皆さん、こんなお城の広間の写真をご覧になった事は?!
暫く前にソーシャル・メディアにも掲載され、大きな反響を
呼んだという事なので、ご存じの方も多いかも。
呼んだという事なので、ご存じの方も多いかも。
私めは実は何年か前にネットで記事を見つけたものの、
何となく、シチーリア辺りにあるお城かな?と思ったまま、
何となく、シチーリア辺りにあるお城かな?と思ったまま、
余りにもカラフルで飛んでいて! はは、今頃はなんと言うのかな?
ちゃんと記事を読んではいなかったのですね。
ちゃんと記事を読んではいなかったのですね。
でもウィキペディア・伊の記事もちゃんとコピーしており、
今回改めて、他の様々な記事も読み、現状も理解し、
お伝えを。
お伝えを。
実はこの城は、トスカーナ州のフィレンツェから40km程に
位置しており!
Via Giuseppe Garibaldi, 6, 50066 Leccio FI
市はフィレンツェ県のレッジェッロ・Reggelloになります。
市はフィレンツェ県のレッジェッロ・Reggelloになります。
こちらがサンメッツァーノ城のある部分で、周囲は元々の
大きな農園内にあり、現在は公園となっている庭園らしく、
大きな農園内にあり、現在は公園となっている庭園らしく、
上に囲った箇所のみでなく、城の下・南側にも古くに移植された
大樹が残っている様子。
大樹が残っている様子。
地図を見ると、上記の住所、地図のレッチョ・Leccio には、
城のこの広大な緑の部分の左から右下、つまり西側から南にかけ、
現在はアウトレットがたくさん並んでいる様子。
お城の正面はこんな様子の、現在のいわゆる本館で、
1605年にヒメーネス・ダラゴーナ家が建設の大規模な農場を
19世紀にオリエンタリズム様式の折衷的な建築で改修したものと。
元々のこの土地の歴史は古く、ローマ時代に遡ると言われ、
780年にはカール大帝が、息子に教皇から洗礼を受けさせての
帰途にここを通過した可能性があると歴史家が記しているそうで。
城がその一部となっている広大な敷地は何世紀にも渡り重要な
家系に属し、アルトヴィティ家・Altoiti、ジョヴァンニ・ヤコポ・
家系に属し、アルトヴィティ家・Altoiti、ジョヴァンニ・ヤコポ・
デ・メディチ家に、
そして最終的に、1595年フェルディナンド1世デ・メディチ大公より
セバスティアーノ・ヒメーネス・Sebastiano Ximenes D’Aragonaに
売却されたと。
セバスティアーノ・ヒメーネス・Sebastiano Ximenes D’Aragonaに
売却されたと。
そしてこの後1816年に亡くなるヒメーネス・ダラゴーナ家の
最後の相続人のフェルディナンド・Ferdinandoまで受け継がれ、
最後の相続人のフェルディナンド・Ferdinandoまで受け継がれ、
このフェルディナンドが、1786年オッタヴィアーノ・デ・メディチ家
の管理下に置かれ、つまり最後の相続人が亡くなった後は
あわよくば、だったのでしょうが
の管理下に置かれ、つまり最後の相続人が亡くなった後は
あわよくば、だったのでしょうが
が、彼はフランスに逃げ、かの地で1810年に結婚。
1815年フェルディナンドの妹ヴィットーリアの息子レオポルド・
パンチャティーキ、が叔父をフィレンツェに連れ帰り、
パンチャティーキ、が叔父をフィレンツェに連れ帰り、
きっと母ヴィットーリアが、叔父を連れ戻し、かの資産ある名門
の跡継ぎになったらよかろうと、知恵をつけたのかも、
の跡継ぎになったらよかろうと、知恵をつけたのかも、
で、叔父フェルディナンドがレオポルドを跡継ぎにし、
1816年に亡くなります。
1816年に亡くなります。
こうしてパンチャティーキ家はその家の姓、紋章、称号、を
手に入れた、と。
手に入れた、と。
お分かりですか? つまり、ヒメーネス家の最後のフェルディナンド
の妹ヴィットーリアが、パンチャティーキ家に嫁いでの息子が
の妹ヴィットーリアが、パンチャティーキ家に嫁いでの息子が
レオポルドで、
この方が後継をし、結婚して生まれたのが、
この方。 (1813-1897)
で、この方の正式なお名前は、
フェルディナンド・パンチァティーキ・ヒメーネス・ダラゴーナ、
フェルディナンド・パンチァティーキ・ヒメーネス・ダラゴーナ、
と間にパンチャティーキ・Panciatichi が挟まれており、
フェルディナンドなるお名前は、きっと連れ戻した叔父さんの
お名前を継いだ、という事になり、
お名前を継いだ、という事になり、
で、この家は1840年には、フィレンツェで4番目に裕福な家系、と
して数えられていた、と。
して数えられていた、と。
古文書関係のサイトにこの家系の元からの由来が載っているのを
