この18日水曜の夜、無事広島三越での個展を終え、
北イタリアはヴェネト州、スコミーゴ村の我が家に戻りました。
北イタリアはヴェネト州、スコミーゴ村の我が家に戻りました。
ブログもほぼ1か月のお休みとなりましたが、
今回の日本行きは、私にとって本当に意義深いものとなりました。
今回の日本行きは、私にとって本当に意義深いものとなりました。
会場にお出かけ下さった皆様方、あれこれお話しできた事、
絵をお買い上げ頂いた事などなど、
絵をお買い上げ頂いた事などなど、
とりわけ今回私めの絵について、多くの方から良いご評価を頂け、
少しは進歩したのかも、と内心自分で思っていた事と重なり、
少しは進歩したのかも、と内心自分で思っていた事と重なり、
本当に有難く、頑張って良かった!の御褒美となりました。
有難うございました!!
心より御礼申し上げます。
心より御礼申し上げます。
今回のブログは、とりあえずの更新を、詳細を見て頂きたいのも
まだ写真整理が出来ておらずですので、
日本での3週間をどの様に過ごしたのかを、見てやって下さいませ。
まだ写真整理が出来ておらずですので、
日本での3週間をどの様に過ごしたのかを、見てやって下さいませ。
まずは9月29日の早朝、ヴェネツィア空港6時半発でミュンヘンに。
滑走路に出る時の窓から見えた日の出前の空。
真ん中に見える鐘楼と屋根は、多分トルチェッロ島のものと。
向きが少し西側となり、左端近くに見える高い鐘楼はヴェネツィア本島、
サン・マルコ聖堂の鐘楼。
離陸し北に向かう時に見えた、赤~い満月。 綺麗でしたぁ。
アルプス越えに掛かっても、まだ月が見えました。
ミュンヘン着7時半、そしてANAに乗り換え11時15分離陸。
これからが長~~い長~い夜の始まりで! 機内はびっしりの満席。
これからが長~~い長~い夜の始まりで! 機内はびっしりの満席。
おまけに斜め後ろの女性がひっきりなしにマスクなしで重い咳を
し続け、到底眠れず、映画を今迄通常の3本を破り、4本見ましたぁ。
日本語版の「トップガン・マーヴェリック」まで見ちゃったもんね!
日本語版の「トップガン・マーヴェリック」まで見ちゃったもんね!
羽田6時55分到着、8時15分広島行に乗り換え、9時40分到着。
45年以上の友人宅にいつもの如くお邪魔し、積もる話、絵の話様々。
彼女は日展出品作の最後の仕上げ中。
彼女は日展出品作の最後の仕上げ中。
2人で「研究会」と称し、ははは、あれこれ話せたのがとても楽しかった!
こちらの友人達とは絵の話が出来ないのが私にとっての不満で、
今回は4年振りの憂さ晴らし、とでも、ははは。
今回は4年振りの憂さ晴らし、とでも、ははは。
最後の滞在日に一人宮島に出かけました。 暑い程の良いお天気で、
フェリーの渡し船で風に吹かれ。 宮島も遂に入島税100円也。
今回は厳島神社には寄らず、まっすぐにロープウェイ乗り場に向かい、
途中乗り継いで一番上まで。
途中乗り継いで一番上まで。
上から眺める、宮島の船着き場付近。 背後に見えるのは牡蠣の養殖筏。
上の到着場から歩いて30分程で、弥山の頂上まで行けるというものの、
うん、これは先の長い旅だから、と控え、すぐ横の展望台からの眺めを
楽しみました。
うん、これは先の長い旅だから、と控え、すぐ横の展望台からの眺めを
楽しみました。
瀬戸内の眺めはいつも素晴らしく、心が晴ればれと。
3日に友人宅から三越近くのホテルに引っ越し、搬入を済ませ、
4年振りの個展が9月4日から9日まで開催。
写真は、我が絵の師であり、友人の二木一郎さんが撮って下さったもの。
まず7階画廊入り口から。
入って左の内側。
左側の壁面。
左の壁面から、正面に。
正面。
右の壁面、奥から手前に。
という並びで、素晴らしいお花もたくさん頂き、有難うございました!
個展終了の翌日、大きなカバンを広島駅の荷物預けに預け、
呉の大和ミュージアムを目指します。
呉の大和ミュージアムを目指します。
こちらは潜水艦の実物。 浅瀬に沈没したので、引き上げられたと。
で、この日は火曜日で、私のスケジュールはこの日しかなく、
意気揚々と出かけたのが、着いてから、火曜はどこもが休館と知り・・!
