・ ミラノのスカラ座 博物館見学とマリーア・カラス展  そして未来のスカラ座

先月末のミラノ行では、まずミラノのスカラ座博物館見学に。

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一緒したアンナリーザは、3年前かな、通信講座やレポート提出等など、
いや、その前にボローニャ大学のその学部に入る為の試験勉強があり、

まぁ年月がかかっても、と思って始めた所、1年過ぎる前にOKだったかの、
素晴らしい頑張りと頭脳の持ち主!

実際に学び始めると、とても楽しい、と喜んでいたのが、見事に昨年卒業。

彼女にとっては2つ目の大学で、中学生の娘2人、働きつつの44歳かな、
舞台活動もしていた彼女の、演劇に関する追求勉学で、

自分の夢に向かってどこまでも進んでいく姿にほれぼれなのです。

で、スカラ座博物館は彼女からの提案で、私も未訪問でしたので
喜んでOK、という事だったのでした。

ちょうど雨降りでもあり、ドゥオモ前、ガッレリーアの通り抜け、
そしてすぐ前と、面倒な距離も無く、楽~に楽しむ事もでき、


こちらがスカラ座博物館入り口。 上の写真右の正面出っ張り部の
左側、アーケードが見える下がった部分の一番右に。

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彼女が予約していてくれた時間より約30分も早かったのですが、
ちゃんと、どうぞ、と入れてくれ、

階段を上がり、2階だったか、3階だったか、へへ、こちらは大広間の
横の円柱で仕切られた部分、奥からの写真。

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公演の歴史の写真パネルが並び、右奥に見えるディスプレイには、
舞台のリハーサルが映っており。



今回の写真は、私めの写真が少なく、はぁ、初めてのご対面で、
何に本当に自分が興味があるのかつかめておらず、という有様で!

右下にサインのあるのが私の撮ったもので、他はミラノ座のサイトや
ネットから拝借を。


こちらがディスプレイの様子。 実際に見る迄意味が良く掴めずで、
その後、実際に舞台を覗く事が出来たのでした。

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この素晴らしいシャンデリアが、上の廊下側と、中の広間に下がり、

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大広間、ここにも説明写真のパネルが。肖像はプッチーニと。

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今朝届いたアンナリーザからの写真で、広間の奥からの写真を追加。
正面に見える扉から、奥の博物館に。

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広間にあったスカラ座の建築図。 右上半分の位置に見える舞台、
観覧席、そして左に延びる建物部は、古い建物部分と思うのですが、

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既に半分から奥全体の高い、モダンな部分は新しい増築部で、現在は
右奥にまた増えている様子を最後にご覧頂きますね。



写真のディスプレイに見える、左側中程に見える黒の蝶ネクタイが
スカラ座でのマリア・カラスとの公演を何度も手掛けたゼッフィレッリ・
Zeffirelli. 彼の斜め正面のマリア・カラスが見えますか?

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説明には、
  
劇場、 大家族
 幼い頃から、この劇場はフランコ ゼフィレッリにとって
 選ばれた家の様なものでした。  
 それは決して単なる仕事の場ではなく、屋根の下で愛情が
 生まれる家でした。
 ここで彼を懐かしむような、情熱的な人間関係が築かれました。

 彼の劇場は、アンナ・マニャーニからマリア カラスまで、
 お気に入りの歌姫たちだけでなく、
 小道具デザイナー、機械オペレーター、裁縫師、電気技師らの
 劇場でもあり、彼は全員を名前で呼び、特別な役割を与えました。

 写真には、彼がパフォーマー、エキストラ、そして舞台裏の
 労働者たちに、抱擁、笑顔、ふざけてウインクするなどして
 どのようにアプローチしたか示されています。

 スカラ座の舞台裏には、彼を最も寛大な対話者として
 覚えている人がたくさんいるゼフィレッリは、
 彼の温かさのおかげで素晴らしいパフォーマンスを生み出し、
 同僚から最大限の恩恵を受ける事ができました。

 彼は舞台上だけでなく、小道具デザイナー、裁縫師、大工たちと
 常に一緒にいて、職人たちの大家族の一員として彼らの努力に
 参加し、彼らの熱意を呼び起こしました。


こちらも若いゼッフィレッリが左から2番目、その横にマリア・カラス。

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そして広間の通路側から抜けると、この通路。 ここからずらっと並んだ
各ボックス席の幾つかが開放されており、そこに入って見学でき、

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こんな様子の、ほぼ斜めに仕切られた、これは小さな平凡な部屋!

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こちらも少し狭いものの、装備が少し豪華となり、鏡も豪華!

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そうなんですね、考えてみたら、幅狭く奥の方だと、鏡が必要なのかも!
舞台を見るだけでなく、他の観客とのお付き合いもあったでしょうし!!


