クラコフの中央広場、中世から様々な市の取引で賑わい、
中央には織物会館と呼ばれる歴史ある大きな細長い建物が残る、
中央広場ですが、
中央には織物会館と呼ばれる歴史ある大きな細長い建物が残る、
中央広場ですが、
その北東角に聳え立つ、2つの塔のサンタ・マリーア聖堂が
今回のご案内です。
今回のご案内です。
情けない事に、左側の塔の先端がちょん切れており・・!
同じ構図で撮ったのがありませんで、ご容赦です。
これを撮ったのは、初日の午後チャルトリスキ博物館見学で
レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱いた貴婦人」にお目通りし、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱いた貴婦人」にお目通りし、
気分良く出て来た所で、この姉妹に手を振って貰い、
一層気分良く、ミ~タさんと晩御飯はどこにしようか?と通りの
レストランのメニューを覗きながら中央広場に出て来て、
レストランのメニューを覗きながら中央広場に出て来て、
休憩しよう!と広場を眺める織物会館前に並ぶカフェのテーブルに。
それぞれジュースとビールを頼み、ふっと後ろを見て気が付くと、
J.Noworolski・J.ノヴォロルスキーという店。
アーチの下に見える1910年という通り、ここに当時現在の名のカフェが
オープンしたのだそうで。
オープンしたのだそうで。
クラクフのエリート層、芸術家、教授たちの間で人気が高まり、著名人の
たまり場となっていたのが、ナチス占領中に接収され、ドイツ人のみが
利用できる店に。
たまり場となっていたのが、ナチス占領中に接収され、ドイツ人のみが
利用できる店に。
戦後はロシア共産主義により国有化され、名前も変わっていたのが、
共産主義崩壊後1992年に漸くに家族に返還され、今の姿。
共産主義崩壊後1992年に漸くに家族に返還され、今の姿。
という事で、まさにポーランドの変遷をそのまま辿った店なのでした。
ビールを注文するのに、大ジョッキだとxx値引き、と見たものの、
到底大を飲む程ではなく頼まなかったのが、
その後若いボーイさんが来て、大ジョッキだと‥、と勧めたのには
笑いましたっけ。
到底大を飲む程ではなく頼まなかったのが、
その後若いボーイさんが来て、大ジョッキだと‥、と勧めたのには
笑いましたっけ。
何語だったのかも朧ですが、こういうのはちゃんと分るのが不思議!
今は朝食と、真夜中過ぎの食事が出来る様で、昼はカフェのみの様子!!
こちらが広場北側の建物の流れ。
午後遅めの時間の太陽の下で気持ちよく休憩しながら、
あっ、まだ、サンタ・マリーア聖堂が開いている時間だね、と
気が付き、じゃぁ、行こう!と。
気が付き、じゃぁ、行こう!と。
こちらが広場の北東隅に斜めに位置する聖堂の、ちょっと飛び出した
入り口ですが、
扉を開け入りかけ、ミ~タさんが「この入り口は信者さん用」と言い、
そう、今回の2人の旅行で気が付いたのは、彼女は本当に予習が
素晴らしい方で、パッと入りかけ即気が付いた、というのもその一つ。
素晴らしい方で、パッと入りかけ即気が付いた、というのもその一つ。
グーグル・マップで上からの写真を切りとったのでご説明すると、
聖堂の広場側に入り口があり、一般観光客はこちら側に回り、張り出した
部分に扉が見えますね、 あそこから入ります。
部分に扉が見えますね、 あそこから入ります。
で、入ると、切符を向かい側で買って来て、と言われ、はぁい、と、
建物自体が斜めになっている、聖堂入り口の真向かい辺りで切符を。
ついでにご説明すると、こちら側の右角の上、黒い屋根に塔のある部分が、
聖バルバラ教会。
聖バルバラ教会。
16世紀に教会でのお説教をドイツ語からポーランド語で、となり、
この時に来るクフのドイツ系の大きな共同体が、こちらの小さな
聖バルバラ教会に移したのだそうで。
で、こちらの入り口から聖堂内に。
入った途端に管理人らしい方が、日本人か? と聞いて来て、はい、と
いうと、何の言葉だったっけ、日本語で迎えてくれ・・!
