で、新年早々にご案内した様に、
「ピエロの高さに・All’altezza di Piero」、つまり壁画の保存状態を
調べる為の足場をかける機会を利用し、その上から鑑賞できる様にと、
調べる為の足場をかける機会を利用し、その上から鑑賞できる様にと、
1月27日から3月12日迄の特別公開が、いよいよ始まります。

予約がオンラインで発売され始めたのは、12月19日からで、
それが最初のオープンは10日間分だけ! そして2週間後に
次の2週間分、
次の2週間分、
そして私めが獲得したかった2月22日の午後のは
(この日は午後のみ公開)3回目の2週間分公開に当たり、
(この日は午後のみ公開)3回目の2週間分公開に当たり、
既にそれ迄に要領が分かっていたので、公開日の朝に即予約を!
木曜22日は午後のみで、1時間分6人の、午後14時からが
いち早く売り切れになるので、待ち構えておりました、ははは。
予約が取れ払い込みもし、そして列車のキップも購入、
本当に、やった~!! という喜びで、今は来月22日を待つのみ!
本当に、やった~!! という喜びで、今は来月22日を待つのみ!
今キップ予約のサイトには、赤字でSOLD OUTが見事に並び、
先日のサイトには、イタリア全土からの予約だそうで、
既に10日ほど前に完売となったそう。
こんなチャンスは本当に特別なので、しっかり見て来ようと!
足場がどの様に掛かるのかが気がかりだったのですが、
2日前にチラッと出た写真では、こんな様子で、

よっしゃぁ、近くからは良く見れそうだけど、対面の壁の見え様は?
とも思うものの、焦っても仕方なく、
とも思うものの、焦っても仕方なく、
もしこの土曜の初日のニュース写真が出れば分るかもと思い、我慢を。
で、実は今回の「アレッツォのピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画」
のみでなく、もう1つ、同時期開催の展覧会があり、
今迄諦めていた、今回ご案内の「ジョバンニ・バッティスタ・モロー二展・
Giovanni Battista Moroni展」がミラノである、
Giovanni Battista Moroni展」がミラノである、
いや既に12月から開催中で4月1日まで、なのですね。
諦めていたのは、一番見たい「仕立て師」が、ロンドンの
ナショナル・ギャラリー収蔵品で、一度2015年~16年に掛けて
お里帰りをしていたので、

ロンドンは遠いし、無理だなぁ、と思っていたのが、
なんと、ミラノにお里帰りで、
「モロー二(1521-1580). 彼の時代の肖像画」 という展覧会。
「モロー二(1521-1580). 彼の時代の肖像画」 という展覧会。

サイト記事の中に幾つかのヴィデオ、イタリア語ですが、見れます。
https://gallerieditalia.com/it/milano/mostre-e-iniziative/mostre/2023/12/moroni-1521-1580-il-ritratto-del-suo-tempo/
https://gallerieditalia.com/it/milano/mostre-e-iniziative/mostre/2023/12/moroni-1521-1580-il-ritratto-del-suo-tempo/
中でも勿論展覧会の主役は、「仕立師・イル・サルト」ですが、
他にもたくさんのモロー二が描いた素晴らしい肖像画が展示の様で、
場所は、「ガッレリーア・ディターリア・Gallerie d'Italia-ミラノ」
えっ、これはどこに、と一瞬驚いたのでしたが、なんとミラノの
ドゥオーモ前からかのガッレリーアを抜けると、スカラ座の前に
広場がありますよね、 その広場の東側に!


で、なんと大きな名前!と思いましたら、同じ名前のギャラリーが、
ミラノの他に、トリノ、ヴィチェンツァ、ナポリ と4つあり!
ミラノの他に、トリノ、ヴィチェンツァ、ナポリ と4つあり!
持ち主が、インテーザ・サンパオロ・Intesa Sanpaolo という大銀行!
はは~ん、と思った内部の凄さ、広さをどうぞ!



収蔵作品もきっと多いのでしょうが、はぁ、お金持ちの様子は
まるで知らずで、色々書いてあったのを読むと、たくさんの美術館、
勿論ヨーロッパ圏からアメリカの美術館とも提携し、
貸し借りも含めて様々な美術展を開催している様子。
まるで知らずで、色々書いてあったのを読むと、たくさんの美術館、
勿論ヨーロッパ圏からアメリカの美術館とも提携し、
貸し借りも含めて様々な美術展を開催している様子。
で、床模様が写っているので、ああ、これが現在の展覧会の様子、
と分った写真を幾枚かどうぞ。
と分った写真を幾枚かどうぞ。










