これを書いている今朝、毎朝7時からのニュースを見つつ延長、
8時前に鎧戸を開けると、ちょうど日の出前の真っ赤、真っ黄に
染まった雲、空が見え、
8時前に鎧戸を開けると、ちょうど日の出前の真っ赤、真っ黄に
染まった雲、空が見え、
急いでカメラを取に行き、写し、その後机に来て、明日のブログは
何にしようか、と思いつつ、
何にしようか、と思いつつ、
あれ、そういえば今年の冬至はいつだっけ、とグーグルに尋ねると、
2023年は12月22日と。 つまり今日が冬至と。
ああ、では明日から少しづつ朝が明るくなって行くのね、良かった、
と思いつつ、あれこれブログ用の記事整理をしていると、
と思いつつ、あれこれブログ用の記事整理をしていると、
なんと「冬至: 太陽がカルナック神殿、ハトシェプスト神殿、
カスル・カルン神殿と一致する」というのを偶然に見つけ、
カスル・カルン神殿と一致する」というのを偶然に見つけ、
ああ、では今回は「エジプト神殿と冬至の関係、にしろ」という事ね、
という事で、気持ちが決まったのでしたぁ!
という事で、気持ちが決まったのでしたぁ!
それに、写真がとても素晴らしいので、それも見て頂きたく!
こちらがエジプトのナイル河に沿っての遺跡の地図
記事は、上記のタイトル通りで
Solstizio d’inverno: il sole si allinea ai templi di Karnak, Hatshepsut e Qasr Qarun
なんとサイト名は「古代地中海・mediterraneoantico.it ですと!
Solstizio d’inverno: il sole si allinea ai templi di Karnak, Hatshepsut e Qasr Qarun
なんとサイト名は「古代地中海・mediterraneoantico.it ですと!
では。
我らの半球で、太陽の光の恩恵を最も受けられない日は、慣習的に
12月に設定されている冬至、21日ですが、星の歳差運動により、
天文学的には12月20日か22日に位置します。
12月に設定されている冬至、21日ですが、星の歳差運動により、
天文学的には12月20日か22日に位置します。
つまり冬至は、冬の寒い季節の始まりであり、
と共に太陽の昇りの始まりで、
これ以降は毎日少しづつ我々に光を与えてくれます。
本当に有難い事!!
この為、先史時代から、世界中の、どの時代でも、この日の太陽が
昇る地点を目指し、様々な「作品」が制作されて来たのですね。
昇る地点を目指し、様々な「作品」が制作されて来たのですね。
この重要な天文現象がナイル河の岸辺で見逃される筈が無く、
カナリア諸島天体物理学年休所のファン・ベルモンテ・
Juan Belmonte博士がエジプトの650の寺院を調査した所、
Juan Belmonte博士がエジプトの650の寺院を調査した所、
記念碑や遺跡の殆どが天体の出来事、特に春分と、冬至の日の出、
を祝う様に設計されているのが判明した、と。
を祝う様に設計されているのが判明した、と。
つまり昼夜平分の分点の、春分の日と、一番冬の長い日の
日の出を祝う様に設計していた、というのですね。
やはり人間にとって過ごし易く、作物の育ちやすい良い季節、
冬が終わり、夏に向かう季節を希望を持って迎える、という事かと。
冬が終わり、夏に向かう季節を希望を持って迎える、という事かと。
これは、カルナック神殿・Karnak、ネクタネボ・Nectanebo1世門
から見る、昇る太陽の壮大さ
から見る、昇る太陽の壮大さ
古代エジプトの最も重要な遺跡、記念碑群の1つのカルナックの
アモン大神殿・Amonもこの「規則」の例外でなく、
アモン大神殿・Amonもこの「規則」の例外でなく、
その中心軸は恐らく日の出を歓迎する為に東西方向に向けられていたと。
古代の住民にとってこの天空現象は、毎年の洪水の後にナイル河の
水が引いた後の種まきの季節が始まる瞬間を示しており、
つまり再生の概念を現していたと。
水が引いた後の種まきの季節が始まる瞬間を示しており、
つまり再生の概念を現していたと。
従って古代の天文学者や建築家が、冬至の日の出の太陽が、
主軸に添って進む様に神殿を建てさせた、と考えるのは簡単道理で。
主軸に添って進む様に神殿を建てさせた、と考えるのは簡単道理で。
カルナック神殿の大通りを渡りながら、暫くの間太陽の光が
列柱ホールの高い柱の間を照らし、
列柱ホールの高い柱の間を照らし、
まるで「隠された者・これが彼の名の由来、」のアモンの
神聖な場所を太陽のエネルギーで充電するかの様に、照らします。
太陽はアモン・ラーの西域に20分間並び続け、その後ナイル河対岸の
ハトシェプスト女王葬祭殿(紀元前約1513年/1507年~1458年、
古代で唯一の女帝だった)に到達します。
第18王朝の偉大な統治者も、冬至の間に彼女の寺院の聖域を
一筋の光が照らす様に寺院をちょうせつし、この魔法の瞬間を
祝おうと考えていた様子。
エジプト旅行の時は勿論カルナック神殿も訪問したのですが、
余りに雑然と分からぬままに写真を撮り過ぎ、整理しきらず、
あれこれ後半のご案内は放棄したようで・・!!
