こうして見ると、本来はきっとカールした髪の毛は、頭の上が平らで、
きっと悪修復で削り取られたのだ、と分かりますね。



現在はこうして新しい照明の下、

15-Galleria_dell_Accademia_di_Firenze__GF.jpg


常に定期的に状況診断を受け、お掃除して貰い、
一応快適な生活を送っておられるとは思うのですが、

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破壊工作10件のn.2、今回取り上げている、1991年9月14日の
足の指3本の損傷事件もあったので、


どうぞ、どうぞ、これ以上不測な事態が起こらぬよう、地震なども
起こらぬよう、願います!!

このダヴィデ像は、長生きし、芸術の最高の美を末永く、
全世界の皆さんにも伝えて欲しいのです。



この写真は、今回あれこれ見ていて気が付いた、

ダヴィデ君の瞳は、なんとハート型になっているのですよぉ!!

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そして「3月8日、女性の日」のおめかし、なんですと、可愛いぃ。

20-a8-marzo_GF.jpg


ミケランジェロ様、貴方ご自身は最後の最後まで制作を続け、
まさに芸術家の名に相応しい人生を全うされました。
心から、尊敬しております! 

どうぞ、
生み出されたダヴィデの人生も、見守ってやって下さいませ!!


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