・ 映画「イギリス人の患者」のあれこれ、 真実の主人公の姿は

能登一帯の大地震、そして羽田空港の飛行機の衝突、と
思いもかけない災害、事件が年明け早々の日本を襲いましたが、

皆様に心よりのお見舞いを申し上げると共に、
どうぞ、お元気で、復興に向かって頑張って下さいませ!

***


クリスマスとか祭日には、我が家にジュリアーナがやって来て、
一緒に食事をし、その後にDVDを楽しむのが恒例になっており、

この秋日本で頂いて来た美味しい日本酒にじっくりと半ば陶酔し、
その後ゆっくりと「イギリス人の患者」を、となったのですね。

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あの圧倒的なロマンスが繰り広げられる1997年公開の映画は、
9つものアカデミー賞を獲得、勿論他の大きな賞も総なめで、

美しい数々の場面と、背景になったトスカーナはオルチャの谷の美しさ、
そして観客の胸を締め付け、蕩けさす、大迫力ある映画でした。

ですから、あれこれの場面を覚えておいでの方も多いでしょうから、
どうぞ思い出しながら、映画の周辺事情としてお付き合い願います。


なぜこの映画をと言うと、先回ご案内のアレッツォのフランチェスコ聖堂、
バッチ礼拝堂の壁画、ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた壁画を、

映画の中で、主人公の1人看護婦のハナが恋人のキップのロープに
釣り上げられ眺める、という、ロマンチックで素晴らしい場面が
あったのが記憶に残っており、

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それでこの壁画の特別公開を見に行く心算の2人が、
予備学習を兼ね、この映画を見ようという事になったのでした。

所が、一番最初に落胆事を申し上げるのは誠に残念なのですがぁ、

あちこちで「映画のロケーションはどこそこ」というサイト記事を
読んだものの、
皆さんが皆、あれはアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂の、と
書かれておるものの、

我ら2人はパッと壁画のアップが出た時に、何、これ?!と大落胆!

まず、女官の顔がアップに出た時に、これは油絵で雑にパッパッと
描いたもの、と分かり、

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なにせ顔の白のハイライトが、太筆でざっと描かれた顔であり、
それにあの当時の女官が、こんな笑い顔をする筈が無く!


ソロモン王の顔アップも、こんなに下唇を突き出したもの!

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これは映画の中の場面で、 ソロモン王の背が高く描かれ、
シバの女王がとても低くなっていて、

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こちらの実際の図との見比べを。

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ピエロがこれを自分が描いた、として映画に出たのを知ったら、
お墓の中で悶絶するのでは、と心配になりますが・・!


つまりです、shinkaiめが言いたいのは、あれは実際にアレッツォの
礼拝堂で撮影したものではない、という事なのですね。

ロープで吊り下げられ、トーチを持って、あちこちをすぅ~っと回りながら
見学している場面なので、何の事故も起こらぬ様にと予防し、

実物の上に、パネルにそれらしく描いたものを置いて撮影した、
のではないか、と最初考えたのでした。


が、もう一度この写真と、

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こちらの実際の礼拝堂の壁画の正面奥の、2双窓の窓枠の高さを
見比べて下さいね。

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上の写真窓側正面の、上の女性の脚の奥に見える絵は、

「真実の十字架」である事を確かめる為に、井戸に男を吊るして
攻めている場面で、
窓の下枠が上から数えて3本半の位置に、場面下が来ています。


が、下の写真では礼拝堂自体が高く、5本目の下の窓枠がちょうど。


という事は、礼拝堂が実際のものよりも低い教会で撮影したのかも!

かなり昔に一度DVDを見て、その後映画の長さもあり見返しておらず、
昔見た時に、やはりあの場面は気が付いたろうと思うものの、
それもどうだったか忘れた程に長い時が経っており・・。

でも今回この様に明らかに違いが明らかになると、あれはちょっと、
ピエロの名作のコピーにしては、余りにも雑な間に合わせで
ピエロに気の毒でもあり、

それに、映画の他の部分が素晴らしいので、逆に本当に残念で!!!

こちらでヴィデオをご覧になれます。
https://youtu.be/8DlxO2frMPE


という事で、
映画「イギリス人の患者」の周辺あれこれ、その2の話題に。

映画の中に何度も写る、この古い鐘楼を覚えておいででしょうか?