暗い背景の中に、でもきちんと肖像画全体がしっかりと見える、
きっと照明がLEDの計算された光源なのでしょう。
が、済みません、いつもであれば、これはどこの何様で、と
調べるのですが、今回はご容赦を。
調べるのですが、今回はご容赦を。
肖像画と宗教画が専門だった様子のモロー二の作品で、ここ迄
出来が素晴らしく迫力あると、
出来が素晴らしく迫力あると、
肖像画を依頼する方の位の高さと態度、品格、そしてしっかり
お金のかかった衣装の見事さにも先にヘナヘナとなり、はぁ・・。
お金のかかった衣装の見事さにも先にヘナヘナとなり、はぁ・・。
が、私めが本当に見たいのは数枚で、その内の1枚がこの少女。
レデッティ家の少女・Ritratto di bambina di casa Redetti
1570-1573年 43,3X33,2cm ベルガモ・カッラーラ美術館収蔵
1570-1573年 43,3X33,2cm ベルガモ・カッラーラ美術館収蔵

多分5歳位の少女が、まさに大人同様の誇らしげな態度、つまり
既に周囲の大人たちによって自分の将来が決められているのを
知っている少女、なのですね。
既に周囲の大人たちによって自分の将来が決められているのを
知っている少女、なのですね。
白サテンのシャツの上に、濃い緑色の刺繍の入った黄土色の
スペイン風の上着を纏い、
スペイン風の上着を纏い、
少女の純潔さの象徴、そして将来の結婚生活の貞淑、
忠実のシンボルである真珠のネックレスに指をかけ、
忠実のシンボルである真珠のネックレスに指をかけ、
右手の手首に見える赤珊瑚のブレスレットは、子供への
良い縁起を願うお守りであり、
良い縁起を願うお守りであり、
顔を囲む髪のカールが愛らしいこの少女、許嫁者としての
紹介であろうこの様子は、
紹介であろうこの様子は、
視線を下げず、大きな青い目でしっかりとこちら、観客者を見つめ、
身に着けた高価な衣装のみならず、性格の強さも示している。
身に着けた高価な衣装のみならず、性格の強さも示している。
というこの作品は、どうやら彼女の死後の作品らしいのですが、
見る限りには、彼女は確かに生きている人間としか見えず、
これがジョヴァン・バッティスタ・モロー二の主たる特徴である、
依頼者・モデルの性格、魂を把握し、キャンバスに転写する、
出来る方法、技術を持っていた、と。 確かに!!
出来る方法、技術を持っていた、と。 確かに!!
ジョヴァン・バッティスタ・モロー二(1520-25頃-1578)
彼の生涯については、あれこれ日本版ウィキにもありますので、
そちらをご覧頂くとして、
そちらをご覧頂くとして、
彼の生年月日は様々で、というのも、両親が正式に結婚
(1520,11,11)する以前の生まれだった様で、
(1520,11,11)する以前の生まれだった様で、
ベルガモの北東アルビーノ・Albinoの生まれ、1543年頃には
既に独立した画家として活動していた様子ですが、
後に政権争いに巻き込まれ、10年程生まれ故郷に亡命も。
既に独立した画家として活動していた様子ですが、
後に政権争いに巻き込まれ、10年程生まれ故郷に亡命も。

彼は16世紀の後期ルネッサンスの実力画家と見做されますが、
かのヴァザーリの「偉大な画家列伝」に載るには時代が遅れ、
その為イタリア全土、世界での発見が遅れたものの、地元
ベルガモ周辺の貴族や聖職者たちのエレガントな写実的
肖像画で知られ、
ベルガモ周辺の貴族や聖職者たちのエレガントな写実的
肖像画で知られ、
それも従来の公式な肖像画の無味乾燥の固定化ではなく、
依頼者、モデルが身振りをする瞬間の「行動中の肖像画」と
定義できる肖像画を描いた、のですね。
定義できる肖像画を描いた、のですね。
今回特別にご覧頂きたい作品、私めが取分けおめもじを待つのが
この「仕立て師」で、これこそ彼の真骨頂の作品と。
Il sarto・仕立て師 1570年 99,5x77cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー収蔵

で、ウィキペディアのイタ版のお助けで、誰が依頼し、モデルは誰か、
のお話を。
のお話を。
確かな依頼者は不明、がまず前提で、
多分デセンツァーノ・ガルダ湖南 出身のマリノーニ家・
Marinoniの代表者で、暫く前に芸術活動をやめ、
商売の為にヴェネツィアに移住していた、と推定されている方と。
商売の為にヴェネツィアに移住していた、と推定されている方と。
地図で見ると、上のアルビーノの管轄内に含まれる、いわば隣村、と
いう感じでしょうか、
つまりモロー二の評判、作品の出来も良く知っていただろうと思われ、
いう感じでしょうか、
つまりモロー二の評判、作品の出来も良く知っていただろうと思われ、
マリノーニ家、芸術活動をやめ云々、というのは、
1494年の文書に既に存在する画家アントニオ・マリノーニの一家で、
息子達フランチェスコとアンブロージョと共に画家の第3世代が誕生、
第4世代も続き、16世紀に活動を終えた、という、
第4世代も続き、16世紀に活動を終えた、という、
近隣一帯で活動し続けた画家一家、今も作品があちこちに、
の様子。
の様子。
ウィキペディアのイタ版に、Antonio Marinoni の記述があります。
で、この作品のモデルを務めているのは、依頼者自身であろうと言い、
この機会にエレガントな衣装に身を包み、手入れの生き届いた髭の
人物の実際は仕立て師ではなく、
多分パンニーネ・pannineと呼ばれる毛織物の売り手だったろうと。

