映画ファンの皆様、そして、そうでもない方も、ラッセル・クロウ・
Russell Crowe、はい、あの映画「グラディエーター」の主役、
なるとご存じですよね?!
Russell Crowe、はい、あの映画「グラディエーター」の主役、
なるとご存じですよね?!

で、今年の年明け早々から、彼のニュースが携帯に次々と出て、
それが、彼のルーツはイタリアで、曽祖父はマルケ州の
アスコリピチェーノ出身、ルイージ・ゲッツィ・Luigi Ghezziと
分かったというのを、
アスコリピチェーノ出身、ルイージ・ゲッツィ・Luigi Ghezziと
分かったというのを、
彼自身が様々に追跡研究し明らかになった事を「X」に
一連の投稿で発表したのだそうで!
一連の投稿で発表したのだそうで!
今回参考にした記事は
ラッセル・クロウのルーツとイタリア旅行への深い愛情
Le radici di Russel Crowe e il suo grande amore per i viaggi in Italia
彼自身イタリアが好きな様子で、昨年の夏はかなり長い間旅行・
滞在していたらしく、様々な小ニュースが流れました。
ラッセル・クロウのルーツとイタリア旅行への深い愛情
Le radici di Russel Crowe e il suo grande amore per i viaggi in Italia
彼自身イタリアが好きな様子で、昨年の夏はかなり長い間旅行・
滞在していたらしく、様々な小ニュースが流れました。
エミーリア・ロマーニャ州の大水害の被害救済のためのコンサートをし、
彼は元ロック・バンドをしていた、と読んだ事がありますから、
歌えるのでしょうね、それを寄付したとか、
彼は元ロック・バンドをしていた、と読んだ事がありますから、
歌えるのでしょうね、それを寄付したとか、
ネットでこんな古い写真も見つけ、1984年、左側だそうで。

あれ、これはウッフィッツィ美術館の廊下ではないの?!


右の方はウッフィツィの長だったアイク・シュミッツ・
Eike Schmidt氏。
素晴らしい手腕でウッフィツィの展示方法を変え、入場者数を
激増させ、 皆さん、ぜひぜひお出かけを!
昨年末の移動発表で、今はナポリのカポディ・モンティ博物館に。
こちらはローマのナヴォーナ広場だったか、12歳の息子の似顔絵描き、
それも戯画スタイルの画家を探して描いて貰っている所と!
それも戯画スタイルの画家を探して描いて貰っている所と!
周囲で見ている弟も、観光客も皆大笑いの良き思い出。

という様な昨年の親密イタリア旅行を書き出しに、
今回のラッセル・クロウのルーツ探し、発見のお話を。
彼は長い間イタリア人の先祖を探していたのが、「民俗学的
家族の物語と、書き間違い」から、「間違った道」に迷い込み・・、
が最終的に、
「1864年にニュージーランドに到着した母方の曽祖父は、
1829年にマルケ州のアスコリピチェーノで生まれた
1829年にマルケ州のアスコリピチェーノで生まれた
ルイージ・ゲッツィ・Luigi Ghezziだった」 事が判明したと。
こちらにマルケ州アスコリピチェーノの位置を。

これは古いご案内で、 ・・後年再訪したのはどこに行ったのぉ?
アスコリ・ピチェーノ ・ クインターナのお祭り
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029323.html
アスコリ・ピチェーノ ・ 夏の祭り
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html
で、このルイージは「パルマ生まれのアウグスティーネ・Augustine
(編集者によると、おそらく アゴスティーノ・Agostino)と
アンヌンツィアータ・Annunziataの息子で、
彼はアルゼンチンで働き、その後インドに向かったのが難破し
ケープタウンに辿り着き、そこでメアリー・アン・カーテン・
Mary Ann Curtainと出会い結婚したと。
その後二人はニュージーランドに移住したのだそうで、
何とも大変な、世界を股にかけての冒険、移住物語ですねぇ!!
このご先祖様のニュージーランド到着年は書いてありませんが、
ラッセル・クロウ自身は、1964年4月7日 ニュージーランドの
ウェリントンで生まれています。(もうすぐご還暦!)

