・ 中世の寝室で、睡眠以外に、行われていた事すべて!

朝スマホをつけた時に入って来るニュース以外に、ピピっと響く
興味ある記事があると、PCで見に行き、
そこからリンクしている記事にも飛びで、あれこれたくさん貯まります。

ええと、つまり私めは興味があるとコピーして置くからでして、
ブログの記事はそんな中から、その時の自分の気分に合うのから
選びます。

今回のタイトルはちょっと物思わせ気味でもありますが、
実際にサイト記事のタイトルのままで~す。
  
中世の寝室で行われていたすべてのこと(睡眠以外)
Tutto quello che nel Medioevo si faceva in camera da letto (oltre a dormire)

今週火曜の朝に酷い目まいに襲われ、前日に食べた物が当たった様で、
水曜の夕方までぐったりしておりましたが、何とか回復。
がお陰様で、昨日金曜には無事プール体操にも復活出来ました。

そんな気分低調な時に選んだもの、とご了解くださいませませ、ははは。
で、今回の記事には、次に見える最初の写真しかなく、
shinkaiは自分の知識も広める為、ははは、せっせと写真を集め、
それを一緒にご覧いただきますね。

では。
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中世において、貧乏人も、お金持ちも、王様も共通点が1つ、
それは、たくさんの事が行われる場所が寝室だった事!

つまり料理をし、来客を迎え、時に殺人事件なども組織する、
そんな何でもできる、した、日常生活の場が寝室だった、と。

上の細密画は、マリアの誕生、1476年 トリノ国立図書館蔵

という事で、現代の生活からかなり離れた「中世」と呼ばれる
社会に忍び込み、「当時の寝室」がどんな役割だったかを探ってみる事に。

つまり「中世における寝室」は、家の最も重要な部屋、暖炉がある部屋で、
現在の我々の様に夜だけ使用するだけでなく、
家族の経済状態の指標だったのですね。


中世におけるベッドは、我々のベッドよりも短くて、広かった事!
これは彼らは体調が短く、とりわけ完全に横たわらず、
胴体と頭を高い枕で支えて、半分座った状態で横になっていた為で、

これは消化を促進し、不適切は食生活によって多くの人が苦しんでいた
胃食道逆流症(現在はこう呼ばれているそうで)を避ける為の姿勢と。


このベッドが短い、というのは、古いお城の寝室を見学して何度か
目にしていますから、大いに納得です。
こちらはパルマのフォンテネッラートの城、要塞にあった寝室のベッド。

2-16-fo8_GF.jpg

済みません、きっと前にグループがおり、ちゃんと写っておらずですが、
頭部側と足元の支柱の空き具合を見て下さいね。

n.1 パルマの城 フォンテネッラートと、パルミジャニーノの壁画
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461920023.html


家具が備え付けられている古い城、要塞は結構あるのですけど、
フォンテネッラートの城は、近年までご子孫が住んでおられ、
市に売却したというので、家具が元々備わっていたものである、と
思えるのですが、

かっての古い家具を寄せ集め、というのが多いので、見学の時の
解釈にご注意を。


そしてもう1つ、こちらはパドヴァに近いブレンタ川沿いの
ピサーノ家のヴィッラ、にあるナポレオン1世のベッド。

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こちらはもう中世では無いものの、豪華でもやはり長さが短いのですね。

ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王  n.1
https://www.italiashiho.site/article/451355497.html


で、中世のベッドは長さが短くとも、幅に関しては全く違ったと!

当時一人で寝る人は殆どおらず、同じ毛布の下には夫や妻、子供達、
時には著名な客人さえも!

例えば?

14世紀のプラートの裕福な商人フランチェスコ・ダティーニ
Francesco Datini と、その妻マルゲリータのベッドの幅は3,5m!!
まさに練兵場、と言える広さ。

練兵場、という言葉は、shinkaiではなく、記事からで~す、ははは。


こういった幅の広いベッド、なんぞは当然古いままのが残っておらず、
ちょっと想像できませんが、
有難い事にこのフランチェスコ・ダティーニ(1335-1410)という方、

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裕福な商人、どころか物凄く裕福で、おまけに素晴らしく立派な、と
いうのか、全財産を貧しい人々に残し、この目的で財団を設立し、
後々までも様々に貧しい人々を救うために役立った、というのですね。

現在彼の家は博物館・パラッツォ・ダティーニ として残っており、

ここでは到底彼のすべてを記せませんので、
ウィキペディアの日本語版、フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニなり、
お読み下さる様お願い致します。
 