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で、意外と簡単に、  
映画の中で全身に重度の火傷を負い、最初は自分の名も身元も
分からず、この修道院上階で、看護婦に介護される男性・・、
という設定の場所、撮影された修道院、教会が分かりました。

地図をどうぞ。

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赤く囲った、サンタンナ・イン・カンプレーナ・S.Anna in Camprena
がそれで、
ピエンツァから7km程、車で12分ほどの距離に。

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地図の、Cosona・コソナに印をつけましたが、下の赤点はジープや
医療車での移動で、看護婦ハナの友達が「お金を貸して」、と車を
接近させての場面があり、背後に貯め池らしきものが写っていた所で、

それに次ぐ場面で、その友の乗ったジープが先に行き、地雷を踏み
爆発する場面が上の点の辺り、と。

Cosonaを赤枠で囲った辺りには、要塞城も残っている様子で、
多分現在アグリトゥリーズムになっている様子。


ピエンツァは戦争が終わり、夜のドゥオーモ前広場で町の人々が祝っており、
男がトランクス1枚で広場の銅像、これは実際にはありませんが、
に上り、が、これにも地雷が仕掛けられており・・!

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問題のアレッツォですが、ピエンツァからだと北東に向けて峠を越し、
国道に出て北に向かう、1時間ちょっと、59km程の位置に。


映画の中で、サン・フランチェスコ聖堂かな、と思わせる入り口は
ピエンツァから東、オルチャの谷の端モンテプルチャーノのドゥオーモ。

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ピアッツァ・グランデからの眺めで、鐘楼の下部分が見えました。


n.1 モンテプルチャーノ再訪 ・ トスカーナ、丘の上の町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462397858.html

花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html

アレッツォ と その周辺 のご案内は
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130357.html



という所で、本題のサンタンナ・イン・カンプレーナ教会、修道院に。

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ここで実正体が分からない「イギリス人患者」がカナダ人看護婦ハナに
看護され、徐々に自分の過去を思い出していく、

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自分がナチにスパイとされ、残酷にも両親指を切断され元の犯人が
「イギリス人患者」である、と見なし、つけ狙うカナダ人男性も寄宿、
そして英国軍の爆弾処理班の、インド人のキップと呼ばれる男性、
看護婦ハナと恋仲になる、男性3人女性1人の濃密な生活模様。


この教会・修道院は、15世紀にモンテ・オリヴェート修道院の
ベネデット派修道士によって設立され、

こうして上からの写真を見ると、右に見える真ん中に小さい池のある
庭が、草ぼうぼうでしたが、良く映画に登場していた事が分かります。

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モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院 ・ トスカーナ・キュズーレ
https://www.italiashiho.site/archives/20190718-1.html


現在この教会・修道院は、モンテプルチャーノ、キゥージ、ピエンツァの
教区が管理する農家となり、その後2004年に一帯が世界遺産の
指定を受け、

現在は上記の教区が管理するアグリトゥリズモとなり、

宿泊者でないと敷地内には入れず。

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ブッキング・コムで見つけた、予約受付。

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ダブルベッド、朝食付きで、1人150エウロか、もう少し、の様子。
写真、絵画、音楽、イタリア語、料理など、さまざまなレッスンの
クラスもあるそうで、多分夏と、
かっての修道士たちの独房で、眠ることが出来るそうで。


こんなオルチャの谷の美しい写真を見ると、はぁ、うずうずしますねぇ!

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私はブッカー賞を受けたこの映画の元の本を読んでおりませんが、

映画はその中の2人、「伯爵ラズロ・アルマシー」と呼ばれる砂漠探検家と
イギリス人の人妻キャサリンとの深い恋愛、不倫とも情事とも、を一番の柱
として描かれていてますが、

原作の中では、シーク族の爆弾処理のベテランの役割がもっと重く描かれ、
彼が広島、長崎に原爆が落とされた事を知り、怒りに駆られる場面も
あったと読んだ友人から聞きました。

という様な事からあれこれ検索をかけているうちに次々と引っかかったのが、
ラズロ・アルマシー・László Almásyなる人物は、本当は映画に
描かれた人物像とは違う、