彼は自分の先祖について綿密な歴史的調査を実施し、
「ノルウェー人、イタリア人、スコットランド人、マオリ人」の
祖先を発見し、
近親者からのDNA検査で、「誰を介し、どの様にかは分からないが、
殆どがアイルランド人」であることが判明したそうで。
殆どがアイルランド人」であることが判明したそうで。
中には名の残る直接の縁戚者もおり、
「父の母方で、1841年にニュージーランドに到着した
ジョン(ジョック)・フレーザー・John (Jock) Fraser」 とあり、
何者? 何をした人? という例の好奇心で検索し、分かったのがこの方。

真ん中がジョン(ジョック)・フレーザーで、左は息子のヒュー・Hugh、
サミュエル・Samuel、右という説明。 1870年頃の写真。
右目と頬の様子が少し変に見えるのは、きっと事故か何かで目を失ったのかも。
この写真の方達がラッセル・クロウの指摘した方とは未だ分からずとも、
ジョン(ジョック)・フレーザー 1810-1893
ヒュー・フレイザー 1833年生まれ
サミュエル・フレイザー 1851-1929
とまで分かりました。
これによると、ジョン(ジョック)・フレーザーは、1814年5月9日
イギリスのスコットランド、インバーネス、ドーレス生まれ
イギリスのスコットランド、インバーネス、ドーレス生まれ
没年は、1893年4月14日 78歳
ニュージーランドのサウスカンタベリー、ティマルにて。埋葬同地。
カテリーネ・フレイザーと、マリー・フレイザーの夫、
にゃに?! 姉妹と結婚?
にゃに?! 姉妹と結婚?
ヒュー・フレイザーとジョアンナ・クニングァムの父親。
あれ、1人女の子が増え、姓も違う、 上のサミュエルはどこに?
あれ、1人女の子が増え、姓も違う、 上のサミュエルはどこに?
と少々驚いたのですが、
ジョン(ジョック)・フレーザーの訃報の説明で納得したのは、
ジョンは1841年11月に「ウィットビー」号に乗って
ニュージーランドのネルソンに到着。
彼は4回結婚し、13人の子をもうけました。 で、納得で~す。
これでニュージーランドに到着の日付が、クロウの指摘した年であり、
この人に間違いない事も!
この人に間違いない事も!
訃報の人物紹介によると、
彼はニュージーランドの初期入植者の1人で、1841年に植民地に
向かう最初の船の内の一隻からネルソンに上陸、
そこに約10年滞在した後、マールボロ、南カンタベリーに。
多くの友人の間でよく知られていた人で、土地を移りながら
息子と共に鉄道の建設に伴う「駅」に関心を持っていたと。
息子と共に鉄道の建設に伴う「駅」に関心を持っていたと。
この辺り、建設業者的な仕事だったのかどうかは分かりませんが、
最後はプレザント・ポイント・Pleasant Pointに定住し、
主に家畜取引(牛の様)に従事した。
主に家畜取引(牛の様)に従事した。
で今日の午後、この町の墓地に埋葬されます。 という事で、
最後の一行、
俳優ラッセル・クロウと、元ニュージーランドのクリケット選手
マーティン・クロウの三番(人)目の曾祖父、と。
Third great grandfather of actor Russell Crowe and former New Zealand cricketer Martin Crowe.
俳優ラッセル・クロウと、元ニュージーランドのクリケット選手
マーティン・クロウの三番(人)目の曾祖父、と。
Third great grandfather of actor Russell Crowe and former New Zealand cricketer Martin Crowe.
日本版ウィキにも載っているマーティン・クロウ 1962-2016、
ラッセル・クロウの従弟になる方はこちら。
ラッセル・クロウの従弟になる方はこちら。

