・ さようなら ヘルムート・バーガー、 ヴィスコンティの想い出と共に

先日5月18日、スマホのニュースに一斉に出まわった
ヘルムート・バーガー・Helmuto Berger 78歳で逝去
ニュースに、ああ、遂に、の感が沸きました。


暫く前ヴィスコンティの記事で、映画「地獄に堕ちた勇者たち」
や「ルードヴィッヒ」に主演した彼の姿も強く思い出し、
彼の記事やら、写真も集めたのがそのままになっていたのでしたが、

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死去の報と共に、あれこれたくさん新しい写真が出回り、
自分が見た映画にも彼の姿があったのを見逃していたりを知り、

かっての彼の姿を驚嘆の目で見つめた一映画ファンとして、
ささやかな追悼の念を贈りたく、ここに。

参考にした記事は
ヘルムート・バーガー:忘れられた「呪われた天使」
Helmut Berger: l'”Angelo Dannato” Dimenticato

他に、ウィキペディアの日本語版、イタリア語版のそれぞれを。

「ヘルムート・バーガー」と読まれても、若い方には 誰、それ?!
と知らない方の方が多いかもですが、へへ、

1970年代には世界で最も美しい男と定義され、彼を発見した
ルキノ・ヴィスコンティのお蔭で素晴らしい仕事も出来、
いわば神話的な俳優、男性だったのですね。

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1944年5月29日オーストリアはザルツブルグの温泉地バート・イシュル
のホテル、レストラン経営者の息子として生まれたものの、関心なく、

役者志望を父親の大反対から、18歳で故郷を離れロンドンに。 
モデルとして働き、
その後イタリアはペルージャの外国人大学の演劇コースに。

1964年、20歳の時にイタリア文化の試験の為ヴォルテッラを訪れ、
たまたまヴィスコンティの「熊座の淡き星影」の撮影を見物
していたのを、ヴィスコンティが見つけ、

単純に見物人の一人に過ぎない彼に、寒い時期の撮影であり
助監督にマフラーを持って行かせた、と、日本版ウィキにあり、

イタリア版には、ペルージャからローマに移り、モデルの仕事や
映画助手として働いていた「熊座の・・」撮影時に
ヴィスコンティに出会った、と。

いずれにせよ、2人にとっては私的にも職業的にも運命の出会いとなり、
38歳もの年の差がある2人がお互いに一目ぼれ、だったそうで!


ヴィスコンティの監督したオムニバスの一話に、ほんの脇役で出演
したのが彼にとっての最初の映画、1966年の「華やかな魔女たち
でのデヴューと。

彼はドイツ語、英語、フランス語、そしてイタリア語が話せ、
おまけにこの美貌ですから、願ってもない大物新人の登場という訳で、

翌年、翌翌年の他の監督の主演映画と続き、


ヴィスコンティとの1969年の「地獄に墜ちた勇者ども」で
真の成功を掴み、ゴールデン・グローブ賞にもノミネートを。

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ナチス台頭の1330年代、当時の実在の鉄鋼一族で、後にティッセンと
合併したクルップ社がモデルの、ナチスとの協調路線を選ぶ事の一族内の争い、
そして凋落していく様子を描いた映画。


女装し、マレーネ・ディートリッヒの「嘆きの天使」を演じるシーンでは、
完璧主義で有名な監督は、撮影時に彼に完璧なコピーを要求し、
つまり、そうやって育てられたのですね。

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マレーネ・ディートリッヒからお褒めの手紙が届き、彼は嬉しく
ずっと保管していたと、後に出版した自伝に書いているそうで。


この映画内で彼の演じる人物、扮装をみると、如何に監督が彼を
可愛がり、彼の魅力を引き出し、見せる為に工夫したか分かる様で!

単なる甘い美貌というのではなく、どこか冷たさもあり、
底知れない感じも受けますが、それが監督にとっては魅力だったのかも。


この映画はまだ広島にいた頃、はぁ、xxx年以上前に見ており、はは、
その時は難しい時代背景を到底全部が分かったとはいえず、
が、強烈でとても興味深かったのをよく覚えており、

