先日偶然に目に留まったサイト記事に、
君主国競売に:ウンブリアの中世からの所有地が売り出しに
というもので、ウンブリアのテルニ県のパッラーノ・Parranoという
中世からの村が競売にかかる事になった。
これは英国の不動産コンサルタント会社のChristie&Coを通じ、
不良債権の管理と回収を専門とする会社であるBayviewItaliaが
2021年10月に開催され、開始価格は1500万エウロ。
というもので、以下に、26のマスター・スイートとウェルネス・センターのある
パッラーノの城、これらは改装済み、そして村の中の4つの建物、
23の農家と農場、12の小さな湖、2500エーカーの農地、
741エーカーの保護された狩猟地、いくつかの厩舎、25000平米の
射撃場、宿泊施設、ウェルネス・センター、ゴルフ場開発の可能性、等など。
というものですが、
タイトルから見て、まず驚いたのは、えっ、村全体が競売なの?で、
これはニュースの発表されたのが2021年7月13日だったようで、
即パッラーノの市役所に事情についての問い合わせが殺到し、
翌日には、
という記事も出され!
shinkaiも見つけた時、今年になってでしたが、??!!で、
なんでウンブリアの山中に君主国が?! という疑問と好奇心も。
そして記事を読み、関連項目を探し、写真を探す内に、長い歴史の変遷に
浮かび上がる人物像、そして村の素晴らしいたたずまい等に惹かれましたので、
今回はそれらを皆様にも。
まずパッラーノの位置ですが、
ご覧の様に、山中ではあるものの、フィレンツェから南に下る高速のファブロ・
Fabroのインターで降りると、10k程で村に到着する、という事で、
城も豪華ホテルに改装されており、他にもヴァカンス用の豪華ホテル、
そして村の周辺は緑豊かな自然と、「悪魔の洞穴」や「悪魔の浴場」と
呼ばれる温泉、約28度ですと、もあり、
村の人口は500人ほど、が実際に村に住んでいる人は19人とか!でも、
写真でご覧になるとお分かりの様に、大変に手入れが行き届いた様子で、
村の人々が誇りをもって守っているのが良く分かります。
周囲を囲む広いオリーヴ畑や、ワイン、ハチミツ、果物のジャムが産物で、
村の若い人々の努力で様々な催しも開催されている様子。
海抜441mに位置し、それも小高い丘の上にある村で、
周囲が開け、何とも素晴らしい位置!
かってのエトルスク遺物の発掘も不思議ではなく、
旧石器時代後期、約2万年前の、「緑のヴィーナス」と呼ばれるこんな像も、
上に出た「悪魔の洞穴」辺りで発掘されたそう。 写真はwikipedia.
丘の上に細長く広がる村の、東の門はポルタ・ピアッツァ・Porta Piazza.
この門を入ると、右手に城の一部で右奥に広がり、左に市役所。
少し先にこの村唯一の教会サンタ・マリーア・アッスンタ。
教会と城とは連絡道で、君主たちは村の通りを通らずに礼拝堂に入れたそう。
内部はバロック様式に改装。
西の門は、ポルタ・リーパ・Porta Ripa.
このパッラーノの城は、元々ローマ期の要塞があった跡に建設された様で、
1118年オルヴィエートの司教グリエルモ・Guglielmoが、ロンゴバルド出身の
古いトスカーナの家系のブルガレッリ・Bulgarelliに村と伯爵位を与え、
それがパッラーノの出発点となった様子で、
次々とこの一帯に領土を広げ、1世紀程後のマルシャーノ・Marsciano、
パッラーノから40kmほど東、の征服の価値は大きく、
一族は名をディ・マルシャーノに。
まずガレアッツォ・バリオーニ・Galeazzoが、持参金に城を持ってきた
ラヴィーニア・ディ・マルシャーノ・Laviniaとの婚姻から娘のジョヴァンナ、
跡継ぎのラヌッチョ・Ranuccioが生まれます。
で、ラヌッチョが1549年に結婚したのがオルテンシア・ファルネーゼ・
Ortensia Farnese、ヴィニャネッロの伯爵夫人オルテンシアは、
姓のファルネーゼから分かる通り、教皇パオロ3世の姪に当たり、
この結婚が3回目! で、前の結婚の夫2人はいずれも殺害されており、
どちらの疑いもオルテンシアにかかっており、おまけに2人の子供の殺害を
火かき棒で!4人の子が中毒、少なくとも2人の子の殺害は間違いないと、
ジャンジャン!!
今回参考にしたサイト記事はあれこれあるのですが、
パッラーノの旅、ウンブリアの村の歴史、自然と伝統 が大変詳細で。
オルテンシアについてはウィキのイタ版で、生年は不明、が没年は1582年と。
2人めの夫とは1539年に結婚、1545年に未亡人に、
3人目のこのラヌッチョとは1549年5月に結婚したものの、1553年に
大工の手にかかり死亡という・・。
勿論取り調べもおこなわれたものの、いずれも犯行を証明できず、
彼女は無罪となり、「パッラーノのルクレツィア・ボルジャ」の名が。
上の写真のように、彼女についての本も出版されている様子で、
何とも傍から見るのには久方ぶりの興味津々の人物の存在があり!
で、パッラーノの城を彼女の跡に継いだのは、彼女の最初の結婚での子、
生き残ったアルフォンソ・マレスコッティ・Alfonso Marescotti.
この絵画は1750年のマレスコッティの子孫オッターヴィオの家族を
描いたもので、彼が君主国パッラーノの初代と。
こんな田舎の小さな君主国の存在を不思議に思ったのですが、
元々教皇領であり、教皇が旅行の際にはこの城にお泊りもあった様で、
そんな事で、オッターヴィオの願いが叶えられたものと読みました。
で、1773年クレメンテ7世がパッラーノを君主国に昇格させますが、
1818年にはピウス7世が教会領地を抑圧し、城の所有者として
残っていたであろうマレスコッティは1873年に売却を。
城の持ち主が変遷する間、村は過疎化を経験しますが、住民たちは
村の活力と伝統を維持するために最大限の努力を払い、という事で、
確かに現在の村の様子を見ると、努力が続いているのが良く分かりますね。
城には立派な時計塔も残り、
城内もかなりの威容を保った素晴らしい調度が残っており、
城内を彷徨う女性の幽霊もいると!
問題の昨年10月の競売について調べて見ましたら、Asteannunci.itと
いうサイトで、何度かオルヴィエートで開かれた様がわかり、
11月23日に€22.088.767,40まで行ったものの、不調停となった様子で、
未だ行方が分かりません。
不思議な巡りで知った古い中世からの村と、その変遷に驚くと共に、
保っている美しさに惹かれ、チャンスがあったら訪問してみたくなり、
村がどうぞ今後とも頑張って、美しく生き抜いて欲しいものですね!!
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