こちらは、舞台正面にあたる貴賓席。

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こんな感じで横に6人座れ、 写真は2022年のスカラ座の幕あけ。

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一番左ミラノ市長、EU会長フォン・デル・ライアン氏、
マッタレッラ大統領、伴侶を務める娘様、上院会議長、そして
現メローニ首相。


こちらが劇場緞帳。

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そして劇場側からは、こう見える訳ですね。

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こうして考えると、我ら2人が入り込んだ暗いボックスは2階でした。


舞台では、ちょうどオーケストラとものリハーサル中で、
舞台のみが明るく、全ての明かりが消された中で、ぼわっと
浮かぶ右側の6階までのボックス席。

音楽、歌声のみが聞こえる中での、この迫力ある舞台とボックス席!
何とも素晴らしい瞬間でした!!

音楽自体の素晴らしさもありますが、やはり実際に演じられる
舞台との迫力の違いでしょうね。

この眺めは本当に撮りたかったのですけど、入り口に撮影禁止、
とあり、後ろの通路を行ったり来たりの管理の方の姿が、
席の前のガラスに写るので、

これは開かれているボックス席に臨時にはめ込まれているガラスか
アクリルと思われ、やはりね、諦めたのでしたぁ。


下から上に、層をなす観客席。

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この舞台は、スカラ座のサイトから、ちょうどリハーサル中だった
オペラが「ラ・ロンディネ・燕」だったと知りました。

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背景の波が素晴らしく美しい色で、我らが見た時は突堤の手前で
恋人が2人、そして突堤の奥にパラソルの若い女性が1人。

なんと言うオペラだろ、と思ったのでしたが、タイトルが分かり簡単に。


プッチーニの「燕」 1917年ボローニャで初演。

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19世紀半ばを背景としての、若者たちの恋への憧れ、戯れ・・かな?
日本版ウィキにありますので、お知りになりたい方、どうぞ。


広間を出て、博物館への入り口扉。  突き当りに見える像は?

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博物館、となっている建物は、以前何の建物だったか、改装されたか、
そう大きくもない部屋ですが、かなり贅沢な装飾を施されており、

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珍しいこんな楽器類とか、

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ピアノの前身、と言われるチェンバロですが、珍しく蓋が開いており、
ご覧の様に、蓋の内側に描かれた絵や、弦の様子も見れる様に。

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内側に開けられた音響の為と思われる穴にも、細かい細工が。

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実際に鍵盤を弾いた時に、どの様に金属弦が弾かれるのか、
見たいものでしたぁ。


壁の油彩画や、この様な小さな人物像など、あれこれ展示があり、

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様々にオペラ上演に関わった方々の逸話に関するものでしょうが、
そこまで詳しくはないので、こういうのが「猫に小判」かな、と。

肖像をはめ込んだメダルなど、小物の展示もあったのですが、
撮っておりませんで。



この部屋の造りなども、家庭音楽会用なのかな、とも。

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廊下突き当りの肖像は、この方、ロッシーニ様でした。

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むか~し、こちらに来てから、ロッシーニの自伝的映画を見た事があり、
女を連れて旅行し飽きが来て、ワインをたくさん飲ませて酔わせ、
寝込んだ所をほって逃げ出す、という様な所はよく覚えており、ははは、

大マエストロになり、客人が来ると、大きなどっしりの椅子に、
これまた大きな犬が座り込み・・、という様な、ははは、でした。


ヴェネツィアの テアトロ・ラ・フェニーチェ ・ Gran Teatro La Fenice
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473061323.html




そしてあちこち小さい部屋を繋ぎ、中にはヴィデオを見れる部屋もあり、
開かれていた、「ファンタズマゴリア・カラス」 
千変万化のマリア、とでも?

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20世紀最大のソプラノ歌手、と称えられた彼女、1923年生まれの、
生誕100年を記念しての展覧会なのだそう。

彼女はここスカラ座で、1950年から1961年にかけて28回の公演、
6シーズンのオープニングを含む23のオペラ上演だったと。


こちらは「ドン・カルロ」の衣装と、彼女。

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この見事な朱赤の衣装、というか、パフォーマンス、というか、
アルマーニ作と。

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このカラスの様々な表情に、まつ毛に銀のスパンコールを付けた
たくさんの写真。

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ルキーノ・ヴィスコンティと組んで「アンナ・ボレーナ」を上演。

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スカラ座の舞台からの、カーテン・コール。

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ヴィデオも全部ではないですが、上のたくさんの顔写真の
パフォーマンスをされた方だったと思うのですが、彼女について、

