・ 「アンネの日記」 出版75周年にちなみ

昨日6月25日、朝いつもの通りグーグルの検索ページを開くと、
こんな「アンネ」のイラストが。

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すぐ、ああ、アンネだと分かったものの、なんで今日?と思い、
イラストの下にポイントを合わせると、
「アンネ・フランク」に敬意を表して、と。

それでもなお分からず検索すると、
70か国語に翻訳:「アンネの日記」本日出版記念日

つまり75年前の6月25日にドイツ語版「裏の家・ 」として
出版された記念日と分かったのでした。

ついでに、この何かの記念日、記念物で出るのは、
Google Doodle(グーグル ドゥードゥル・落書きの意)
というのですと。


であれこれ読みつつ、これまでなんとなしに分かっていたつもりの
詳細が、単に昔読んだ彼女の日記の表面のみでなく、

詳しく日取りを追いかける事により、そうだったんだ、という部分が
あれこれあり、皆さんも既によくご存じかと思いますが、
日記の外側周辺、あれこれをご紹介したくなりました。

参考にした記事は
「アンネの日記」 75年前
Il “Diario di Anna Frank”, 75 anni fa

アンネフランク、なぜ6月25日に落書き・ド-ドゥル。 日記の歴史
Anna Frank, perché un doodle il 25 giugno. La storia del Diario

75年前、出版された「アンネの日記」
75 anni fa veniva pubblicato il “Dario” di Anna Frank

全てを救おうとした後、アンネ・フランクの日記を救ったミープ・ヒース
Miep Gies, che ha salvato il diario di Anna Frank dopo aver cercato di salvare tutti 

ホロコーストの犠牲者の記念に捧げられた記念日
Il Giorno della Memoria, dedicato alla commemorazione delle vittime dell’Olocausto


この、赤と白のチェック柄、ポッチン付きの日記帳は、
1942年6月12日 彼女の13歳の誕生日に受け取ったもので、

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女の子に人気のある「キティ」宛に書いていると想像しつつ、
オランダ語で日記を書き始めたのでした。

そうなのです、彼女は15歳で亡くなりましたから、わずか2年程の間、
それも生活が激変し、隠れ家に潜んでいた間が殆んどの事。


通称「アンネ・Anne」、Annelies・アネリーズ・ Marie Frankは
1929年6月12日にドイツのフランクフルトで生まれましたが、

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1933年ヒトラーが政治の表舞台に登場し、「人種法」が定められ、
反ユダヤ主義が始まった事から、父親オットー・Otto Heinrich Frankは
同年の夏オランダのアムステルダムに移住する事を決め、

妻のエディス・Edith Hollanderと共に家を見つけ、会社を持ち、
アーヘン・ドイツとオランダの国境の祖母の家に居た長女のマーゴット・
Margotが最初に、そして1934年2月にアンネが加わります。


という事は、アンネが7歳、この家族皆が外で笑顔の頃でしょうか。

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生活が落ち着き、幸せな期間が始まり、
姉のマーゴットとアンネはユダヤ人の高校に在籍し、様々な制限にも
拘らず、状況を回避する努力を続ける両親のお蔭で、激しい社会の
中での生活を続けます。


が、7年後の1940年5月10日には、ドイツ軍がオランダに侵攻、
ユダヤ人迫害がドイツ国境を越え広がっているという恐れが広がり、
大変に先見の明のあるオットーは、非難するのに安全な場所を
捜しはじめ、

というのも、ドイツの労働キャンプに送られた、という名目で多くの
ユダヤ人家族が跡形もなく消え、ナチスが建設しているという
「ガス室」の噂が強くなっていたからで。

そして1942年7月に届いたマーゴットの召喚状、「東」での仕事に
出頭する様にという命令に、家族はパニックに。

既に時間は無く、家族全員ナチの総括から逃れる為に地下に潜り、
友人一家であるヴァンピール家・Van Peelsと、これはヴァン・ダーン家・
Van Daanと記しているのもあり、ユダヤ人歯科のリッツフェファー・
Rritz Pfefferと一緒に、