今回あれこれ読んでいるうちに、もう一度ちゃんと見たい、と
次に登場の「ルードヴィヒ」共々、即DVDを注文した所で~す。


ヴィスコンティはヘルムートに様々な文化的教養も身に付けさせ、
世界の著名文化人にも会わせ、逆にまた嫉妬深く、夜遊びにも規制を。

が彼は、誰よりも師として尊敬し、時には父親以上に父親の存在で、
そして「恋人」でもあったと。


当時は未だ同性愛はタブー視されており、最初の頃は関係を隠そうと
していたものの、じきに公に知られるようになり、

彼の両性具有的な美しさとバイセクシュアリティは、俳優自身の
側面として、映画のみでなく、雑誌、写真家の世界でも
引っ張りだこの有名人、一躍の著名人となり、映画にも連続し。


1970年には、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「悲しみの青春」に。

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当時イタリアで大ヒットの小説「フェンツィ・コンティーニ邸の庭」
を映画化したもので、

第2次大戦下の、イタリアでもユダヤ人排斥が起こる直前の
フェッラーラの町で、ユダヤ人の若者たちが大富豪のユダヤ人邸宅の
テニス場に集まり楽しんでいる様子が描かれ、そして・・という物語。

デ・シーカ監督はこの作品でアカデミー賞を取ったそうで。


この真ん中がヒロインで、右が彼女を愛する彼、そして左が
ヘルムート扮する兄、という設定。

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映画を見て、フェッラーラを2,3度訪問し場所が分かるだけに、
どこが実際に?と地図を探し回ったり・・、で、
他の資料も見つけましたので、また別にご案内を。


他にヘルムート出演の映画はあれこれあるのですが、私めが見たのに
一応限らせて頂き、


1971年にはヴィスコンティの「べニスに死す」があり、 
これは見ており、

タッジューに扮した美少年、ビヨン・アンデルセンがその美しさで
大評判となりましたが、

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何年か前に、誠に失礼ながら、老年になった彼の余りの落差に驚き、
恐ろしくなる程で、また彼がヴィスコンティが自分の将来を壊した、
という様な事を書いたか、言ったか、というので、

他人事ながら、ヘルムートもひょっとして、と恐れを感じたりで。



1973年にはヴィスコンティの「ルードヴィッヒ」。

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ドイツ・バイエルンの「狂王」と呼ばれたルードヴィッヒ2世を描いたもので、


はい、かのノイシュバンシュタイン城を造られ、

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ワーグナーの音楽に魅せられ、芸術を愛し、浪費に満ち、国庫を圧迫、
遂には国会より退位を迫られ、謎の水死を遂げられた王様。

この映画の始め、戴冠されての登場場面で、如何にも「白皙の貴公子」
の凛々しい姿に、わぁ~お!と痺れた、未だ若きshinkaiめで、ははは。


ですがぁ、今回実際のルードヴィッヒ王は、と写真を見ましたらぁぁ、
なんとまぁ、

どちらが美男、と言えない程の美男でいらっしゃり・・! 恐れ入りましたぁ。

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ですが、次第に酒に、怠惰な生活に溺れ、はい、この王も同性嗜好だったそうで、

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甘い物にも目が無く、若くして歯も抜ける様な生活の果てに、40歳で!

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この「ルードヴィッヒ」の撮影は済んだものの、これから編集を
という1972年7月27日、ヴィスコンティは脳卒中に見舞われ、
過酷なリハビリの後も左半身に麻痺が残る状態に。


が、その後2本映画の撮影を行うことが出来、

1974年に「家族の肖像」。
ヴィスコンティの「山猫」主演のバート・ランカスター、そしてヘルムートも
主演しており、

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シルヴァーナ・マンガノ、「ベニスに死す」のタッジューのマンマ、
とヘルムート。 

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これは見ておりませんが、ヴィスコンティの死後に公開された日本で
大ヒットだったそうで!



そしてヴィスコンティ最後の作品「イノセント」1976年。

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これも素晴らしい映画でしたね。


撮影中のヴィスコンティの姿、う~ん、かなり痩せておられますね。

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そして同年3月17日、ローマにてヴィスコンティは69歳で亡くなります。

実の貴族家出身ならではの、華麗な背景の描き方は独特で、
という映画が続き、その美意識と儚さ、剛腕と繊細さが見事でした。


ヴィスコンティ家の 香り付きおしろいと、香水のお話 そして
https://www.italiashiho.site/archives/20220612-1.html


