・ n.2「ピエロの高さから」 アレッツォ-サン・フランチェスコ教会壁画 特別公開

先回に続き、トスカーナ州はアレッツォのサン・フランチェスコ教会で
この12日迄特別公開されている、
ピエロ・デッラ・フランチェスカのバッチ礼拝堂「聖十字架黄金伝説」
の壁画を見て来ましたので、その様子をご覧下さいね。


サン・フランチェスコ教会は、アレッツォの駅前から真っすぐに
10分程も歩くとすぐ前に行ける近さにあり、

内部一廊式の正面にあるバッチ礼拝堂は、現在壁画状態検査の
為すっぽりと囲われており、

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この内部はパイプ足場が4層に組まれ、一番上の層は上れずで、

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ヘルメットをかぶり3層迄上がり、説明を聞きつつ、眺めつつ、
下まで降りる、という見学方法でしたが、
1回1時間の予約、見学者が6名+ガイドさん2名、で、

目の前直前にピエロの壁画が見れた事は、本当に幸せでした!!


壁画の題材は、中世に大人気だったという、13世紀ジェノヴァの
大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが書いたという聖人伝、奇跡や
伝説の物語の中にあった「真の十字架伝説」。

アダムとイヴのお話の「アダムの死」から始まり、一緒に埋葬した
木の種が大木に育ち、どうやっても建物に使えず、橋の梁に
使われていたのを、ソロモン王に会いに行くシバの女王が直感から礼拝。

その梁で十字架刑になる人間がジェルサレムを滅ぼす、という
霊感を受け、
それを聞いたソロモン王は、地中深くに埋めさせるものの、
そこから水が湧くようになり、万病に効く池となり・・。

壁画の1つに、梁が掘りだされ3人が担ぎだす所がありましたが、
この部分で、この梁は「キリストの磔刑」に使われたのでしょうか?
この辺り、よく分かりません。

が、いずれにしてもキリストの十字架刑の後、この梁は再度
行方不明となり、200年以上が経過し・・。


こちらが壁画全体画の説明で、打ってある番号で時代順に繋がる、という事に。

教会内陣、後陣など、また礼拝堂内などにあるシリーズ物の壁画は、
大体左上から始まり、右に延び、そして端で一段下がって、
今度は右から左に、という感じに続くのですが、

この度は大幅にこの形式が違っており、お話の内容の年代を掴んで
置かないと、ちょっと話が分からない、という部分もありますので、
気をつけて見てやって下さる様、お願い致します。

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右側上からの 1.アダムの死、 2.シバの女王聖木礼拝・左、
シバの女王とソロモン王の会見・右 

ソロモン王在位は、紀元前971年 - 紀元前931年、とあるので、
シバの女王との出会いもその間、絵のモチーフとなったのもその間、
と言えるだろう、と思います。

そして窓を挟んでの 3.梁の持ち上げ、はソロモン王の逸話後で、
4.受胎告知、があり、 キリスト誕生、と続き、

多分紀元後30年位となる、キリスト磔刑が続き、

5.コスタンティーノ帝の夢、戦勝の為の十字架の教えがあり、


ここから先回飛ばしてしまった、

6.コスタンティーノ帝とマクセンティウスのミルヴィオ橋の戦闘

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これは312年10月28日、と記録が残る2人のローマ皇帝の間の
戦を指します。

こちらが前夜夢に天使が現れ、この小さな十字架を持っていると勝つ、
というお告げの通り、


先頭に十字架を示しながら進むコスタンティーノ帝がおり、

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黄土黄に黒い鷲のローマ軍の旗印を従え進み、


こちら右側は逃げるマクセンティウスの軍勢。

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ええと、shinkaiはです、実はこの真ん中をくねりながら流れる、
清い川が挟まれているのが、何とも好きでして!
戦の絵というのに、そのど真ん中に清い、青い川が流れている!

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という、こういう構図を考えつくピエロ・デッラ・フランチェスカ
なる画家の頭脳、精神が何とも冴えて貴く思え・・!

これはしっかり撮らないと、と思い、眺め、撮ったのですがぁぁ、

で、左側の軍勢の写真はまるでとるのを忘れてしまい・・、と
いう有様で! お笑い下さい、へへ。


ですがね、見ていて気が付いたのは、S字形に流れる奥の左の2軒の
前の道に、黒い旅人が、左に1人、白馬1頭と、荷を背に積んだ
2頭のラバ、と思うのも馬より小さいので、と、
その奥に竿かな、はたまた長槍かな、案外白馬の騎士の従者、がおり、

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水面に影が映っているのも芸が細かく!

そしてこちら一番手前には、白鳥の親子が、親が1羽、子が3羽。
何とも長閑で静謐で、素敵な絵になっているなぁ、と。


で、ふっとミルヴィオ橋ってどこにあったの?と検索すると、
ローマ近郊で、とは書いてあったものの、近郊どころか、ははは、

こんなに近いテーヴェレ川、まるでローマの市街でないですか!

