さて、いよいよ二月堂の裏参道を通っての参内、もうすぐの坂道。
見事な大屋根、舞台、素晴らしい石段道、惚れ惚れの美しさ!
イタリアに戻って後、グーグル地図でこの一帯を広げながら
あれこれ確かめつつ、
左上に囲った場所「入江泰吉撮影場所」という文字を見つけ、
おっ! まさに上の写真を撮った場所!と勝手に感嘆、はは。
おっ! まさに上の写真を撮った場所!と勝手に感嘆、はは。
その後あれこれネットを探し、彼の写真はも少し右に寄った場所、
手前左の塀の内から咲いた木蓮が延びている構図、だった様子。
手前左の塀の内から咲いた木蓮が延びている構図、だった様子。
そう、この美しい道はどの季節でも、絵になる構図を訪れる人皆に
提供してくれるなぁ、と思った事でした。
提供してくれるなぁ、と思った事でした。
坂道を上り切り、右から延びる二月堂の建物様々の塀の内、
お水取りの燃え尽きたお松明が顔を覗かせ。
お水取りの燃え尽きたお松明が顔を覗かせ。
そして、登廊・のぼりろう、が口を開け。
ここから二月堂舞台に続く石段を、お松明が次々と上る場所で、
建物は修二会儀式に参加の練行衆たちの参篭所の様子。
建物は修二会儀式に参加の練行衆たちの参篭所の様子。
でも大体この石段は、舞台からの眺めを堪能した後、退出する
人々が降りて来る石段で、
暫く粘ったものの、人がまるで入らずの場面を撮ることが出来ず・・!
道を進み、いつも登る南側の石段前に。 美しい屋根の勾配、
豪壮な舞台。
豪壮な舞台。
振り返って見る「閼伽井屋・あかいや」。 修二会の
お香水汲みの井戸が中に。
右奥に、登廊が見えます。
二月堂の張り出す大屋根。 組木の先、切り口の先が白く塗られ、
全体が華やかに見えませんか。
全体が華やかに見えませんか。
大屋根の丸瓦の紋は何だろうか、とアップしてみると、
3つの円があり、その中に、東、大、寺、の文字が。
3つの円があり、その中に、東、大、寺、の文字が。
二月堂参内の、南の石段。
下からの3段に、流水、亀甲、唐草。
上にもある、との事で、見つけたのがこちら。 一番上の3段に、
上段から、菱、網代、青海波。
上段から、菱、網代、青海波。
これは上の段から下を見ており、何せお天気が良すぎて、下からだと
陰が入るので上から。
陰が入るので上から。
中の段には模様はなく、「マスかけ模様・四角の中にx」が
どこかにあり、それを踏むとご利益が、と言われているそうですが、
shinkaiには見つからず、はぁ、御利益なしね、ははは。
shinkaiには見つからず、はぁ、御利益なしね、ははは。
ヴェネツィアのドゥカーレ宮の「巨人の階段」には、上り面に
美しい象眼模様が施されているのと、同じ感覚かも、と。
ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮、 サン・マルコ広場
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579939.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579939.html
石段を登り切った所の、ちょっとした広場。 陽射しが厳しいぃ。
見晴らす大仏殿、そして一連の堂、坊・・。
石段を上がって来た突き当り、手水舎。
そして舞台の上を囲む、吊り灯篭? 正しい言葉は?
堂を囲む板戸。 古びてもなお奥ゆかしく、白い障子が映えます。
舞台に向かって広がる、内陣の格子扉。
外人さんもお参りを。
この二月堂はいわばいつも開けっ放し、参拝したい人はいつでも、
という事で、それもとても庶民的だなぁ、と。
という事で、それもとても庶民的だなぁ、と。
今頃はどこのお寺も拝観料が必要な、博物館式になっているのに、
当たり前みたいな感覚になっていましたが、そんな事も思ったのでした。
ふっと気が付くと、舞台から内陣側との仕切りが1段の高さがあり、
そこにはかなり厚い鉄板が打たれており、そうねぇ、ちびるよねぇ、と。
そこにはかなり厚い鉄板が打たれており、そうねぇ、ちびるよねぇ、と。
四月堂。
アップして眺めましたら、内に参拝客や、縁に腰を掛けて休んで
おられる方やら。 自分は一度も中を覗いた事も無かったなぁと。
おられる方やら。 自分は一度も中を覗いた事も無かったなぁと。
石段の下を眺め。 小さな神社の向こう、少し斜めの建物が
お水取りの「閼伽井屋」。
お水取りの「閼伽井屋」。
修学旅行生が鹿と遊び、
大仏殿の屋根の上。 遥か向こうは生駒の山並み?