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砂漠探検家で飛行機乗りのベテランでもあったが、スパイであったかもで、
おまけにゲイで、伯爵では無かった, eccecc。


たくさんの記事が見つかりましたが、一番丁寧な記事と思ったのが、

ラズロ・アルマシー、イギリス人患者の真実の話
Laszlo Alamsy, la vera storia del Paziente inglese

この記事によると彼は、
ハンガリーの、1895年オーストリア=ハンガリー貴族の家庭出身。
が、映画の中で使われていた「伯爵」ではありません。 これは後程。

彼の父親ギョルジ・Gyorgyも探検家だったと言い、1911~1914年を
家庭教師付きでイギリスのべロウ・スクール・Berrow Scuoolで学び、

第一次大戦勃発で国に戻り、弟と共に第11軽騎兵連帯に加わり、
東部戦線でセルビア人、ロシア人と戦い、

1916年に空軍に異動。 1918年3月イタリア戦線での戦闘中に負傷し、
その後飛行教官として過ごし、

終戦後は彼は学業完了にイギリスに戻り、イーストボーン工科大学に
入学、先駆的なイーストボーン飛行クラブの創設メンバーにも。

戦後ハンガリーに戻った彼は、戦後のハプスブルグ家の復興の中心人物の
1人であったソンバトヘイ司教ヤノス・マイクスの私設秘書となり、

1921年ハプスブルグのカルロがハンガリーに帰国し、ブタペスト迄を
司教の運転手を務めた時に、元皇帝が分家の伯爵号の一族と混同し、
「アルマシー伯爵」と呼んだ間違いをしたのを、

ラズロは内々に違法である事を認めつつ利用し、
取り分けエジプトに行ってから「伯爵」と呼ばせたのだそうで。

1921年26歳以降、オーストリアの自動車会社「シュタイアー・オートモービル・
Steyr Automobile」の代表として働き、多くのレースにも参加。

裕福な友人のアンタル・エステルハージ王子・Antal Eszterhazy、
エステルハージケ家とは、ハンガリーの高貴な、豪族、 と共に

車でエジプトのアレクサンドリアからスーダンのハルツーム迄、当時は
車でその様な旅をした人は誰もおらず、

彼の人生の転機となり、アフリカに大きな興味を持ち、何度かアフリカに。


数々の彼の冒険旅行を記すのが目的では無いので、大幅に略しますが、

こちらは1931年、ナンドール・ジシー伯爵・Nandor Zichyとの
飛行機によるリビア砂漠の冒険。 左がラズロ。

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1932年の砂漠の遠征に参加して知り合うロバート・クレイトン卿と
その妻ドロシーが、映画の中でジェフェリー・クリフトンと、
キャサリン・クリフトンのキャラクターの基礎となり、

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ドロシーは作家のキャサリンと同様、おそらくケビール遠征中に
急性ポリオに罹って亡くなった夫とは異なり、実際には飛行機事故で
亡くなったのだそうで。

と、ここでちょっとがっかりというか、まぁね、映画だもんね、と
思うかなのですがぁぁ、

ラズロは同性愛者であった可能性が最も高いそうで、はぁ、ドロシーと
ラズロの恋愛関係は除外されるのではないかと。

彼の手紙の一部には、国防軍将校ハンス・エントルト・Hans Entholt
との関係が明らかなんだそうで、ジャンジャン。


と映画の中で、眺める我々も、わぁ~お!と憧れ、感嘆した
「泳ぐ人々」の壁画の発見も凄いですが、

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これは現在のあの広大なサハラ砂漠も、かって太古の昔には
湧き水の川が流れていた事の証明になるのだそうで!!

