・ 再掲 ティツィアーノの生家博物館 ・ ピエーヴェ・ディ・カドーレ 

今回ご覧頂くのは、先日フェースブックに「ティツィアーノの生家」を載せた際に

生家の写真も少し載せたので、記録庫の記事2014年9月3日を、ご覧下さい。


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先週初めに我が友が来伊し、3日程ドロミーティの方に出かけましたので、
ピエーヴェ・ディ・カドーレ・Pieve di Cadoreにある
ティツィアーノ・Tiziano Vecellioの生家博物館をまずご覧下さいね。


町に宿を取り、朝の6時過ぎベランダから眺めましたら、なんと素晴らしい朝焼け!
で、ちょいちょいと肌寒いベランダから身を乗り出し撮ったのをまずどうぞ!


部屋の位置が大変よく、横からずっと奥に長いカドーレ湖にも朝焼けが映え

ピンクに染まり、

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手前の山の雲から覗く峰も、朝日を受け、

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湖の奥に立ちはだかる山々に、光が差し込み始め、

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徐々に空のブルーがピンクに取って代わるという、
日の出に気がついてからその間30分程でしたか、の場面でした。


翌朝も当然のごとく朝焼けが見れるものと思いましたが、ははは、残念な事に、
涼しい朝の色でしたぁ。 まさにチャンスなのですねぇ、こういう色に会えるのは!


地図をどうぞ。
今回はピエーヴェ・ディ・カドーレに宿を取り2泊。
初日は家からコルティーナ・ダンペッツォ・Cortina d'Ampezzo
ミズリーナ湖・Lago di Misurina、アウロンツォ・Auronzoを回り宿に。

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翌朝ティツィアーノの生家博物館と、メガネ博物館を見学。

メガネはこのカドーレ一帯の地場産業で、有名メーカーもあり出来た新しい博物館で、

チラッと見たパンフレットに「ドージェのサングラス展」。


ドージェ・Dogeはヴェネツィア共和国総督の意ですので、えっ、あの時代にサングラス?
と、見に出かけましたが、内緒で撮った写真を、ははは、またご覧頂きますね。
       
そして北の町ドメッジョ・Domeggioのかねてから目に付いていた古い建物も見に出かけ、

最終日はロンガローネ・Longaroneに寄り、半世紀前に大災害を引き起こした
ダムを見つつフリウリ方面に抜け、
バルチス・Barcisのエメラルド色の湖を見て家に戻った、という3日間でした。


有り難いことに3日間大変良いお天気が続き、とりわけ初日のコルティナは
前夜降った雨のお陰で空気が透明に煌く素晴らしさ!
ドロミーティの山々も素晴らしい迫力の姿を見せてくれ、ここも改めてご覧に。


こちらはピエーヴェ・ディ・カドーレの町の地図で、一番上に我らが泊まった宿、
濃いベージュ色の部分は、ティツィアーノ広場・Piazza Tiziano
隣のサンタ・マリーア・ナシェンテ教会・S.Maria Nascenteにはティツィアーノの絵も。

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ティツィアーノの生家博物館・Casa natale di Tiziano
そして少し先にメガネ博物館・Museo dell'Occhiale.



朝日を見た後、朝ご飯までの時間を出かけます。


ティツィアーノ広場と、広場に立つティツィアーノの像。

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まだ観光客は居らず、すぐ横のバス停から出かけるお勤めの人だけ。


広場から10m程下った所に見えるティツィアーノの生家。 周囲をきちんと整備された
家々に囲まれ、ここだけが15世紀のままの家の姿を保つ不思議な空間。


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左奥の大きな家も、手前の泉の像もボヘミア出身の司教とか、ティツィアーノに関係なし。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1477-1576)は既に皆さんもよくご存じの、
その色使い、筆裁きの素晴らしい作品によりルネッサンスを代表する画家の一人で、
簡単にサイトで見ることが出来ますので、ここでは省略させて頂き、


今回は生家博物館の様子に絞ってのご案内です。

       
軒の木組みは撮っていましたが、

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今回正面からの姿は昼間撮っておらずで、へへ、サイトから拝借を。
 

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1階の一番左端、少し高い位置に見える扉内は貯蔵庫、ここは家の張り出し部に辺り、
そう大きくなく、その右の扉内はカンティーナ・ワイン貯蔵庫、倉庫でもあったか、
見える大きな金属の扉が、現在博物館の入り口。 外に見える木の階段を使い2階に。



屋根は木の板で葺かれており、こういう木の板葺きの屋根をスカンドレ・scandle
又はscàndoleという事を今回知りましたが、


木は栗の木で、25~30cmの長さの丸太を縦割りにし、枝の出た節の部分は使わず、
良い部分は小さくしたのを葺き始めの最初に使うと。

こちらでちょっと様子をご覧頂けます。

https://www.lavorincasa.it/tetti-in-scandole-di-legno/#google_vignette


さて博物館内に。 この町には何度も来ているのですが、博物館は夏季以外は
予約が要り、漸くに中を見ることが出来ます。


1階は一部屋の広間で、と言ってもさほど広くはなく、周囲の壁には

ティツィアーノの作品写真や関連写真が展示され、


真ん中のケースに、彼が使った色・粉絵の具があり、


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数えると、全部で28色、赤系の右は茶系の色で、その右に白と黒系が2色。
この28色を使っていたというのは、ティツィアーノ広場の北端の建物に研究所があり、
そこで調べた結果なのだそう。


こういう粉絵の具を油ですり混ぜ、描いていた訳ですね。


1階で切符を買った後、管理兼ガイドの女性がティツィアーノの家の変遷について
簡単に話してくれましたが、ウィキぺディアや市のサイトで読んだ事も織り交ぜると、
      
ティツィアーノの父親グレゴーリオは材木商、土地の有力者で、
兄のフランチェスコは評価された絵描きで、後にヴェネツィア共和国の軍で働いたりの
多能多才の人だった様子。後年故郷に戻り近くの家に住んでいたそうで、それに妹が3人。