右の方、屋根の向こうに、やって来た裏参道の道角が。
登廊。 お松明の時は、この石段を何十キロもあるお松明を
肩に、練行衆が上って来るのですものねぇ!
肩に、練行衆が上って来るのですものねぇ!
むか~し一度お水取りを見に来て、ちょうど籠松明登廊の日で、
長さ約8m、重さが70キロ程の一際大きな籠松明。
舞台に一列にお松明が並び、振り回される火の粉の雨、
籠松明どうしがぶつかり、ボ~ン!と大きな音を立てた事など、
あの時の感激はずっと忘れず、
その様子が自分の中で大きく育ち、松明を肩に、
大きな掛け声と共に、走り上がって来る、と思い込んでいましたが、
大きな掛け声と共に、走り上がって来る、と思い込んでいましたが、
これはどうやら先駆けの小さな松明だったらしく、
籠松明はひときわ大きいので登廊の屋根を焼かない様、
ずっと下向けで、しずしずと上がって来るのだ、と
今回あれこれ読んだ記事で改めて知りました。
ずっと下向けで、しずしずと上がって来るのだ、と
今回あれこれ読んだ記事で改めて知りました。
752年に始まり、戦争中も一度も絶えることなく、連綿と現在まで
1272回続いて来た、続けて下さった、お水取りに関する様々な
1272回続いて来た、続けて下さった、お水取りに関する様々な
記事を読み、改めてその歴史の重さと尊さに頭が下がります。
様々に様子を語って下さるブログがありますが、写真も多いこちらを!
真夜中に行われる「お水取り」行事の様子もどうぞご覧に。
そして、修二会行事の始まる前に、観音様の前に捧げられる
椿の花の造り花、紅花で染めた深紅、梔子の黄色、そして白の
3色で作られる椿の花と、
生の椿の枝に付けて行く作業などなど、こちらから。
修二会の行事当日、今頃は物凄い観客で場所取りも大変な様子。
となると、少し訂正の上で、思い出をずっと大事にね、なのかも!
舞台の北の端から。
様々な奉納額を眺めつつ。
北に続く様々な建物の屋根瓦の入れ込み具合、鬼瓦を眺め、
鬼瓦の顔の様子を。 現場でアップで撮ればもっと良かったのに!
こちらは一番手前の瓦で、二月堂、と鮮やかに。
一番下は渦巻き紋、内陣前の紫幕にも見えましたが、火災予防の
紋ですよ、と法隆寺で尋ねた時に教えて貰いました。
紋ですよ、と法隆寺で尋ねた時に教えて貰いました。
この二月堂も、1667年お水取りの際の失火で焼失した事があるそうで、
木造建築の日本ではやはり一番怖いのは火災ですものね。
木造建築の日本ではやはり一番怖いのは火災ですものね。
今回行った時は、舞台を回って出た所でガガガガと工事が進んでおり、
奥の茶所に行くのも忘れ、即、登廊の石段に。
奥の茶所に行くのも忘れ、即、登廊の石段に。
それも少し降りた所から写真を!
少し降りた所から、舞台の下の木組みの様子を。
この位降りてくると、狙うのも結構厳しく、はは。
でも豪壮でしょう?!
降りて来て、また最初同様、登廊の入り口を。
横の参篭所にはめ込まれたかの様にある、鬼子母神さん。
何でここに? とも思い、なぜかごちゃ混ぜで庶民的だなぁ、とも。
なぜって子供の頃何度も母親から、「鬼子母神さん」は他人の子を
獲っては食べちゃった事、お釈迦様に諭され、それ以来子供の守り神
となった事、お釈迦様はザクロの酸っぱさを、子供と同じ味だから
ザクロを食べる様に、と教えた、などと聞かされて育ち、はぁ、
獲っては食べちゃった事、お釈迦様に諭され、それ以来子供の守り神
となった事、お釈迦様はザクロの酸っぱさを、子供と同じ味だから
ザクロを食べる様に、と教えた、などと聞かされて育ち、はぁ、
今でもザクロを見ると「鬼子母神」を思い出すshinkaiなので~す。
自分へのお土産に、二月堂横の龍美堂で行法味噌を買って戻り、
ちびちびと舐めてますが、もうじき終わりそう・・・。
ちびちびと舐めてますが、もうじき終わりそう・・・。
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