が、彼の死後ヘルムートは大変な個人的危機に陥り、
深酒、麻薬に落ち込み、公衆の面前で立ちショxを、という様な
写真も見た記憶があり、

ヴィスコンティの亡くなった1年後のその日に、彼は自殺未遂をはかり、
極限状態で救われたそうで、

自分自身を「わずか32歳の未亡人」と呼んでいたという、
彼らの12年間の重みが想像されます。




それ以降のニュースは知らずのままでしたが、

今回の彼の逝去の知らせと共に、その後の仕事状態も分かり、
当時に比べると細々と、という感じですが、

周囲の友人に助けられつつ、という状態ながら仕事が続き、
やはり出演すると、それなりの存在感で消えずに残り、


暫く前TVで見た、フォード・コッポラの「ゴッドファーザー、n.3
1990年に、スイスの銀行家として出ていた、と知り、

登場人物はすぐ分かったものの、顔を見ていたのにまるで
分からずだった彼の写真を探しました。

何年も前に大ゴシップで出た、ヴァティカンとマフィアの関係で
ロンドンのテームズ河で死体が発見された実在人物を模した様で、

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この時は、彼は鬘で禿頭に していたそうで!



こちらは映画以外のスナップの様ですが、上と同年代でしょうか。

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その後も彼自身の記録映画等もあった様ですが、深酒、乱れた生活
等も写っており、ヴェネツィア映画祭での上映では問題になったとか。


もっと年配の写真も見つかりましたが、一ファンとして上の写真を最後とし、


冒頭で述べましたように、この5月18日、79歳の誕生日の前夜
午前4時にザルツブルグで亡くなったそうで、
ドイツのマスコミによると、彼の死は「予期せぬ」ものだったと。



アッディオ、ヴィスコンティのお気に入りだったヘルムート・バーガー.

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若く美しく、そして素晴らしい作品は永遠にあなた方の名と共に残り
幾世代もの人々が憧れる存在として、いつまでも。 アッディオ!!


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この記事へのコメント

  • クリス

    色鉛筆の方でコメントが出てこないのでエミーリア・ロマーニャの豪雨について書きますが、大変な事態でお悔やみ申し上げます。
    18日にブリュッセルから帰国しましたがヨーロッパ全土天候不順という事で安定しない天気が続きイタリアが酷いという事も聞いておりました。深刻ですね。メローニ首相もサミット途中で帰国というニュースもありましたが、宣言も出た後の帰国でしたので実質的には日本での主要スケジュールをこなした後の帰国ですから、後の活動を拝見する限り精力的に行動されており感心する次第です。日本にいて支援といっても限られた事しか出来ませんが無関心でいる事が一番の害悪なんだろうなと思っています。
    Forza, Italia!
    2023年05月23日 09:12
  • shinkai

    ★クリスさん、こんにちは、早速にコメント有難うございます!
    ヨーロッパからお戻りの後、お疲れが出ておりませんように。

    今年のイタリアは旱魃は免れたものの、異常な集中豪雨となり、今朝のニュースでは、今日で2日お天気が続いているのですが、
    ラヴェンナ県の方でまだ水が引いていない所があり、避難所から戻った方も、まだの方も、という様子で、
    山崩れの心配もまだまだある様です。

    豪雨であの一帯は時に氾濫もあるのですけど、今回ほど大規模なものは久し振りで、イタリアは本当に天災の切れ目がないなぁ、と被災地の方がお気の毒です。

    木曜の午後からまたピエモンテの方から雨になる様な予報が出ており、これが気になります。


    はい、広島サミットで、背景に写る記念公園や、宮島の風景を楽しんでいたのは良かったのですが、

    被害地の人や政党関係者は、いつまで日本に、と焦っておられたでしょうし、日本に行く前に、どこだったっけ、に行き、その足でアイスランド、そして日本行きだったので、

    メローニ自身、ゼレンスキーにもバイデンにも、マクロンにも会った後は早く帰りたかったことでしょう。
    まだお若く、口も早いですが行動も早く、政治家は口と若さだなぁ、と感心しています。

    首相になる前の彼女は好きなタイプではありませんでしたが、野党のいつもの非難応酬ばかりでしたし、はは、

    でも首相になられてからの様子を見て、良くこなしておられると見直しています。
    既に一線に立たれてからも長いですし、ヴィジョンを持たれ、国の為に、という様子が見えるので、この先もかなり行けるのではないかと思います。

    イタリアへの応援、有難うございます!!