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右下近くに見えるRomaの右下に囲ったのが、ローマ・テルミネ駅。



で、おまけに写真もあり、これです。 
アドリア海に抜けるフラミニア街道に掛かる巨大な石橋、と説明も。

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こんなの見ると、ここでホンマかな、と見に行きたくなりません?!


コスタンティーノはこの戦に勝ち、ローマ帝国の基礎を造る事となり、
一方、マクセンティウスは逃走の時に川に落ち溺れたとか、
泳いで逃げるのに甲冑の重さに耐えられず溺死したとも。


上の壁画全図の右横にチラッと見える小さいのがこちらで、

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両肩の背後に見える形からしてきっと天使で、白い衣に白の柄、
そして背後の暗い紺色に抽象的な柄、というのも素敵でしょ?

顔は、これはもう、ピエロの描く顔、頬、唇ですねぇ。



で、中央奥の左側の下 4・受胎告知

こちらが全体像で、左上に神さまがおられ、

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こちら白髪、白髭の神さま。 両掌から右下に立つマリーアに
黄金の光線を送っておられ、  見えるかな?

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マリーアの足元が切れ、おまけに右から工事の覆いも出ており、
すんません。

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マリーアはちょっと当惑したような眼ざしにも見え・・。

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それでね、たまたまこの近くに止まっていた我ら3人だったか女達が
思わず笑った、この左手に持つ本の、読みかけのページに人差し指!

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ピエロの状況設定の細かさが思いやられましたが・・。



そして大天使ガブリエレ。大体白百合ですが、ここでは棕櫚の葉で、

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左背後の布らしき柄は、上に載せた脇の天使の背後と同じ柄で、
扉の四角い柄分けが丁寧で、面白いでしょう?


それと、白い衣装の上に巻いている灰ピンク、とでも呼ぶのか、
この色のなんとも渋く、不思議で美しい色、ですねぇ。

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裏地に使われチラッと見える、これまた渋い緑色がよく合いますねぇ!



中央の窓左の上は、 7.ユダの拷問

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ミルヴィオ橋で勝利したコスタンティーノ帝は、キリスト教を
国教とし、彼の母親のヘレナは熱心なキリスト教徒で、

320年頃、キリスト磔刑に使われた十字架を探しにジェルサレムに。

3世紀程も経ており、誰も知らず、教えようとせずのユダヤ人達の中から
ユダと言う名の男を見つけたものの、知らない、というばかりを、
涸れた井戸に放り込み1週間! やるなぁ! そして引き上げた所、

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ユダはゴルゴダの丘に案内し、女神ウェヌスの神殿前で祈ると大地が
振動し、妙なる香りが。

ヘレナは神殿を破壊し、一帯の地面を掘り返させた所をユダが掘り返し、
地下20歩の所に3つの十字架を見つけたものの、



8.十字架の発見と、真の十字架の証明

1枚の絵の中に、2つの場面が描かれており、

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左のグループ先頭に立つ黒い衣服が、コスタンティーノ帝の母
ヘレナで、今2つ目の十字架が掘りだされた所。

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奥上に見える背景の町が、ジェルサレムに見立てたアレッツォの町。


見守るヘレナと、その手前に見える帽子の人物は、
この人。 
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当時は宮廷の道化役を務めていたという小人ですが、
今回初めて、近くで見ていてこの人物が描かれているのを発見!



こちらが真の十字架の証明

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どれが真の十字架か、神の御助けを待つために町の広場に置き
待つことに。

午後3時頃、という時間もはっきり書かれている、というのが逆に笑え、
死んだ若者の葬儀が通りかかり、1本目、2本目と十字架を
かざしたものの何も起こらず、

3本目の十字架で、死者はたちまち生き返り、真の十字架の証明が!

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死んだ若者の上にかざした十字架により、蘇る死者。



左端で、見守る皇帝母ヘレナと女官たち。

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こうしてヘレナは真の十字架の破片と、磔の時の「聖釘」、
そして脇腹を刺した槍も発見、3博士の遺骸も、マリーアが使ったという
キリストを生んだ時の飼い葉おけのまぐさも、となると・・・!!



全体図で左端に見える小図3枚、3つとも撮りましたが、
1番上のキューピッドが可愛いので、どうぞ。

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9.ヘラクリウス帝と、ホスロ王との闘い 628年

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ペルシャ王のホスロがジェルサレムに攻め込み、聖十字架を奪い去り、
ローマ帝国皇帝ヘラクリウスとの戦いとなり、聖十字架の奪還に成功。
敗れたホスロ王はキリスト教への改修を拒否し、斬首に。


凄まじい戦闘の様子が描かれており、地面に転がる死体、今にも
突き刺そうと髪の毛を握る男、等など白兵戦の残酷さ、凄さが
描かれます。

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隊長らしき年配の男性の背後の若者は、額に剣を受け・・!