彼が40歳になり結婚した16歳のマルゲリータ・Margheritaについては、
当時の女性の生き方、として感銘を受けましたので、
今回の分家・絵のブログの方に書く事に。


という事で本筋に戻り、

現在残る、パラッツォ・ダティーニと、その前の彼の彫像

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7-Palazzo_datini,_camera_terrena_a_due_letti_02_GF.jpg


当時の幅の広いダティーニ家のベッドは、当然残っておりませんが、
現在博物館になっている1階にある寝室
ダブルベッドの部屋、として写真があり、

7-Mapcarta_GF.jpg

大きなダブル・ベッドが、2つあったとしても驚かない部屋ですねぇ!



そして壁のフレスコ画。

8-1-Palazzo_datini,_camera_terrena_a_due_letti_GF.jpg

確かに、お客人を迎えおもてなしをし、夜も一緒にお休みになった、
と言われても驚かない部屋の装飾ですねぇ。



そして、別にも寝室があり、こちらにはベッドが1つと。

8-2-Palazzo_datini,_camera_terrena_a_un_letto_00_GF.jpg



こちらは壁に聖クリストフォロの壁画が見える階段脇。

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階段脇の吹き抜けに壁で囲まれて膨大な彼の記録、帳簿、書類、
手紙などなど15万点が保存状態が良く残されていたのが、
19世紀になった初めて発見され、

これが14世紀の経済生活の情報源となり、学者たちの研究源となり、
離れた生活の中で交わされた夫婦の手紙150通もあるそうで!


フランチェスコ・ダティーニについて出版されている本
プラートのパラッツォ・ダティーニ・千年続くように、造られた家

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再度、本筋に戻りまして、はは、

共有、のベッドには、息子や娘、家の使用人達、時には僧侶達も、
旅館の客達が利用し、

大きな町では、ベッド毎に最大6人、が利用したそう!で、

病院では患者たちが一緒に寝ていたそうで!!



イタリアの中世学者、として有名なキアラ・フルゴーニ
Chiara Frugoni (1940-2022)の著書の、

11-Chiara-Frugoni_GF.jpg



中世のベッド・どの様に、誰と」 の中に、

12-cover-a-letto-nel-medioevo-frugoni_GF.jpg


「衣服は通常、鼠からもかなり離れた壁の間に張った棒に、投げる」と。
つまり当時の文献資料や細密画もこれを証明している様に、

シーツの下には、何も着ておらず、(虱やノミが取り付かぬように)

が、頭に帽子を、白い布製のキャップを被るのは絶対的なもので、
これはファッションでも気まぐれでもなく、
虫よけ、寒さ避け、だった様で。

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こうして細密画に描かれたベッド、人々は、上流階級クラスの様で、
ちょっとばらしますと、上の絵は貴族の様で、

帳で囲まれたベッドの、右側の隙間から使用人が覗いており!


下の絵は、赤ちゃんが届いておりますねぇ、おめでとうさんです。



そして夜になると、寝室にしかなかった家の暖炉が、他の蝋燭と同様
注意深く消され、これはもう未だ木製の家が多かった時代の
火事の危険を恐れたためで、

夜の寒さから身を守るためには、帽子だけでなく、永遠の冬の様に、
ほぼすべての季節、暖かい毛皮とシーツの上に、毛布を何枚も敷く
必要があったと。

実際夏の日本と違い、ヨーロッパの夏は乾燥しており、夜になると
夏でも肌寒い程ですし、

当時の暖房システムが不十分だった時代、隙間風は緩んだ窓枠
からも、天井の木の梁の隙間からも侵入し、
人々の寒さに苦しむ感情は、きっとしっかりと植え付けられた感覚で
あったろうと。

と、もう1つの敵は湿気で、家の中の床は打ち込んだ土間であり、
煉瓦は危険は残り火を避ける為に囲炉裏の周囲とその少し周辺に
のみあったのですね。


当時の貧しい農家のベッドは、こんな感じに近かったのかも、ですね。

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とか、こんな風に納屋造りの小屋の中に、一番奥にはきちんとした
ベッドが見えますが、他は、手前の小屋の端に長く付けられた棚状の
上に藁を敷き、薄物を敷いて寝ていたのかも!