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そして他のたくさんのあれこれの発見も、地図の作製も、
確かにラズロの功績が多かったようで、この辺り猫に小判の私めは
申し訳ありませんが省略させて頂きますので、
ご興味がおありの方は、上に記したサイトに行かれ、翻訳されると
詳細が分かると思いますので、宜しくお願い致します。


がしかし1939年に第2次大戦が勃発し、彼の祖国ハンガリーは
ドイツとの同盟関係があり、彼は祖国に戻ります。

戦前のスパイとしての活動の証拠はないものの、リビアでも
エジプトでも当局から歓迎されなくなり、

国に戻った彼はドイツ軍諜報部隊のアブヴェーアに採用され、
ドイツ空軍大尉の制服を着る事が許可され、
その後リビアに移送され、軍の秘密作戦を行ったりも。

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終戦後、共産主義者が政権を握ると、彼は戦争犯罪と外国の軍隊に
参加した反逆罪の容疑で逮捕され、が英国諜報機関の援けで逃亡。

その際のハンガリー当局者に送った賄賂は、エジプトのファルーク王の
従弟が支払ったそうで。

その後イギリスは、偽造パスポートで彼をオーストリア、そしてローマ
に送り、エジプトに戻り、様々な仕事で生計を立てますが、

1951年オーストリア訪問中に、モザンビークへの旅行中に罹った
アメーバ症、赤痢でしょうか、その合併症により、
ザルツブルグの病院で3月22日亡くなり、そこで埋葬を。 60歳。

ずっとスパイ容疑が続き、ロシア側の手が伸びていたとか、
入院中の介護はされなかったと・・。 哀れ。


彼を表現するたくさんの言葉
紳士な探検家、複葉機のエース、日和見主義者の冒険家、同性愛者の
ダンディ、スパイ、贋作師、夢想家、間違いの伯爵、eccecc、

「ナチスだが、少なくともスポーティだった」 は、
ゼルズラ・クラブの古い友人達は彼の事をこう憶えているそう。

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人それぞれの人生は、各方面からの切り取りで、まるで違った人物となり、
傍の人間がきりきり舞いさせられる様な、そんな彼の一生だったのかも。


うん、原作とは違っていても、でも「イギリス人の患者」は、
やはり素晴らしく美しい映画でしたよネ?!

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たくさんの話題で長いお付き合い、本当に有難うございました!


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この記事へのコメント

  • tomoko

    shinkaiさん
    お久しぶりです。
    English Patientは昔見て大感動した映画です。
    絵や洞窟壁画などのシーンは素晴らしいと思いました。
    その実像がわかって、まああ!
    でも映画はそれはそれで良いし、自分の中に残っている思いは
    変わりません。

    ピエロ デラ フランチェスカは19年にArezzoに何日か滞在して
    じっくり見ましたが、修復されたのですね。もう一度行きたいですが…


    実は去年ギリシャとトルコと旅行しました。ギリシャ悲劇の講座に
    通っていて、その先生のツアーです。お話が面白いのです。
    毎日遺跡巡りでせっせと歩きました。ギリシャ文明の基はトルコや
    東方だと実感しました。     





    2024年02月17日 14:33
  • shinkai

    ★tomokoさん、 こんにちは! お久し振りです、コメント有難うございます。

    はい、私も暫くぶりにDVDを見直したのでしたが、やはり数少ない映画の1本で、いつ見ても引き込まれ、感動しますねぇ。
    素晴らしい映画だと思います。

    そうなんです、改めて見ると、映画の中のあの壁画が即気になり、見直すとちょっと酷くて残念だったのですが、
    まぁ、分かっても映画の中の事だし、実際に撮影できない程大切にされているのだ、と思うと納得です。

    洞窟の中の泳いでいる太古の人の姿は、あれは感動ですねぇ。素晴らしく美しい姿で、かってはあんなに流れがあったのか、と別の感動もありますね。

    この22日、木曜にアレッツォに行って来ます、イェイ! 
    本当は1泊できればなお良いのですが、まぁ、その分、2回分切符を取ったのでじっくり見て、撮る心算です。
    またブログにも載せますので、見てやって下さい。

    あれ、ギリシャとトルコに行かれましたか、ギリシャ悲劇の講座のツァー、というのが良いですねぇ。

    そうなんですよ、私も昨年からそれ迄参加していたグループの申し込みをやめ、自分が見たい展覧会を見に行く方が、また旅行も行きたい所のみ、に絞ろうと思って、そうしたのでした。

    単なるツアーだと、本当に見たい物があっても、そこは素通りされたり、時間が短すぎたりで・・、自分の先の短さを考え、はは、そうしたのでした。

    お元気で!! また、を楽しみに!!



    2024年02月18日 16:46