 「彼女は、”ラ・トラヴィアータ・椿姫”だった、と思う。 
  一見、全てを持っている様に見られていても、結局欲しいのは
  何もなく、探し求め、彷徨っていたんだ」と。

彼女のオペラを全曲聞いた事も無く、私めはそこまで深く考えた事も無く、
当時の録音技術にもよるかと思われる、あのちょっと金属的にも聞こえる
歌声に、特別に魅かれる事も無しで来たので何も言えませんが、


高校に入って直にどこかで読み、マリア・カラスなるオペラ歌手の
名を知り、おデブちゃんだったのを、彼女の才能に惚れ込んだ男性が
面倒を見、痩せさせ、勉強させ、一流のオペラ歌手に育て上げた、と。

今これを書きながら計算してみて、どうやら1956年頃ですから、

彼女がヴェローナのアリーナで歌う為にイタリアにやって来て、
オペラの大愛好家で、裕福な実業家、後の夫となる
ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニと会ったのが1947年で、
間違いありませんね。

結婚したのが1949年4月、彼はマリアより30歳程も年上でした。

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彼女のキャリアも成功も上向き、そして結婚後事業を売り払い、
イタリアに帰化したマリアに付き添っての10年程は上手く行った
結婚生活も、

彼女と、ギリシャの大富豪船舶王オナシスとの出会い、1959年夏、
に一転し、彼女は夫と別れる決心を。

1m72cmの身長で、1952年のスカラ座公演では92kgだった
体重が1954年には64kgに、そして1957年には54kgにまで。

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と共に、彼女の声の黄金期は1957年頃を境に変わりつつあり、
私などが知ったげに言う事は出来ませんが、

痩せて美しく優雅になったものの、声の力強さと、声域の
多彩な色彩を失ったという代償を払った事になり、

逆に、彼女の歌と演技は舞台美術に大きな影響を与えた、とも。

声の衰えから、1965年7月のエリザベス2世女王ご臨席の元での
ガラ公演のみで、全編オペラを歌ったのはこれが最後となり、

1966年自分のキャリアを良い形で終わらせたい願いから、
ギリシャ国籍に戻り、オナシスとの結婚を望んだものの、

彼は結婚を拒否したのみならず、
1968年にジャクリーン・ケネディと結婚を。


屈辱から彼女はうつ病に陥ったものの、映画出演や
ジュゼッペ・ディ・ステーファノとのワールド・ツァーを開始、
これは1974年11月に札幌で終了、
これが彼女の公での最後の公演となったそうで。


1974年は様々な問題と共に、彼女にとって重要な父親が亡くなり、
1975年3月にオナシスが、11月にピエル・パオロ・パゾリーニが殺害、
1976年3月にルキノ・ヴィスコンティが亡くなり、

そして彼女自身が、1977年9月16日にパリで亡くなります。

心停止が唯一の死因、であると医療報告書が示し、それに至る
様々な若い頃の線機能不全、急激な体重減少、慢性的な
不眠症による薬物摂取等など、挙げられるそうで。


そうかも、やはり彼女は「ラ・トゥラヴィアータ」かも、と。

このタイトルのオペラは日本では「椿姫」ですが、
原題の意味は、「道を踏み外した女」と。

自分が欲しい物を必死に追いかけ、でも得られなかった、のかもと。
その激しさが受け入れられず、の所もあったのでしょうね。

オペラに生き、恋に生き ・ プッチーニの家博物館
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465781145.html




で、次代、未来のスカラ座、とタイトルに書きましたが、

この写真、正面の建物背後に見える、左の楕円形はちょっと見えますが、
右側に大きな四角いのが見えますね。

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様々な技術革新に伴い、それに対応する為、また様々なリハーサル
に必要な広さの需要もある様子で、


そして着実に舞台内部の姿も変わっており、この舞台の奥行は70m!
にもなっているのだそうで、踊りやバレーのシーンが素晴らしくなり、

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アンナリーザが言ってたのは、本当は奥の作業場なども見たいのだけど、
そっちはグループなどの申し込みでないと受け付けていない様で、と。
多分専門グループの受付なのかも、ですね。


そして背後の四角いのも、既にもう一つ、奥に出来ているのですね!

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単に古くからのオペラ上演劇場スカラ座、というだけでなく、
どんどん内部からの改革もあるのではないかな、という気が強くしました。



最後のこの写真は、スカラ座の一番新しい背後の建物がありませんが、

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スカラ座前の広場を横切り、ガッレリーアを抜けると目の前に
そびえるドゥオーモ。

14世紀から既に6世紀を経て現在に至る祈りと美術芸術の宝が、
こんなに近い位置で一緒に写る、って素晴らしいではありませんか。

アンナリーザと、また何かあったら来ようね!!と言った事でした、はぁい。


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