オットー・フランクの会社の上裏スペースの2階建て、
アハテル・ハウス・Achterhuisに隠れる事を決めます。


こちらが通りに面した建物正面で、

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これは現在博物館となっている、標識と。

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「アンネの日記」の最初の出版タイトルが」裏の家」という通り、
運河沿いの表の建物に続いて、裏の建物が連絡していた様で、

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表の建物3階部分から例の本棚で隠された奥の家に通じ、
奥の家は2階分と、屋根裏部屋、という事ですね。



こちらが、有名な本棚を模した隠れ家への入り口。

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ドイツの市民権は既に1935年に拒否されており、これ以降一家は
無国籍者で、市民権も無く、

という事は最低の食糧を受け取れる配給クーポンも無く、
が、食物に関しては、ナチス政権に敵対し、ユダヤ人の不法移民を
援け、食物や基本的必需品を持ち込む友人たちのグループがおり、

一家は1942年7月6日から、1944年8月4日までの2年間、
遅かれ早かれ戦争が終結する事を期待し、この隠れ家に移りました。



ご覧頂いた赤白チェックの日記帳はここに移る直前、
1942年6月12日の誕生日に貰ったものだったのでした。

「私は誰ともできなかった事、あなたを全面的に信頼し、打ち明ける
事が出来るように願い、あなたが私を大いに支えてくれる事を
望みます」
確かこの文章から始まった、というのを覚えていますし、

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読んだ時の記憶が良く残っているのは、引っ越しの夏の暑い日に
何枚もの衣類を着込み、確か冬のコート迄も、隠れ家に持ち込んだ、
という一行で、そう、7月の初めだったのですね。



漫画「アンネの日記」・Anne Frank-Diario a fumetti
から拝借の隠れ家内部の図解で、

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一番左に「秘密の入り口」があり、中に入り、右手に洗面所とトイレ、
奥の部屋のこちら手前がアンネの部屋、右奥がオットー夫妻と
マーゴットのベッド。

階上に階段上がって直ぐがペーターの部屋、そして右奥に居間と台所、
そして壁の奥にヴァンダール夫妻のベッド、歯科医のベッド、と
あったのでしょう。



こちらの図の方がよく分かるかな?

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いずれにしても、狭い場所に何とかベッドを入れて、という状態だったろうと。



日記の中にもよく登場するミープ・ヒープさん・Miep Gies、オットーの
会社でも働いていた方だそうで、彼女のみでなく、彼女の夫も大いに
一家を援けていた様子ですが、

彼女が予期せぬ用で訪れた時、台所でアンネが1人で、テーブルは
彼女が1人で使えるようになっていた時間帯だったらしく、

突然にミープさんを見て刺すような眼ざしで見つめ、それまでの彼女が
深い考え、集中力に入り込んでいた様子に、
ミープさんも戻ってから、あれはいつものアンネではなく作家の顔だった、と。



1944年3月28日のラジオ・オレンジ、オランダ政府のラジオ局が亡命し、
海外からラジオ放送を続けていたのが、

この日、非占領期間の記録を書面で保管するよう、国民に訴えたそうで、
アンネも戦後に出版されることを期待し、日記を再調整する事にしたそう。


日記はご存じの様に、1942年6月20日から、1944年3月29日迄、
つまりゲシュタポが隠れ家に侵入してくる数か月前迄、
彼女と家族、同居者の変遷が描かれており、

13歳だった少女は徐々に深い思考を持ち、日常生活に恐れを持ちながら、
作家になるという野心、同居している家族の息子ペーターへの感情、
子供時代から青年期への移行、そして両親との衝突も・・。

繊細で深い感受性を持つ彼女は、日記に向かい合い、日々の様子を
記しながら成長し、2年という年月以上に大人になっていたのでしょうね。

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午前中8時半から12時半は物音を立てないよう、トイレにも行けず、
どうしてもの時は囁き声で、暗くした部屋の中で、空を見るのは
屋根裏部屋の天窓を通してだけ、という毎日。