実際描かれているのは既製服ではなく、布地を切る動作を描いており、
中世では布の品質は非常に重要な要素で、誰もが高品質の
毛織物で作られた衣類を手に入れる事は不可能で、
毛織物で作られた衣類を手に入れる事は不可能で、
衣類は、持ち主死後の遺産分けにも使われた、と読んだ事もあり、
高価な物だったのでしょう。
高価な物だったのでしょう。
従って、布販売者は貴族ではなくとも、一定の経済的な楽しみを
享受出来た人だったと。
享受出来た人だったと。
17世紀のスペイン・ファッションの幅広の膨らみのあるズボンを着け、
首回り、そして袖口から見える手首、には白いプリーツも見える
ファルセット・farsettoと呼ばれる上着を着ていて、
首回り、そして袖口から見える手首、には白いプリーツも見える
ファルセット・farsettoと呼ばれる上着を着ていて、
仕立て師は、少し横向きに立ち、手に鋏を持っての仕事中に
誰かに呼ばれて視線を向けた、という様子で、

その動きの中に、画家はイメージの真実性、市民的であるものの
厳しい仕事をしている人々の視線の真剣さを描き、
厳しい仕事をしている人々の視線の真剣さを描き、
描く画家の名声と、作品をも不滅にしたと言えましょう。
それにです、小さな声で言わせて頂くと、
モデルであり、作品依頼者の男性のセクシーな美男ぶりも
きっと人気の1つの要素に違いない、と思うので~す。
きっと人気の1つの要素に違いない、と思うので~す。
このちょっと冷たげな目線も、ね。
そう思われません?!

この絵は元々ヴェネツィアのグリマーニ家が所有していたのが、
19世紀にフィリッツォーニ家・Frizzoni、邸宅は現ベルガモ市庁舎、
の家族の個人コレクションの一部だったそうで、
1862年チャールズ・ロック・イーストレイク・Charles Lock Eastlakeが
ロンドンのナショナル・ギャラリー開館の為に、美術品購入にイタリアに
来た時に購入されたもので、現在も彼の所有となっているそうで。
ロンドンのナショナル・ギャラリー開館の為に、美術品購入にイタリアに
来た時に購入されたもので、現在も彼の所有となっているそうで。
まぁ、彼の眼識が高かったとはいえ、売ってしまったのですねぇ、
まぁ、イタリアも貧乏だったのでしょうが・・。
まぁ、イタリアも貧乏だったのでしょうが・・。
ヴェネツィアのグリマーニ家、邸についてのご案内は
n.2 グリマーニ邸 ・ ヴェネツィア、ルネッサンスの館
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472868405.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472868405.html
で上記した様に、「仕立て師」のお里帰りは2015-16年にかけてで、
その当時はまるで彼の絵も知らずでして、
今回2度目のお里帰りでおめもじ出来ることになり、ニュースを
知った時の嬉しさは、本当に、わぁ~お!でした。
知った時の嬉しさは、本当に、わぁ~お!でした。
既に予約も済み、列車のキップも購入し、3月末を待ちます。
上にご紹介の2点以外に関心ある2点は、
29歳の紳士の肖像・Ritratto di gentiluomo ventinovenne
1567年 56x44cm ベルガモ・カッラーラ美術館収蔵
1567年 56x44cm ベルガモ・カッラーラ美術館収蔵

こちら、ジャン・フェデリーコ・マドゥルッツォの肖像・
ritratto diLodovido e Gian Federico Madruzzo 1562
Art Institute of Chicago収蔵
Art Institute of Chicago収蔵
いえ、このイカツイお顔の紳士ではなく、 すんまへん、

傍に控えるワン君・ロドヴィード・Lodovido という名の、
この目つきを見た途端にお会いしたく・・!! むひひ。
この目つきを見た途端にお会いしたく・・!! むひひ。

という、予告編のご案内でしたぁ。
きっと実展覧会を見た後には、も少し他の作品についての関心も
広がる事であろうと、自分に期待もしておりま~す。
***
と、1月早々「俳優ラッセル・クロウのルーツは」の記事で、
「曽祖父はアスコリ・ピチェーノ生まれ!」とご案内致しましたが、
なんと「パルマの別の村だよ」、というニュースが出て、
今回の下「分家の絵ブログ」でご紹介しております。 ご覧下さいね。
今回の下「分家の絵ブログ」でご紹介しております。 ご覧下さいね。
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