フランチェスコとティツィアーノは、まだほんの若い頃12歳から9歳頃に

ヴェネツィアに絵の修行に出かけ、伯父の家に寄宿したとかの情報もあるそうですが、

未確認。
兄はその後上記の通り故郷に戻りますが、ティツィアーノのその後の大成功は
良くご存知の通り。


ティツィアーノ兄弟姉妹5人が生まれたこの家は、ヴェネツィアに住居を構えた彼が
不規則に訪れるほか、父親が1538年に亡くなった後は、誰も住んでいなかった様。


で、ティツィアーノの没後この家を相続した長男のポンポーニオ・Pomponio
ちょっとした厄介者だったらしく、じきに土地も含めて売り払い、続く世紀の間に
持ち主も変わり、最後の持ち主は家族が多く、この家の前に新しく家を建て拡張を。


そして1922年、時のイタリア王国はこの家を「国の記念物」に指定し、それに従い
前部の建物を取り壊し元の姿に修復。 こうして193287日に新しく公開。


ガイドさんの話では1階部分は現展示室として様子が変わっているものの、
2
階部分はオリジナルという事でした。 が、様子が分かって考えると、
オリジナルを尊重しつつ少し修復の手が入っている物と。

     

外の木の階段を上がった所のバルコニーから、ティツィアーノ広場方面を。 
ご覧の通り、すぐ近く。

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2階の入り口扉脇。 普通大きな貴族のお屋敷ではこういう部分装飾は大理石ですが、
ここでは木製で、勿論雪深い地方の事ですし、2階の各部屋の入り口も同様で、
かってはフレスコ画で装飾されてていた痕跡も残ります。

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2階入り口の扉。 ここは外から鉄の閂が掛かる様になっていて、

ガイドさんが来られて後、引っこ抜いて開けておられましたです、はい。

この虫食いと風雨と歳月による、素敵なちびり具合!!


       

2階の真ん中を通る通路部分の床模様。 いい味わい、趣でしょう?!


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2階の平面図 (上の図)をどうぞ。
4.
通路  5.炉のある台所  6.台所用備品貯蔵室
7.8.
寝室  9.書斎


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炉のある台所、兼居間と。 少し暗いですが、敢えて雰囲気を味わって頂く為、
こんな感じでした、と選びました。


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素晴らしい素敵な光の入る部屋で、足を踏み入れた途端、友人ともども、
わぁ、素敵ねぇ!と声が出ました。


この台所が、当時は家の中で唯一火のある、暖かい部屋だったと!


擦り減り、割れた床石の美しさ!

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炉と煙突、そして周囲を囲むベンチ。


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煙突の中は真っ黒に煤が溜まり、


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子供のティツィアーノもこのベンチに座り暖まり、マンマにまんまをねだったかも・・!


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いつもは訪問場所で記念写真を撮ることは無いのですけど、
余りにも良い雰囲気に、お互いを撮り合ったのを白状いたしますです、ははは。



横に見える小さな扉が、脇の食品貯蔵庫室に。
座の高い大人用の椅子が何脚かあり、冬の寒さも想像した事でした。


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隣の部屋の床は、そして他の部屋も全て木の床で、つまりこの囲炉裏の部屋は、

火事に対処しての石の床だったものと。



椅子の背の彫り。


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囲炉裏の部屋の、表側に向いた部分の一角。


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台所の奥、n.7の小さい方の寝室。 
全面木張りが施された小部屋で、子供達はこの部屋で生まれたのかも・・。


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この寝室の壁にあった家系図、この写真では到底名前は読めませんが、
下から3行目に黄色く記されたのがティツィアーノの位置で、


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その上4代目が一族に姓を与えた人物と考えられる公証人のグエチェルス・
Guecelus
、またはヴァチェルス・Vacelus.

ここに見えるティツィアーノの孫の世代に至る一族内に、画家と記されたのが
彼を含め9名数えられます。



n.9の大きな方の寝室で、ここは床も壁も剥きだしで、冬は寒いだろうと思いつつ、
ここの光の入り様も、素敵だなぁ!と。


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全面木が張られた書斎で、手紙、書類の展示も。


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2階から下への階段。


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こちらは家の西側の脇面。 土地の傾斜により向こうの泉側の広場から入る
裏の入り口は、2階に通じているのが分りますが、こちらにもう一段バルコニーが見え、
屋根裏への上がり口もどこかにあり、倉庫代わりだったかもと。


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という事で、夜の照明で撮った正面からの様子を最後に。


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見学は630日から914日までは、毎日開館
10:00-12:30
 16:00-19:00


ただしこれは2014年のカレンダーで、9月の後半は月曜休館、それ以外は
開館日がとても複雑ですし、見学ご希望の方、冬季は予約が必要とお考えを。
tel +39-0435-32262
または e-mail  info@magnificacomunitadicadore.it

入館料は3エウロ、シニア、学割では2エウロ。 どちらも2014年当時。


写真禁止の札が出ていますので、
控えめな態度で、ははは、フラッシュは無しでね。


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ご覧の通り、長い間ご愛顧頂いた絵ブログは先月末に削除させて頂きました。

今後とも、当ブログ、記録ブログの方はよろしくお付き合い下さいませ。

* ディスプレイを少し大きなのに替えましたら、見え様に今だ馴染めず、

編集後がどの様に皆様に見えているのか、気になりますが、御容赦を!



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記録庫ブログは、お陰様で無事引っ越しを終えています
 
今後ともの皆様のご訪問を、お待ち致しておりま~す!

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