食物は乾燥食品、豆や、野菜、これは腐ったものも含め、珍しい
何か分からない肉、圧倒的にジャガイモが多く、午後は皮むきに
追われる生活が2年間ちょっと続いたのでしたが、


1944年8月4日金曜日の朝、全ての人と同じ様に見えた静かな朝、
ゲシュタポはタレコミを受け、下の事務所と奥の隠れ家を襲撃し、
全ての隠れ人と、その救助者が逮捕され。

こうして隠れ家への強制期間を終え、一家は地獄への旅を。
1944年8月8日、フランク一家とヴァン・ダーン家はオランダの
ヴェステルボルク収容所・Westerborkに移送され、

ここは区分けの為の収容所で、1944年9月2日アンネと姉のマーゴット、
他グループは絶滅収容所行の貨物列車に詰め込まれ、

1944年10月6日ポーランドのアウシュヴィッツ絶滅収容所・
Auschwitz-Birkenauに。

ここで姉妹2人は約1か月過ごした後、1944年10月28日
ベルゲンベルゼン収容所・Bergen – Belsen、ドイツ・ハノーヴァーに。

ベルゲンベルゼン収容所は絶滅収容所ではなく、交換所であり、
ガス室も無く、姉妹の救いの希望があったのですが、

1945年2月姉妹2人はチフスに掛り、ベルゲンベルゼンを生き延びた
女性の1人が、熱により引き起こされた幻覚の中で、服を脱ぎ棄て
毛布のみでいるのを覚えており、

「私にはお母さんも、お父さんももういない、もう何もない・・。」
と呟くのを。

栄養不足の2人はますます弱り、マーゴットが最初に、そしてアンネが。

2人が亡くなったのは、従来1945年の3月と言われていたのですが、
医師によると、チフスの最初の症状の発症後12日以内に発生という
事から考え、2月に死亡したのであろうと。


一家で、隠れ家にいた人の中で唯一生還したのはオットー・フランクで、
回復した後アムステルダムに戻り、

そこで床に散らばっていた「アンネの日記」を拾い集め、決して読まず、
ずっと秘匿していたのを渡したのは、
一家を実質的に援助していたミープ・ヒースでした。


こうして父親オットーは、娘が構成した資料を使用し、いくつかの
変更と削除を行い、
1947年6月25日に「Het Achterhuis・裏の家」というタイトル、
独語で出版、というのが、

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75年前の昨日だった、という記念日でした。


その後1952年に英語版で出版、1980年8月19日にオットーの亡後、
バーゼルのアンネ・フランク財団は、アンネの著作に忠実なバージョンを
作家に依頼し、父親が修正、削除した部分を復元した公式版を。

現在では70国語以上に翻訳され、3000万部以上販売されているのも、
15歳になる以前の少女の、真摯で、生き抜きたいと願っていた様子、

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ギリシャ、ローマの神話、ヨーロッパ中の王室の系図を愛し、映画が
大好きな、作家を夢見る少女の姿が、

時を経て世相の違いがあっても、いつも心に直接に響くのを感じ取れ、
共感するからだろうと考えます。


この右に見える表紙に見覚えがありますから、私が読んだのはこれかも!

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そうなんです、今回中学1年の時に彼女の事を知って以来、
私にとっては様々な原点となった「アンネ」を改めて思い出し、

もう一度今の時点でどう感じるかと、オリジナル本を読んでみたく、
早速キンデル本を注文し、ダウンロードした所です。


現在のウクライナでの戦争の様子と常に重なる思いがしますし、
当時よりももっと悲惨な戦争禍のニュースをTVで眺め、

今ほど戦争についてニュースを追いかけた事が無かったと自覚しており、

かって、身をもって巻き込まれた15歳の少女がとても愛おしい!です。


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posted by shinkai at 01:59Comment(0)・欄外