今日はタイトル通り、未だ終わりが見えないウクライナ戦争から、
犬を連れ、子猫を抱えて逃亡した男性のそれぞれのお話をどうぞ。
犬を連れ、子猫を抱えて逃亡した男性のそれぞれのお話をどうぞ。
その1は、
イーゴル氏はマリウポリから逃亡。ロシアの検問所で目立たぬ様にし、犬のズーズーを連れて徒歩225キロ。
La fuga di Igor da Mariupol, 225 chilometri a piedi con il cane Zhu-Zhu cercando di essere “invisibile” tra i check point russi
イーゴル氏はマリウポリから逃亡。ロシアの検問所で目立たぬ様にし、犬のズーズーを連れて徒歩225キロ。
La fuga di Igor da Mariupol, 225 chilometri a piedi con il cane Zhu-Zhu cercando di essere “invisibile” tra i check point russi
記事はラ・スタンパ紙の動物版、ラ・ザンパ 2022年5月14日付け
はい、この記事は既に2年半前、ロシアのウクライナ進攻が始まって
2カ月半後に既に公開されていたのをコピー、保存していたもので、
2カ月半後に既に公開されていたのをコピー、保存していたもので、
一昨日かに、今回その2、でご紹介するもう1つのウクライナからの
逃亡者、元新聞記者で戦争への徴兵を逃れる為に、子猫を連れ
逃げ出した男性の話を知り、一緒にご案内を。
逃亡者、元新聞記者で戦争への徴兵を逃れる為に、子猫を連れ
逃げ出した男性の話を知り、一緒にご案内を。
では、その1から。
225kmとなると、ローマからナポリまでをカバーする距離だそうで、
日本だと東京から静岡の手前、焼津辺りの距離であろうと。
日本だと東京から静岡の手前、焼津辺りの距離であろうと。
その距離を分かれがたい忠犬を連れ、バックパック50kgを肩に担ぎ、
目立たぬ様に徒歩で、戦闘が激しくなったマリウポリ・Mariupol から
北西のザポリーシャ・ Zaporizhzhiaを目指した
目立たぬ様に徒歩で、戦闘が激しくなったマリウポリ・Mariupol から
北西のザポリーシャ・ Zaporizhzhiaを目指した
イゴール・ペディン・Igor Pedin、 61 歳、
犬は9歳のテリア種のズーズー・Zhu-Zhu。
犬は9歳のテリア種のズーズー・Zhu-Zhu。

上の写真に見えるガーディアン紙の報じた所によると、
彼らがマリウポリを離れたのは、2022年4月23日午前6時、
「家々に侵入し、意のままに発砲」し始めたロシア兵の到着から
数時間内に、2人は包囲された街マリウポリから脱出。
数時間内に、2人は包囲された街マリウポリから脱出。
マリウポリの激しい攻防についてはきっと日本でも報道されたでしょうし、
日本版ウィキで確認してきた所によると、
日本版ウィキで確認してきた所によると、
2022年2月24日から5月20日まで激しい戦闘が続き、
市街戦、そして最後は4月半ばから、かのアゾフスタリ製鉄所に
立てこもった兵士と市民への、ロシア側からの何とも凄まじい戦闘となり、
立てこもった兵士と市民への、ロシア側からの何とも凄まじい戦闘となり、
遂に5月20日、ウクライナ軍は戦闘停止を命じられ、降伏した、という
経緯でしたから、
経緯でしたから、
イゴールが4月23日に街を脱出、というのは、まさに瀬戸際だったと。
地図をどうぞ。
マリウポリ、そして最初のロシア兵検問所があったというニコルスケ・
Nikolske、そしてその後の検問所の、ロジフカ・Rozivka、そして
ヴェルジナ・Verzhynaは、
マリウポリから北に進み、西にカーヴを切る辺り、と地図で見つけました。
Nikolske、そしてその後の検問所の、ロジフカ・Rozivka、そして
ヴェルジナ・Verzhynaは、
マリウポリから北に進み、西にカーヴを切る辺り、と地図で見つけました。