今回カルナックの昼間の写真、多分この通りと見つけましたが、
ガイドの説明もほとんど聞かず、撮っており・・。
ガイドの説明もほとんど聞かず、撮っており・・。
多分正面広場からのこの通りの突き当りにある門を指すものと。
いま左手に見える工事のパイプ組み立ての向こうに、左右に別れ、
この下の像があり、
通りの向こうに門が見えますが、どれか区別がつかず・・。
こちらから、shinkaiのブログのご案内に。
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834203.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834203.html
サイト記事に戻り、こちらの、素晴らしい写真をどうぞ!
何世紀も経るうち、カルナックでは当時の日の出の光景が、
特殊効果により、徐々に豊かになって来るのですね。
つまり上にも名の出たネクタネボ1世(‥-紀元362年)は、
冬至の夜明けに太陽が続く道のすぐ上に自分の門を建て、その上で、
昼間の星が右に上る様な、暗示的なイメージを与えた、と。
冬至の夜明けに太陽が続く道のすぐ上に自分の門を建て、その上で、
昼間の星が右に上る様な、暗示的なイメージを与えた、と。
この効果はまさに感動的で!
そして、光を使った建築的な遊び、つまり地平線を現す門と太陽で
「アケート記号・Akhet」を、
「アケート記号・Akhet」を、
または、太陽円盤を載せた2つの山の砂丘を表す、大きな象形文字を
この門の上に配置形成したい、という願望があったとも。
この門の上に配置形成したい、という願望があったとも。
即、文の意味が分かりませんでしたが、 この写真をどうぞ。
門の上の窪みに、昇る太陽が収まり、ほぼ象形文字「アケト」を
形成する、と。
形成する、と。
納得ですね。
これが紀元前のエジプト王が願った野望、権力もあり、
また富裕な年の再生の象徴、として観たかった冬至の太陽。
これが紀元前のエジプト王が願った野望、権力もあり、
また富裕な年の再生の象徴、として観たかった冬至の太陽。
それにしても、凄い写真を撮る方がおられますねぇ!!
お陰様で、遠くの我らも、そうか、こんな風になるんだねぇ、と
かってのエジプトの民よりも、詳しく見る事が出来るのですものね!
かってのエジプトの民よりも、詳しく見る事が出来るのですものね!
で、この現象は現在も非常に待ち望まれており、好奇心旺盛な
人々がこの光景を目撃できる様、
カルナック神殿群は朝の6時に特別に公開されるのだそうで!!
この現象は通常午前6時半頃に始まり、6時40分頃ピークに。
今回の私めの記事は、カルナック神殿での現象を主にして
おりますが、他の土地、神殿での現象も記しておりますので、
好奇心おありの方は、サイトご訪問の上、翻訳でお読みくださいね。
つまりこれらの太陽の配列に関連する現象は、古代エジプト人や
それ以降の人々の深い天文学的、建設的な知識の素晴らしい
証拠にほかならずで、
それ以降の人々の深い天文学的、建設的な知識の素晴らしい
証拠にほかならずで、
古代の人々は、太陽、および星の動きと、地球の周りの
仮想的な動きを完全に認識していたのだと言います。
仮想的な動きを完全に認識していたのだと言います。
そしてエジプト人は、この場合の様に、神の誕生に対応する
特定の天文現象を記録する為に、そして
特定の天文現象を記録する為に、そして
それを祝い、新しい生命エネルギーを呼び、注入する方法として、
天体の動きに関連した神殿を建設したのですね。
天体の動きに関連した神殿を建設したのですね。
と、冬至ではなく、年に2回、春分と秋分の日の出には、
つまり10月と2月の2回、アスワンのアブ・シンデル神殿の奥、
ラムセス2世の像に、太陽の陽が届き、
つまり10月と2月の2回、アスワンのアブ・シンデル神殿の奥、
ラムセス2世の像に、太陽の陽が届き、
この「太陽のキス」を見る為に数百人が神殿入り口に集まるそうで!
あの神殿奥は写真禁止ですが、ちょっとズルし、入り口前の現地人に
撮って貰ったのが、まだ無事に残っているのを確認しましたぁ!
撮って貰ったのが、まだ無事に残っているのを確認しましたぁ!
春分、秋分の日に陽が届く、という印は、イタリアの教会でも結構あり、
即思い出すだけでも、ミラノのドゥオーモ、ボローニャも、
フィレンツェもと。
我ら日本人は、元旦お正月に、どこか太陽の昇るのを
見れる場所に行き、新しい年の幸を願い、祈ります。
新しい太陽の昇りに祈り、願うのは、きっと地球上人類の
共通した姿なのでしょうね。
共通した姿なのでしょうね。
私は夏の間は、朝5時半頃から家の近くを歩きますが、
その途中に良く日の出に出会い、
太陽の昇るのを見、お早うございます!と挨拶出来るのを、
平常の日でもとても気持ちよく感じ、
人間社会が素晴らしく進化しても、こういう体内感覚、時間は
いつになっても、どこの世界でも同じなんだろうな、と、
今回改めて、思い起こした事でした。******
いつになっても、どこの世界でも同じなんだろうな、と、
今回改めて、思い起こした事でした。******
***
写真追加を。
22日朝、日の出を撮ったのも一緒に、と思っていたのを忘れ・・!
遅ればせながら、追加を。
スコミーゴ村 東の空 7時50分
南の空 7時51分
2023年12月22日 冬至の朝 8時2分
8時3分
済みません、冬季はずっと南寄りの、藪の向こうなんで~す!
**
では皆様、どうぞ良いクリスマスをお迎えくださいね!
ブオン・ナターレ!!
あぁん、1人ズルしとるぅ! うん、もう。
ならば2023年度のサン・ピエトロ広場をば、 皆様 ブオン・ナターレ!!
*****
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