    2023年05月23日 15:35
  • TOMOKO

    Shinkai様
    ヴィスコンティは10代でノイシュヴァンシュタイン城の写真を見て、「行きたい!」と思い、やっと35歳で初めてヨーロッパへ行き、ロマンティック街道のバスの中から見えた時の感動!
    若い時は耽美的?なものに惹かれていたので、ルートヴィヒを見たくて、たしか岩波ホールでしか見られなかった時代だったと思いますが、感動。

    後にミュンヘンに行った時は、彼が死んだところ、湖に立て札があったと思いますが、そこを見に行くほど好きでした。それからずっとヴィスコンティの作品はほとんど見ています。「地獄...]も好きだったし、ヘルムート.バーガーは勿論。怖いほどの美しさ。
    今でも好きですが、年をとるにつれてもう少し社会にも目が行き、フェリーニも好きになり、少しずつ変わってきましたが、
    記事を読んで、若かった頃の自分の世界を思い出し、懐かしくなりました。自分の事ばかり、ごめんなさい!
    他の記事も楽しく読ませていただいています。








    2023年05月25日 21:39
  • shinkai

    ★TOMOKO様、お久し振りです、こんにちは! コメント有難うございます。

    はぁい、あのヴィスコンティとヘルムートのコンビ、あれは本当に最高のコンビですよねぇ!
    「山猫」でアラン・ドロンが出てましたが、ヘルムートと比べると甘すぎるというか、軽い感じというのか、やはり違いますよね。

    そうですか、ノイシュヴァンシュタインをご覧になられましたか、良いなぁ、私はまだミュンヘンも行った事が無いのです。
    湖まで?! わぁお、これは凄い!

    そうなんですよねぇ、若い頃は一途に、はは、感動したものに憧れますけど、次第に自分本来の姿も分かって来て、ですよね。

    ただ私はフェリーニが余り好きでない、というのは、やはり同じイタリア人監督でも、フェリーニは、誰もが分かる様な描き方、というのか、底辺を広げている感じがして、その辺りに引っ掛かるのです。

    懐かしく思い出して下さったそうで、良かったです! ヘルムートも78歳だったのですね。
    年が行ってからの写真は、あの若い頃の鋭さが、顔にも深酒のせいかむくみが感じられ、ちょっと辛い人生を経た様な・・。

    そうですね、これが人生、生きる、という事なのでしょうね。 
    彼は若い出発点で、最高の物に出会ってしまい、その後の穴が自分だけでは埋められなかった、という事なのかもですね。

    注文したDVDの「ルードヴィッヒ」は届き、来週早々にも「地獄に堕ちた・・」と「家族の肖像」も届きそうで、楽しみに待っている所なので~す。

    有難うございましたぁ。


    2023年05月26日 04:19
  • TOMOKO

    shinkai様
    実はシンドラーのブログに感動したのですが、このパソコンが古く、メールアドレスを変更させてください。
    映画は以前見ましたが、こんなに大変な過程を経てつくられたのですね!
    アウシュヴィッツとビルケナウは?十年前に、当時はタクシー10ドル位で一人で行きました。
    クラクフであのレオナルドをご覧になるのですね!
    ブログお休みは寂しいですが、過去記事など読んで過ごします。

    お忙しいと思いますので、お返事無用です。
    Buon Lavoro! Tomoko
    2023年06月02日 21:05
  • shinkai

    ★TOMOKOさま、こんにちは! コメント有難うございます。

    あ、シンドラーの方も見て下さったのですね。 良いと言って頂けると、あれこれ調べて知った事をお伝え出来た様で、とても嬉しいです。
    有難うございます。

    そうなんですね、私も初めて知りましたが、本が出版されたのも1982年というので戦争が終わって37年、そしてまた11年ですか、
    大きな悲惨な体験を咀嚼するのには、かなりな時間が掛ったのでしょうね。

    戦後直後は、皆誰もそういう事を喋りたがらなかったみたいですし、まだナチスの残党もしっかり残っていて、逆に報復を恐れた、という事もあったみたいで、根が大変深いのだろうと思います。

    でも、出来上がったあの映画はやはり素晴らしいもので、お涙頂戴でもなく、報復でもなく、淡々と描いていて、静かな感動を呼び起こしますね。

    もう既にアウシュヴィッツもビルケナウも行かれたのですね。さすが! レオナルドのあの絵も、やはりお城の方でご覧になられたのでしょうね?!
    私は多分2度見に行けると思います、ムヒヒ。その為にもクラコワに行くのですし、また行ける、とは余り思えませんしね。

    新メール・アドレス、有難うございます。 近日中に私の方からメールを差し上げますね。 そしたら、私のアドレスもお分かりになるので、何かあったら書いてやって下さい。
    絵の仕上げは頑張らないといけませんが、夕方には閉めますから、全然大丈夫です。

    ではでは!
    2023年06月03日 04:17