先回ご覧頂いた「東大寺開山、良弁僧正1250年忌法要」も無事済み、
ああ、素晴らしかった、良かった!と満足しつつ奥の大仏殿に。
ああ、素晴らしかった、良かった!と満足しつつ奥の大仏殿に。
現在我々が見る大仏殿、つまり東大寺金堂は奈良時代に創建
されて以来、2度の兵火で焼失後、江戸時代に再建された物で、
天平、鎌倉時代の大仏殿は幅が11間・約88mあったのが、
財政困難の理由で7間・57.012mと縮小されてはいるものの、
財政困難の理由で7間・57.012mと縮小されてはいるものの、
それでも奥行き・50.480m、高さ・48.742mは創建時のまま、
世界最大級の木造建築物!
世界最大級の木造建築物!
写真は、東大寺のサイトから拝借を。
そう知っただけでもなぜか知らず誇りが湧いて来る不思議さは、
きっと長い歴史を経て、なおかつ美しい建物が眼前に!
という事なんだろうと。
今回斑鳩の里でも感じたこの畏れにも似た、飛鳥、天平の里の
美しさに何の違和感もなく感嘆する己の血、日本人の血を
改めて感じたのでした。
美しさに何の違和感もなく感嘆する己の血、日本人の血を
改めて感じたのでした。
黒、白、赤、黄、緑の5色の大きな幔幕(天幕との違いを
調べましたら、縦に色違いの布を継ぎ合わせるのは幔幕と)
そして幟もあちこちで風に揺れ、何とも華やかな大仏殿の姿。
調べましたら、縦に色違いの布を継ぎ合わせるのは幔幕と)
そして幟もあちこちで風に揺れ、何とも華やかな大仏殿の姿。
余りにも多い観光客の姿に少々恐れをなしつつ、入り口に向かうと、
おお! 屋根の上にある飾りの鴟尾・しび、ってこんなに大きいの?!
入り口から回り込み進みながら、大仏様のお顔が見え、
お姿が見え、
光背が見え、手前の菩薩様も。
大仏様の前に広がる部分の柱の組み、そして天井格子。
様々な組みの支えの交差に目が行きます。
人々が行き来する床の石。 四角なだけで無く、色も違い。
こちらは大仏様の左横、 太い円柱が並び、奥に像が見え、
手前左に、上に続く細い梯子段。
これ、上るのは何とか上れても、降りるのは怖いだろうねぇ!
正面奥、広目天。 足の下に敷いているのは、鬼?
傍に寄り、一番手前に突き出している彫りの鑿の後、木目が
見える削りの豪快さに惚れ惚れ!!
そして一転、革製の甲冑らしい、模様の細かさにまた惚れ惚れ!
と共に、如何に木片を繋ぎつつ、彫ったのかにも目が行き、驚き。
巻物と筆を持つ広目天。 西方を護る四天王の1人で、
巻物と筆は天平時代作の特徴なんだそうで。
巻物と筆は天平時代作の特徴なんだそうで。
改めて大仏様に。
こうして写してみると、改めて、ああ、そうなんだ、お顔も四角い片で
鋳造し、継いであるんだ、と気が付きます。
鼻の先が、別の色と形に見えるのは、きっと鋳造の時代が違うのかも。
鋳造し、継いであるんだ、と気が付きます。
鼻の先が、別の色と形に見えるのは、きっと鋳造の時代が違うのかも。
鎌倉期の大仏殿、大仏様の補鋳等を経て、鎌倉期の盛事があり、
が室町時代には昔日の勢いを失くし、そして1567年の兵火で焼失。
が室町時代には昔日の勢いを失くし、そして1567年の兵火で焼失。
大仏様は補修されたものの仮屋も失くし、100年以上風雨に
晒されたのだそうで。
晒されたのだそうで。
その痛ましい姿に再建の志を抱いた公慶上人が江戸幕府に願い、
1684年から大仏鋳造、仏頭と蓮弁18枚を補鋳、1692年に
開眼供養と。
1684年から大仏鋳造、仏頭と蓮弁18枚を補鋳、1692年に
開眼供養と。
仏前左右に大きな花壺と蓮の花が生けられてますが、
壺に大きな蝶が止まり、しかも足が8本! 理由がある様で。
こちらが大仏様の座を囲む蓮の花弁が前に置かれている物で、
素晴らしく細かい彫りが全体を覆い。
良弁僧正の御遠忌の間は、中門からの白布を引かれた道がまっすぐ
大仏様の前まで届いている為、この間は真正面に行けずで、
大仏様の前まで届いている為、この間は真正面に行けずで、
横に開いている窓から見た中門。 幟が風に舞い。
大仏様の背後の光背の厚さ、を見つつ、
こちらが背後から見る光背。
本来は四天王像、という事で4体造られる筈が左右の2体で終わり、