ぶぅたれて戻る所が、ボランティアの小父様に声をかけられ、
余りにも火曜日に来られてどこも見られない方々が多くて気の毒という事で、
江田島の小間迄の渡し船のコースや、様々な説明をして下さるというので、
有難くお願いしたのでした。
余りにも火曜日に来られてどこも見られない方々が多くて気の毒という事で、
江田島の小間迄の渡し船のコースや、様々な説明をして下さるというので、
有難くお願いしたのでした。
これは私めが、ガラス越しでも良いから、覗ける所はありませんか?
とせびり、裏側のガラス越しに覗かせて貰っての大和10分のⅠの模型。
とせびり、裏側のガラス越しに覗かせて貰っての大和10分のⅠの模型。
立ち入り禁止の柵を横にずらし入り、ははは、ガラスに貼り付いてで、
一番前に見える横並びの3本が主砲の、史上最大にして唯一の
46センチ砲が搭載された姿!
46センチ砲が搭載された姿!
図で見ると、全長263m、この砲から前の長さが後ろの長さと同じ程
に見え、ガラス窓越しにはそんな大きさが想像もつかずで残念無念。
に見え、ガラス窓越しにはそんな大きさが想像もつかずで残念無念。
艦橋の高さもなんと50m近い、当時としては世界最大の超弩級戦艦、
乗組員も3332名。
乗組員も3332名。
それが沖縄戦に参加する為に出帆した所を待ち伏せされた形で
めちゃくちゃにやられ、生き残った兵士は一割にも満たない数だったと。
めちゃくちゃにやられ、生き残った兵士は一割にも満たない数だったと。
先日亡くなられた谷村新司さんが歌われる「昴」も大好きですが、
「群青」を聞くといつも「戦艦大和」を思い、切ない想いでいっぱいとなり、
呉に博物館が出来て以来、いつか必ず、と思い出かけたのでしたが、
また先延ばしの希望となりました。
潜水艦に乗れるよ、とずっと昔グループで連れて行って貰ったのが、
残念、普通の自衛艦だったとか、
残念、普通の自衛艦だったとか、
海軍士官学校の博物館に残されている若き士官たちの遺書を
読みながらボロボロ涙がこぼれた事、忘れません。
明日はどうするの? 呉に行きます。 何しに? 大和を見に。
やまと? うん、戦艦大和。 ・・呆れた目で見たな?!
やまと? うん、戦艦大和。 ・・呆れた目で見たな?!
あんたは変わらんねぇ、とも言われ、そうよン、変わらんのよン。
11日の早朝に広島を発ち、淡路島の両親、姉2人のお墓にお参りし、
新大阪迄新快速、そして新幹線に乗り継ぎ東京に。
新大阪迄新快速、そして新幹線に乗り継ぎ東京に。
これは師の二木さんのお家の預かって貰っている古い絵をぼちぼちと
イタリアに返送する為で、無事3箱船便での発送を済ませ、ほっと。
日本からの船便は2か月程もかかるでしょうねぇ。
イタリアに返送する為で、無事3箱船便での発送を済ませ、ほっと。
日本からの船便は2か月程もかかるでしょうねぇ。
そして14日のお昼前に、再来年2025年の3月に予定している
東京八重洲地下街のギャラリーの下見も済ませ、
東京八重洲地下街のギャラリーの下見も済ませ、
新幹線で京都まで行き、そしてJRの奈良駅に、奈良に3泊の予定。
15日日曜の朝8時半頃に東大寺に行くと、うっすらと山に霧がかかり、
とても良い雰囲気で、まだ観光客も少なくやれやれ。
とても良い雰囲気で、まだ観光客も少なくやれやれ。
が、東大寺の中門の手前から子供たちの合唱の声が聞こえ、
閉まった門の格子から覗くと、なんとすっかりお祭り仕様の飾り付け!
閉まった門の格子から覗くと、なんとすっかりお祭り仕様の飾り付け!
南大門を過ぎた所で、古代衣装を着けた男性たちが動いているのに
気が付き、立ち止まってお話中の着物姿の女性達に、
お伺いいたします、今日は何があるのでしょうか? と尋ねると、
気が付き、立ち止まってお話中の着物姿の女性達に、
お伺いいたします、今日は何があるのでしょうか? と尋ねると、
東大寺開祖の良弁僧正1250年のご法要があり、9時半から
行列が通ります、との事で、
行列が通ります、との事で、
きれいに着飾った方々が列を作り、あれま、中に入れないのかな、
と一瞬心配したのですが、あちこちで聞きながら入場料を払い、
無事に一般見学で入れました。 が、
と一瞬心配したのですが、あちこちで聞きながら入場料を払い、
無事に一般見学で入れました。 が、
真ん中の通りを挟みきちんと椅子が並べられ、ぼちぼちと招待された
方々が入って来て座られ、一般見学者はその後ろを通り、
大仏殿の中も通れるものの、
大仏殿前には舞台も設えられており、これはきっと奉納の舞がある筈、
見たい、と覚悟を決め、少し高めの位置に留まる事に。
見たい、と覚悟を決め、少し高めの位置に留まる事に。
でね、舞台上の素朴で古風な舞も滑稽で、少し遠いものの見れ、
こんなお獅子の登場もあり、写真を整理しお目にかけますね!