で逃亡の様子を続けると、
ペディンとズーズーのまずの目標は、ロシア兵の目に留まらない事で、
マリウポリからの5キロの道を、地雷や道路に残された死体をよけて移動。
マリウポリからの5キロの道を、地雷や道路に残された死体をよけて移動。
途中で兵士達に出会ったのもの、「彼らの目には私は放浪者であり、
何物でもなかった」と。
何物でもなかった」と。
年を取っていた事も目くらましになったのでしょう。
マリウポリの街を出て、振り返って眺め、「街と別れる事は正しい
決断だったと自分に言い聞かせました」と。
決断だったと自分に言い聞かせました」と。
マリウポリから20km離れたニコルスケに到着した2人は、
家のドアの外で16歳の息子を埋葬したばかりの男に出会い、
「彼は私に乾杯するするよう頼んだ」と。
ペディンは15年間アルコールに触れていなかったものの、断る事は出来ず。
翌朝町を出ると、2人はチェチェン兵士の検問所に遭遇し、
「彼らは私にどこに行くのかと尋ね、その後ニコルスケに連れ戻され・・」
オフィス内でロシア人将校が私に尋問し、「私は彼に嘘をつき、胃潰瘍を
患い、治療費を支払ったので、ザポリージャに行かなければならないと言い、
患い、治療費を支払ったので、ザポリージャに行かなければならないと言い、
入れ墨を探す為に服を脱がされ、背中の打撲傷のせいで
ライフルを持っていると思われたのです」
ライフルを持っていると思われたのです」
そして彼は殺す、と脅されたものの、指紋採取と顔写真撮影の後、
ロシア軍は自称ドネツク人民共和国からの文書を渡し、タバコを
与えて釈放したと。
ロシア軍は自称ドネツク人民共和国からの文書を渡し、タバコを
与えて釈放したと。
この文書でロジフィカでは2人は問題なくチェックを通過したものの、
次のヴェルジナではニコルスカの検問所と同じ場面が繰り返され、
更なる検索と脅威、ただ幸いな事に問題は起こらず、
ただもう1つ、自由に到達する前に、30mの高低差を残して
破壊された橋を渡らねばなりませんでしたが、
破壊された橋を渡らねばなりませんでしたが、
その後、車で通り過ぎた男性のお蔭で最後の行程がはかどり、
遂に遠くに、ウクライナの国旗が見え、
ペディンとズーズーはザポリーシャに到着。良かった、良かった!!

地図で見るマリウポリからザポリーシャは、車で3~4時間位の距離ですが、
ウクライナの国は大きく、
ザポリーシャから首都キーウまでは、斜めの道路をずっとあの角度で
北西に進み、マリウポリから10~11時間、と出ました。
そしてその2のお話は、
戦争から逃れてきたウクライナ人ジャーナリスト、飼い猫のペルシクのおかげで凍死から救われる
In fuga dalla guerra, un giornalista ucraino si salva dal congelamento grazie alla sua gatta Persik
こちらも同じくラ・ザンパの記事、2024年12月13日付ですが、
実際に起こったのは、かなり前の事の様な気がしますが、
これは読んで頂くとお分かりと。
実際に起こったのは、かなり前の事の様な気がしますが、
これは読んで頂くとお分かりと。
救助隊が彼を発見した時、ウラジスラフ・ドゥダ・Vladislav Dudaは
山の斜面に沈み、刺すような寒さで体が固まり、生後4か月の雌の子猫
ペルシク・Persik・小さな桃、を両手で握りしめていた、と。

彼は28歳の若いウクライナ人で、戦争の恐怖から逃れ、ポーランドへの
絶望的な旅を敢行しており、
絶望的な旅を敢行しており、
この2人が「マラムレシュ・Maramures北部」の深さ400mの渓谷の
底にたどり着いた為、この旅は悲劇で終わりそうになったのでした。
底にたどり着いた為、この旅は悲劇で終わりそうになったのでした。
近年で最も複雑な任務の1つに23時間従事した救助隊員たちは、
ウラジスラフを発見した瞬間の感情を、
ウラジスラフを発見した瞬間の感情を、
「彼は疲れきって低体温症だったにもかかわらず、子猫を離さなかった」と。
救急車で搬送されている間も、子猫ペルシクが同様の配慮をもって
治療される事を彼に納得させる必要があった、と言い、
マラムレシュ山岳救助隊の責任者、ダン・ベンガ氏はAP通信に対し、
「猫は暖かく、体を温めてくれたので命が救われた」と語ったそうで。
「猫は暖かく、体を温めてくれたので命が救われた」と語ったそうで。
「私たちが見た中で彼が気にかけているのは猫だけで、彼は自分の
事など気にしていません。」と。
事など気にしていません。」と。
マラムレシュ山岳とはどこに、と地図で探すと、
ウクライナと、彼が辿り着きたかったポーランドは遥かに遠い左上で、
見つかった渓谷は、赤の点線で囲まれた、ルーマニアの位置に。
見つかった渓谷は、赤の点線で囲まれた、ルーマニアの位置に。