ははぁ、団体の日本人観光客が教えたんだ、と想像を。
いうと、何の言葉だったっけ、日本語で迎えてくれ・・!
ははぁ、団体の日本人観光客が教えたんだ、と想像を。
一廊式の細長い天井の高い聖堂で、長さ100m、幅約40m、高さ80m、
わぁお、と声が出る程のびっしりの装飾で、天井にも金の星が煌めき。
中程に見えるのが、内陣との境で、十字架上のキリスト像が。
奥に見えるのが、有名なこの聖堂のお宝ファイト・シュートス・
Wita Stwoszaの祭壇画、木製彩色の15世紀後半のもの。
Wita Stwoszaの祭壇画、木製彩色の15世紀後半のもの。
この聖堂は「聖母被昇天教会」が正式名で、ポーランド・ゴシック様式の
建築物の好例なのだそうで、
建築物の好例なのだそうで、
元々の聖マリア聖堂は1221-22頃に設立され、13世紀に3度に
渡ってのモンゴル侵攻により破壊され、
その廃墟の上に1290-30年に再建され、1320年に聖別。
完全な再建は1355-65年で、内陣が伸ばされ、背の高い窓が出来、
1395-97年に、新しいヴォールト・穹窿と共に中央部分が完成。
が、1442年の大地震により、内陣、ヴォールトは崩壊、とあり、
現在のはその後の再建なのですね。
現在のはその後の再建なのですね。
と次々に新しく姿が変わっていき、
15世紀に今も特徴ある姿を見せる2本の塔が出来、
高い81mの北塔が、街全体の監視塔、時計塔として、とは言え
時計は無く、
時計は無く、
1時間毎にトランペットで知らせるヘイナウ・Hejnał と呼ばれる、
招集、知らせが行われ、
13世紀のモンゴル襲来で警笛を鳴らしていたラッパ兵が喉を射られ、
途中で中断、という逸話に従い現在も中断を、私めも聞きましたです。
途中で中断、という逸話に従い現在も中断を、私めも聞きましたです。
重さ350kg、直径2,4mの金の王冠が尖塔上方に捧げられ、
低い方の塔は69mで、ルネッサンス様式の丸天井を持ち、
鐘楼として機能していると。
こちらは上の写真の、内陣との境の左手前に見えている説教壇。
では後陣背後の見事なステンドグラスも気になるのですが、
徐々にお宝の祭壇画に近寄って頂き、
木彫刻、彩色、金メッキを施した5枚の木製パネル。 5枚とは、
翼の裏側に、キリストと聖母マリアの生涯の12の場面があるのだそう。
1489年に奉納された、高さ13m、幅11m、翼を広げた状態で、
と、この種の作品では中世の最大作品の1つだそうで。
と、この種の作品では中世の最大作品の1つだそうで。
中央下はマリア様が亡くなり、今、天上に昇天される所で、
中央上に、キリストとマリア様が天使達に囲まれており、
ボケ写真ご容赦。 その中央枠上に、マリア様の戴冠場面、
周囲は聖人たち、という姿。
周囲は聖人たち、という姿。
でshinkaiは、この中央のマリア様の姿、とりわけ手の表情に?!となり、
「昇天される所」とピンと来ず、執拗に撮っておりまして・・!
でもこうして細部が見えると、衣服の襞の流れ、布の表情も見事ですし、
周囲の聖人達の手の表情、静脈がしっかり彫られているのにも感嘆!
周囲の聖人達の手の表情、静脈がしっかり彫られているのにも感嘆!