この増長天と、持国天の二天は白木の頭部のみが残った、と。
こちらは奥にある一連の大仏殿の模型で、まずは鎌倉期再建のもの。
1180年平重衡の軍により大半を焼失、1185年に大仏開眼、
1195年落慶供養されたもの。
1195年落慶供養されたもの。
規模は創建時とほぼ同じ大きさながら、様式は大仏様式、だそうで。
作品は平成16年度全国矯正展に出品され法務次官賞を受賞した
奈良少年刑務所制作の50分のⅠの大きさと。
奈良少年刑務所制作の50分のⅠの大きさと。
そしてこちらが現代の、江戸期再建の50分のⅠ模型。
盧舎那仏の開眼1250年目にあたる平成14年(2002)に合わせ、
奈良少年刑務所の受刑者、木造建築科、木材工芸科の訓練生
30名が精魂込めて制作、法務大臣賞を受賞の作品。
奈良少年刑務所の受刑者、木造建築科、木材工芸科の訓練生
30名が精魂込めて制作、法務大臣賞を受賞の作品。
素晴らしく精巧な模型で、職業訓練生とは言え、若さ故の一途な
情熱が感じられ、感嘆でした。
情熱が感じられ、感嘆でした。
こちらが最初の東大寺の大きさ規模を示すもので、左右に塔がある
広大な敷地の模型。
広大な敷地の模型。
到底一枚に収まらず、きっとワイドで撮ったものと・・。
でもちゃんと撮れていないのが切ないなぁ。
でもちゃんと撮れていないのが切ないなぁ。
東奥を護る多聞天像。 西側にある広目天と共に高さが5m近いと!
こうして今見ると、金塗りもされていた様で素晴らしい物ですが、
なにせすぐ近くに柱の穴潜りがあって大賑わい! で、
細部を撮り紛れましたぁ。
細部を撮り紛れましたぁ。
これが例の「大仏様の鼻の穴と同じ大きさの、柱の穴潜り」!
果敢に、多くの外人さん達も挑んでおり、挑戦するは良し、
とはいえ、どう見ても、無理よねぇ!という体格の女性もね。
う~ん、猫ちゃんと違い、頭が通れば大丈夫、とは言えんねぇ、はは。
とはいえ、どう見ても、無理よねぇ!という体格の女性もね。
う~ん、猫ちゃんと違い、頭が通れば大丈夫、とは言えんねぇ、はは。
表に回って、大仏様の向かって右側の如意輪観音さま。
説明に「脇侍」と書いてあるのも見つけ、えっ、と思ったものの、
「わきざむらい」ではなく、「きょうじ・わきじ」と読むのだそうで!
「わきざむらい」ではなく、「きょうじ・わきじ」と読むのだそうで!
こちら左側のお顔も拝見し。
髪の毛の巻き方も見届け、はい。
手と指の柔らかさ。 鋳造はとても難しかったでしょうねぇ。
こちら側の蓮の花は彩が美しく。 こうして見ると、背後の蓮花弁の
高さにも驚く程で。
高さにも驚く程で。
改めて大仏様にお礼の一礼をし、外に。
幔幕、上りの翻り、鬼瓦が、如何にも天平の典雅さを偲ばせます。
聖武天皇が廬舎那仏建立を思い立ったのは、天然痘、政治の
混乱等など様々に困難な世相を、仏教を基に、何とか纏めて
行ける様にと願っての事と知りましたが、
混乱等など様々に困難な世相を、仏教を基に、何とか纏めて
行ける様にと願っての事と知りましたが、
今に伝わり残る様々な遺物、文化は、如何にも平和さ、柔和さを
醸し偲ばせ、我ら以降の人々にも同様に伝わる様に、と願います。
醸し偲ばせ、我ら以降の人々にも同様に伝わる様に、と願います。
大仏殿の横の流れに浮く、散華の花びら。 白、黄、薄緑、ピンク・・。
翌日午後再び二月堂にやってきた時、大仏殿横道を歩いていると、
横の肩ほどの高さの石垣の上に、ひらっと一枚落ちて来たのが、
如何にも、ほら、お前に上げるよ、という感じでやって来て、
喜んで頂き、持って帰りました。
喜んで頂き、持って帰りました。
濃い目のピンクで、材質は何かな、濡れても大丈夫な様で、
片面に「東大寺開山 良弁僧正 千二百五十年御遠忌法要」
もう片面に「華厳宗大本山 東大寺」 と印刷が。
当日はかなりの風で飛び散り、手に入らず残念だったのが、
無欲で歩いていると、やって来てくれた、と何かの教えの様で、はい、
無欲で歩いていると、やって来てくれた、と何かの教えの様で、はい、
今小さな白い額に入り机の上、奈良の想い出と共に目の前に。
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