ウクライナからの若者の逃亡を防ぐ為に、国境線はかなり厳しく警戒
されているのも読みましたので、きっと彼はそれを逃れる為に遠回りし、
その挙句に思ってもなかった山岳に迷い込んだのでしょうね。
されているのも読みましたので、きっと彼はそれを逃れる為に遠回りし、
その挙句に思ってもなかった山岳に迷い込んだのでしょうね。
必要な治療を受けるために一時的に別れた後、ウラジスラフとペルシクは
再び会って抱き合い、その光景には誰もが言葉を失った程で、
「猫が生きているので、私は幸せです。 私は神から新しい命の可能性を
受け取りました。 最も幸せな瞬間なのは、彼女が私と一緒にここにいるからで、
彼女のいない私の人生は想像できません。」と涙ながらに若いウラジスラフが。
受け取りました。 最も幸せな瞬間なのは、彼女が私と一緒にここにいるからで、
彼女のいない私の人生は想像できません。」と涙ながらに若いウラジスラフが。
彼は、2022年2月24日ロシア進攻のあったすぐ27日以降に数多くの
虐殺があった事で知られるブッチャ・Bucha,Buča近郊の村出身で、
記事は活字の1つが伏字になっており、
本職はジャーナリストだった彼は、徴兵されて前線で戦うことを避けるため
国を離れる決意をし、
ウクライナは徴兵制度を変えたので、きっとその恐れが大きかったのでしょう、
国を離れる決意をし、
ウクライナは徴兵制度を変えたので、きっとその恐れが大きかったのでしょう、
が、ポーランドへの旅は、国境での発見を避ける為に危険なマラムレシュ
山脈を越える事を選択した事で劇的な変化となり、
山脈を越える事を選択した事で劇的な変化となり、
最初読んだ時は気が付かず、そんな険しい山岳地帯で、捜査隊に
見つけて貰ったのはどの様に、と思ったのですが、
見つけて貰ったのはどの様に、と思ったのですが、
そうなんですね、きっと他にもこの山越えで国を脱出する若者がいて、
それで事故防止の為に捜査隊が組織されているのでしょうね。
それで事故防止の為に捜査隊が組織されているのでしょうね。
彼はデュダAP通信に対し、
「あらゆることを経験した後、ただ見つかって生き残ることを望んでいたのが
夢のようだ。 ペルシクのおかげで私の心は温かく保たれ、
私の信念は生き続けた」と語り、
道は険しく、逆境は容赦なかったものの、ウラジスラフとペルシクは
諦めず、遂に生還、
現在、慈善団体の援助を受けて、この若者はルーマニアに定住するか、
それともヨーロッパの別の国に留まるかを決つつあるそうで、
それともヨーロッパの別の国に留まるかを決つつあるそうで、
確かなことは、彼と彼の猫が将来直面するかもしれないあらゆる困難に
一緒に立ち向かうだろうということ、と。 良かった!!
一緒に立ち向かうだろうということ、と。 良かった!!
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現在世界中が何やら戦時真っ最中の様相を呈していますが、
その中で戦争に巻き込まれている国、その人々、様々な葛藤があり、
悲しみも涙も、そして血もたくさん流れ、どの様になるのかと思います。
が、負けずに生きる人々のお話は、自分にいささかの勇気を、と
励まして貰っている気がする時があり、それを忘れまい! と思います。
励まして貰っている気がする時があり、それを忘れまい! と思います。
年の瀬も近く、どうぞご自身をも労り、お元気でお過ごし下さいね!!
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