マリア様の顔の右上のお髭も凄いですが、左上の、どなたかな、の
額にちょっぴり残った髪も可愛いでしょ?! はは。
こちらは左右の扉部分、左側の上から、受胎告知、生誕、3博士礼賛。
右側上から、キリスト復活、キリスト昇天、聖霊降下。
3本の、主としてシナノキの幹から彫られ、他はオーク材、背景は
カラマツ。
カラマツ。
ファイト・シュートス(1447-1533 ニュールンベルク)がこの主祭壇の
制作でクラコフに呼ばれたのが1477年30歳の時!
制作でクラコフに呼ばれたのが1477年30歳の時!
途中短い中断を挟んだものの、約12年の歳月をかけて仕上げられ、
2000ギルダーを超える制作資金は、クラクフ市民が出資したそう。
2000ギルダーを超える制作資金は、クラクフ市民が出資したそう。
ナチス・ドイツの占領下に、この祭壇画はドイツに持ち出されたものの
無傷で生き残り、1946年にポーランドに返還、
1957年に漸く聖マリア教会に戻されたのだそうで、良かった!
無傷で生き残り、1946年にポーランドに返還、
1957年に漸く聖マリア教会に戻されたのだそうで、良かった!
ファイト・シュートスの生涯について読みましたら、
後年、詐欺的な債務者に騙され、請求書を偽造したのが発覚、
有罪判決を受け、頬に焼き印を押されたのだそうで、
有罪判決を受け、頬に焼き印を押されたのだそうで、
この受けた恥辱は長年にわたり、芸術家の精神的、経済状態に
影響を及ぼした、とあります。
影響を及ぼした、とあります。
かなり激しい性格でもあったようですが、こういう事件は本当にお気の毒。
1518年になり、初めてニュルンベルクのサン・ロレンツォ教会の
受胎告知の記念碑群の彫刻を再開した、とあり、
受胎告知の記念碑群の彫刻を再開した、とあり、
これ、素敵でしょう?!
クラクフの後、徐々に彼は自分のスタイルを和らげた、ともあるので、
不幸な事件の後、自分に折り合いをつけての新しいスタイルを
不幸な事件の後、自分に折り合いをつけての新しいスタイルを
見つけていた事を願います。
こちらは元に戻り、クラクフのサンタ・マリーア教会の合唱団席と。
内陣側から見る天上の煌びやかさ。
パイプ・オルガン席。 この装飾もちょっと飛んでいる感じで・・。
各時代の改装により、装飾のスタイルも違い、混然としているのが
面白くもあり、摩訶不思議な世界ともなり。
面白くもあり、摩訶不思議な世界ともなり。
こちらは脇の礼拝堂。 はい、クラコフ出身の教皇ヨハネ・パオロ2世様。
こちらの装飾は、中央部の入り口を入った辺りと。
という所で、聖堂を出て、こちらが上のグーグルの地図で書きました、
ドイツ系の住民たちが移ったという、お隣の聖バルバラ教会。
中をちょっと覗き。 確かに小さく、でも明るいですね。
これは聖堂横広場にあった、聖堂の模型で、
別の日の朝、聖堂の背後を歩いた時の姿を。
高い方の塔の尖塔部。
そして中央広場から。
中央入り口の上の、円筒部内のマリア像。 天井にもやはり金の星。
こちらは、中央広場に面したお高いアパートにお泊りのミ~タさん
のお部屋に呼んで頂き、夜空の広場のあれこれを撮った時の1枚、
織物会館越しに見える、ライトアップされた2つの塔。
*****
** 10月の広島個展のDMが出来ました! **
10月4日から9日までの、広島三越展のDMが出来上がりました。
印刷の色合いが少し暗くなった様でもありますが、
この夏の外のプール体操で、私め自身も真っ黒になっておりまして。
どうぞお出かけ、ご高覧頂けます様、お願い申し上げると共に、
会場でお会いできる事を楽しみにしております。
*****
当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
色鉛筆+水彩画ブログには、
をアップしています。 ご訪問よろしくどうぞ!
*****
この記事へのコメント