アメリカ移住者、開拓者の物語は良く映画で見ますが、
そうなんですねぇ、ニュージーランドも、オーストラリアも入植者の
開拓物語がたくさん、たくさんあるのでしょうねぇ。
そうなんですねぇ、ニュージーランドも、オーストラリアも入植者の
開拓物語がたくさん、たくさんあるのでしょうねぇ。
で、もう1つクロウが語る「直接に関係があった人物」には、
イギリス・スコットランドの貴族、11代ロヴァット卿サイモン・フレーザー・
Simon Fraser, 11th Lord Lovat (1667-1747.4.9)がおられ、

「古狐」と呼ばれたこの方は、全生涯を陰謀と闘いに明け暮れ、
「確執と忠誠心の変化で知られていた」方なのだそうで!
「確執と忠誠心の変化で知られていた」方なのだそうで!
最後は国王に対する反逆罪で有罪判決を受け、その後死刑宣告、
1747年4月9日にロンドン塔で80歳にして処刑に。
1747年4月9日にロンドン塔で80歳にして処刑に。
最後まで楽観的な態度で臨み、処刑の日に超満員の木の
スタンドが倒壊し、9人の観客が死亡したのを見て笑いだし、
処刑の時にさえ笑い続けていたのだそうで、
スタンドが倒壊し、9人の観客が死亡したのを見て笑いだし、
処刑の時にさえ笑い続けていたのだそうで、
これが「(死ぬ時も)大笑いする」の諺の元となったのだそうで!
そしてロンドン塔で、実際に斬首された最後の処刑となったと。
ううん?と思いましたら、19世紀初頭までは多くの囚人が
死後に斬首されていたそうで、
そういえば、ロンドン塔での最後の処刑、というのに、
1941年1月に捕まったドイツ人スパイ、ジョセフ・ジェイコブスが
8月15日にロンドン塔の射撃場で銃殺に、というのを読み、
1941年1月に捕まったドイツ人スパイ、ジョセフ・ジェイコブスが
8月15日にロンドン塔の射撃場で銃殺に、というのを読み、
一体いつ、本当に最後になったのか、を知り納得したのでした。
いずれにしても11代ロヴァット卿サイモン・フレーザー
については、クロウのご先祖様とどのような経緯があったのか
分かりませんでしたが、
彼に興味を持たれた方、英語のウィキペディアをどうぞ!
大変に破天荒な生涯を知ることが出来ますです。
大変に破天荒な生涯を知ることが出来ますです。
そうそう、最後にラッセル・クロウの説明で、
彼の母親の家族では、3世代に渡り、女性はクロウと呼ばれる
男性と結婚した、との事。
イタリア旅行の美しい写真も、多く投稿されている、との事で~す。
彼自身のルーツ発表に伴い、アスコル・ピチェーノの市長
マルコ・フィオラバンティ氏は、既に「名誉市民」として
迎える事を決めて待っているとの事で、
はい、彼はイタリアのあちこちを訪れているものの、
アスコリ・ピチェーノはいまだ訪れた事が無く、
アスコリ・ピチェーノはいまだ訪れた事が無く、
次回にはきっと念願のイタリア系曽祖父の生まれた地を訪れ、
新しく晴れ晴れの素敵な笑顔が見れる事でしょう!
shinkaiは彼の映画も好きで、時々DVDを見直し楽しんでいますが、
昨年早々に見つけたPC技術関係・修理店、どうやら3人の友達で
店を運営しているらしい、その1人の目がクロウそっくりで、ははは、
店を運営しているらしい、その1人の目がクロウそっくりで、ははは、
時に店に行く時は内心とても楽しんでいま~す。
こんな目ね。

は~い、あんたは長生きするよ、と皆さんによ~く言われますです。
*****
当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
この記事へのコメント