こんなお獅子の登場もあり、写真を整理しお目にかけますね!
で、9時前からずっと立ち続けで見学し、3時間半ほど!
でも納得、大満足!!
でも納得、大満足!!
その後もう大混雑の大仏殿内にも入り、何年振りか思い出せない
大仏様にもおめもじし、お賽銭も入れ、お祈りもしたのでした。
その、奈良に行こう、と決めた時から頭の中にドカッと居座った
二月堂の裏参道の塀に挟まれた道、に再訪を。
二月堂の裏参道の塀に挟まれた道、に再訪を。
ずっとどこかに、あの道は描ける、描きたい、という想いが
残っていたのが吹き出して、行ったり来たりしつつ撮りました。
東大寺の舞でパシャパシャやったのでカメラの電池切れ、スマホでも。
その後遅いお昼を食べていると雨となり、
その日の予定としていた、興福寺の国宝館、阿修羅像をとにかくも、
その日の予定としていた、興福寺の国宝館、阿修羅像をとにかくも、
と雨の中を歩いて辿り着き、拝観を。
草臥れてホテルに戻り、奈良の一日目は終わり。
翌朝は法隆寺に。 私めは未だ法隆寺を訪問した事が無く、
ここも観光客で溢れないうちに、と開館時間ちょうどに。
この静謐感、落ち着き、何とも素晴らしく、ああ、来れて良かった!!
ゆっくり歩き、様々に見つめ、撮り・・。
その内にワイワイガヤガヤ、小、中学生の団体さんが次々と!!
中宮寺も訪問でき、どこでも質問すると必ずしっかりと丁寧に
お答え頂ける、そんな喜びもありました。
お昼頃に奈良に戻り、再度二月堂の裏参道に。
気に入った場所は、そして、描けそうかも、という場所も、
最近は再訪する事で頭に焼き付けます。
そんな場所の訪問は、1人で、心ゆく迄、が自分の内に残る様で。
広島に戻り、羽田までの飛行機に乗る17日。
出発前の朝の2時間程、興福寺境内を歩きました。
初日に見た興福寺の国宝館の看板も改めて撮り、この照明と
実際は違いますが、素晴らしい国宝館でした。
実際は違いますが、素晴らしい国宝館でした。
中金堂。この素晴らしい佇まい、広がりの美しさ、奈良は良いなぁ!!
修復が始まっている五重の塔も、上の方は何とかまだ大丈夫ですが、
朝の強い逆光の中で色が出ません。
朝の強い逆光の中で色が出ません。
朝の公園内で出会う鹿たち。
牡鹿達はしっかり角を刈られており、でもね、雌を見ては鳴く、
というか、遠吠えをするのです。
鹿の鳴き声を聞いた事がおありですか? 凄い声で鳴くのですよ!
キュ~ン、というか、ピュ~ン、というか、物凄く遠くでも
キュ~ン、というか、ピュ~ン、というか、物凄く遠くでも
聞こえる程の声で。
前日の朝、囲いのこちら側にいた牡鹿が、キュ~ンと鳴きながら、
走って行きたそうな切ない目で遠くを見ていて、何かと思ったら、
遠くに若い雌を追いかけて走る牡がいて・・!
走って行きたそうな切ない目で遠くを見ていて、何かと思ったら、
遠くに若い雌を追いかけて走る牡がいて・・!
何となく、その大声の切ない鳴き声とあけっぴろげな様子に、
いつも見かけるイタリア男を思い出し、がはは。
これも奈良の想い出の1つ、ね。
で、新大阪に出て新幹線で広島まで戻り、ANA便で羽田まで飛び、
第3ターミナル内のお高いホテルに1泊。
翌朝9時40分のルフトハンザ機でミュンヘン迄。
そしてヴェネツィアに、雨のヴェネツィアに1時間程の遅れで、
9時半頃に到着、無事に家に帰って来たのでした。
ぼちぼちと時差ぼけを直しつつ、荷物の整理、お土産の整理もし、
漸くに、ブログ更新も。
今後とも、どうぞよろしくお願い致しま~す!!
今後とも、どうぞよろしくお願い致しま~す!!
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