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そして時代が少し下がり、裕福な人々にとってベッドは裸の床から
隔離され、厚い木製の台の上に置かれ、その上に羊毛か、
鵞鳥の羽の詰め物マットレスが敷かれるようになり、

一方貧しい人々は、裸のマットや質素な藁のマットレスで寝ており、
通常は頭に帽子さえ被っていませんでした。

こうした状況を考えると、中世において安らかに眠る為には、ベッドの
温かさとしっかり保護された頭がいかに重要であったかが分かり、

当時の幾つかの年代記が書いている様に、
良き妻は、夫のために美味しい夕食を用意するだけでなく、
温かい夫婦の「ベッド」を用意し、頭に帽子を正しく被る事も心配
しなければならなかったのでした。


逆に、時代がも少し遡り、大聖堂の時代、と呼ばれる中世12,3世紀
には、寝室は現代のリビング・ルームと同様に、眠る為だけの部屋でなく、

昼食をとったり、来客を迎えたり、ゲームをしたり、勉強したり、
日中もいつも賑わった部屋でした。

ベッドのある、暖炉のある部屋では、暖炉を使って暖を取りながら
料理をする事がよくあり、


細密画にも見える様に、壁には棚や流し台、皿、グラス、
水差しを備えた食器棚がありました。


もう1枚、細密画の「聖マリアの誕生」をどうぞ。
部屋の一番奥に見えるのは、今は火が見えませんが暖炉で、
多分真ん中に下がっているのは、肉を焼くために吊るす金具で、

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左側には食器棚が見え、その手前には何か入った鍋が置かれ・・。



最初に見て頂いた「聖マリアの誕生」にも、奥に置かれたテーブルには
水差しやら、調理鍋が見え、

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右の壁の暖炉の横には、どうやら水で洗いものを、つまり流しらしきもの、
もある様に見えますね。



これらの細密画は15世紀のものですから、いずれも寝室の定義は
様々な事が一緒に行われていた部屋、となりますね。


で、食事をする時は、人々は衣類やその他のものを入れる箱・櫃に
もたれ掛かるか、取り外し可能なテーブル板、食事の後は壁に対し
垂直に置かれる架台の上に置かれる単純な板を使い、

皆が座ったベンチも、背もたれ用の取り外し可能な板が付いていたそうで。


そして寝室は、訪問者を迎えるのにも理想的な場所で、これは暖炉の
暖かさと、ソファの先祖であるベンチやチェストに置かれたクッションの
柔らかさ、との両方で。


そしてこれらは社会の梯子を上れば上る程に、部屋はより快適になり、
貴重な布地で覆われたクッションや、
街路の悪臭を覆う方向が備え付けられ、大切な客にも最適で。

従ってチェスをしたり、個人的な会話の為に寝室に招待する事は
今日に思われる程曖昧では無く、

出産、病気、死亡後だけでなく、日中寝室で人々を受け入れるのは、
通常の習慣であり、
実際時には重要な問題が議論されたりも、と。



最後に登場される方は、フランス国王ヴァロワ家のシャルル6世
Carlo VI Valois、(1368-1422)

1380年11歳で、父王シャルル5世没により、戴冠式。

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20歳で摂政を終わらせ、親政を開始、「親愛王」と呼ばれたものの、
20代半ばに精神病を発症し、すぐ「狂気王」の名も、という方で!

彼はカーテンから掛け布、天蓋に至る迄を強烈な青色の布地で完全に
覆われた豪華な王室のベッドの半分もたれ掛かりながら、
顧問たちを迎える習慣があったそうで!

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15世紀、リット・ド・ジャスティス・lit de justice・正義のベッド
と呼ばれる特別に整えられた環境で、大きな裁判が行われた、と。

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四角な席の一番奥、斜めの奥に、全部ブルーに、フランス君主の象徴
である百合の花柄と同じ衣装で、迷彩色様のシャルル6世!!
見えますかぁ?!


謁見や公式儀式のための部屋には、訪問者に感動を与える為の
特別に豪華なベッド「パレード・ベッド」もあったそうで、
父王シャルル5世のパレード・ベッドは、およそ40平方mだったと。


という事で、寝室は中世以降、明確な社会的指標となり、
13世紀のロマンス小説(「ランスロット・デル・ラーゴ」の名が)、
14世紀のボッカッチョ、その他多くの文学の中で「ベッド」が
際立っているのは、日常生活において最も重要だったことを語っており、

それらのベッドの幾つかが、陰謀、罠、合法的及び禁断の愛
殺人、秘密交渉に関わったのを語ったのは、偶然ではないので~す。

という事で、元の記事に引き回されつつ、ははは、
今回のお終いとさせて頂きま~す。


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