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まさに迫撃戦の凄まじさ、

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右下の男の目が見えるので、これを。

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これはまさに喉を突かれた若者と、突き射す男ですが、
若者の兜の美しさ!

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画面上で光が割れている様に見えるのは、光線の当たり具合で、
絵が折れている訳ではありません。


描かれるモチーフはすさまじい戦いではあるものの、どこかクール、
というか、時が止まっている様な、そんな感じがしません?

ピエロが描いている戦闘図は、記録している絵巻図の様で、
残酷さを感じさせない、というのか、そんな印象を受け、


この右下に、負けて捕らえられたホスロ王が引き据えられ、この後
斬首、なのですけど、一陣のそよ風みたいでもあり・・。

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上に見えるアーチは、


王の玉座であり、優しい薄いピンクの几帳が背後に見え、

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ここにも優雅な柄が使われているのですね。

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対面のミルヴィオ橋の戦闘図の真ん中を流れるテーヴェレ川と同様の、
何とも静謐な空間がある一郭、という感じで、恐れ入り。



これは手前が「受胎告知」の天使で、壁の角から左に、この戦闘図が
広がる、下から見た時は何とも思わなかった、不思議さを見つけました。

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こちらは第4層の足場の上にあり、我らは上がれず、見れなかった、

10. ヘラクリウス帝のジェルサレム入城

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皇帝ヘラクリウスは奪還した聖十字架を持ってジェルサレムに戻すべく、
城門に近づくと、城門の上に天使が現れ、

「主キリストはかってこの門を通り受難の地に赴かれる時、慎ましく
ロバに乗り、質素な衣類に身を包んでおられました」と諭し、

皇帝は愛馬から降り、靴を脱ぎ、豪華な衣装も脱ぎ、聖十字架を
高く掲げて入城し、それを見たジェルサレムの市民達が一行を歓迎した、

という場面で、ここに「真の十字架、黄金伝説」のお終いと。


足場が組まれ、狭くもあったのですが、それでもなお、
目前で見れる近さの圧倒感は素晴らしく、

下から見上げる高さでは思いもしない物も見れ、それも大きな喜びで、
こんなチャンスに巡り合えたことが嬉しく、有り難く、
今後ずっと忘れられない思い出となるだろうと思います。


これから新しく訪問される方にも、お家でご覧になられる方にも、
こんな風にピエロは描いていたんだ、とお知りになる一端にでも
なれば、と思います。


先回の1回めを見て下さった私の絵の師匠でもあり、友人の
二木一郎さんがメールを下さり、

 写真の細部までしげしげと眺め
 やっぱりピエロだなぁと、つくづく思いました。

 ピエロがあの時代に生まれてきたのは少し早過ぎたと思うくらい
 清新でモダンだという印象を持っていますが、まさにその通りだと
 思いました。
 生まれてくるのが早過ぎた、と言うより
 時代を超えて評価される要素がふんだんにあるということでしょうね。

 技術的にも、盛期ルネサンスの巨匠たちほどではありませんが
 もしピエロがレオナルドほどの描写力を持っていたとしても
 それはピエロには相応しくないと思いますね。

 あの、ちょっとぎこちない表現が、まさにピエロの真価を高めている
 と思います。
 ぎこちない表現ですが、人物には古代ギリシャ・ローマ彫刻の持つ
 気品のようなものが感じられます。

 写実と理想化の極致であるギリシャ・ローマとは全然違いますが
 それらに通じるような気高さを感じるのはなぜでしょう、不思議です。

 中略

 ピエロは特別好きな画家というわけではないのですが
 彼の作品を再び見直すいい機会になりました。
 
とありました。  はい、本当に私も思っていた通りで、大いに納得で、
見れてよかった、写真が撮れて良かった、と思った事でした。

体の線でもちょっとぎこちないというか、硬いというか、そんな感じが
逆に如何にもピエロの素晴らしさというか、彼の本質を引き出して
いる様に思われ、

というのも、時代が下がり、もっともっとデッサンの凄い、
描ける画家がどんどん出て来ていますが、

かといって、上手く描ければ良い、だけでないのが絵の不思議さで、

上手く描ければ描ける程、逆にいやらしさが見えてくることもあり・・、
を思った事でした。


***
   
ちょうど、二木(ふたつぎ)さんの個展が松本でありますので、
ここにご案内を。

3月13日から26日迄、松本市の井上百貨店6階にて、
二木一郎 日本画展を開催されます。

2024年3月井上個展DM1_GF - Copia_GF.jpg

2024年3月井上個展DM2_GF - Copia_GF.jpg

松本は二木さんの生まれ故郷。  長い研鑽の積み重ねと
画歴をお持ちで、それは画面をご覧頂けるとどなたにも十分に
納得頂ける、説得力ある作品群と思います。

今回はほぼ旧作30点以上の出品だそうですが、
残念ながらご本人は、来店されませんので悪しからずとの事。

どうぞご時間をご都合の上、ご高覧頂ける様お願い申し上げます。


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