見つけたので、興味がおありの方は、
Ximenes de Aragona の記事をどうぞ。
Ximenes de Aragona の記事をどうぞ。
お話は続きますが、間に素晴らしいお城の写真を挟んで
ご覧頂く事にしますね。
こちらが多分ロビーとなる、円柱の部屋・Sala di Colonnne
最期の写真は、下から天井部を見上げての、紋章部分。
という事で、この長~い家系を継いだ、今日の主人公である
フェルディナンド侯爵なる方は、
侯爵は、学位は持っていなかったとしても、建築家、技術者、
植物学者であり、愛書家、起業家、政治家、科学者、写真愛好家
と多面的な知識人でおられたそう。
植物学者であり、愛書家、起業家、政治家、科学者、写真愛好家
と多面的な知識人でおられたそう。
実際、裕福な資産を様々に生かし、文化的な活動にも支援、
イタリア国王副大臣、という肩書もお持ちの政治家でもあったのが、
なぜこのような田舎の城を、自分の好みに合わせオリエンタル風、
エキゾティズムな城に再建築したのかとなると、
彼が抱いていたようなリベラルな理想が反映されない、
同時代の人々や当時の政治生活にも失望し、党や党の噂、
スキャンダル、失望から遠く離れたここに避難することを好み・・、
という事で。 この項はしっかり覚えておりました。
という事で、フェルディナンド侯爵はご自分の資産の内でも
一番に愛しておられたサンメッツァーノの城の再建に自分の様々な
知識と夢を注ぐために、1853年から約40年間をかけて取り組みます。
ムーア様式、東洋風、様々な様式を徹底的に再考し、真に例外的で
ユニークなものに命を吹き込む為に、
ユニークなものに命を吹き込む為に、
設計、資金全てを請け負い、煉瓦、漆喰、タイルは、適切な訓練を
受けた地元の労働者により「現場」で作られ、
受けた地元の労働者により「現場」で作られ、
絡み合ったアーチを持つドーム、何よりも色漆喰の大量な使用、
そして石膏、セラミック・モザイクで作られた高度に刺繍された装飾
フリーズ、幾何学的なテーマの精巧な彫刻の装飾・・。
そして石膏、セラミック・モザイクで作られた高度に刺繍された装飾
フリーズ、幾何学的なテーマの精巧な彫刻の装飾・・。
東洋への愛は、城を囲む広大で緑豊かな公園にも、多くの東洋の
樹木も植えられ、が、これは残念な事に今日生き残っているのは
殆ど無く、
樹木も植えられ、が、これは残念な事に今日生き残っているのは
殆ど無く、
噴水、アーチ、橋もやはりムーア式様式で建設されたそうです。
最初にご覧頂いた素晴らしい、というか凄いデコレーションは、
この孔雀の間と呼ばれる部屋の壁でしたが、
圧倒的な天井がこれ!!
写真の色の出方で印象が違って来ますが、やはり素晴らしい!
漆喰の部屋
百合の部屋
トルコの部屋
ナーダ・センプレの部屋
白い円形の部屋
愛の部屋
礼拝堂
これも素晴らしい部屋ですが、名前が分かりません。
美徳の部屋
平和と自由の広間
この部屋も名前が分からず。
如何にご自分の目指す城の、それぞれの趣の部屋に
拘られたかが想像できます。
拘られたかが想像できます。
夢を築かれた侯爵は1度もインドやイスラム社会にお出かけに
ならず、何年かはここでお住まいにもなった様子ですが、
ならず、何年かはここでお住まいにもなった様子ですが、
1878年には、イタリア国王ウンベルト1世も滞在されたそうで。
まさにトスカーナの自然の中に、異次元的な、しかも本格的な
驚異の世界を造られたわけですね。
こうして40年を掛けられた城は、最後は未完になった様で、
1897年84歳で亡くなられます。
1897年84歳で亡くなられます。
第2次大戦後は高級ホテルとして使用され、数々の映画の
舞台ともなったようですが、
199年に競売にかけられ、緊急の修復工事が行われたものの、
放置されたままの状態で、
放置されたままの状態で、
2015年にふたたび競売にかけられたものの、動きはなく、
様々な公的機関が声を上げるものの、結局そのままの状態で、
現在は城は見学できません、というサイト表示のまま。
ただ公園の方は公開されている様子。
ただ公園の方は公開されている様子。
何枚かの写真に見学者が写っていますが、かなり以前に2日程
オープンし、これはフェルディナンド侯爵の墓所の修復費の
オープンし、これはフェルディナンド侯爵の墓所の修復費の
為のもので、
つまり2017年頃からは、ずっと閉鎖されたままで、じわじわと
廃墟への道を歩んでいる様子で、
これだけの遺産がそのまま朽ちて行くのか、と思うと情けないですが、
何とか良い方向に向き、いつか訪問できるチャンスがあります様に!!
と願うばかりです。
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