東大寺開祖の良弁僧正の御遠忌法要、そして大仏殿内部と
様子をご覧頂きましたが、
その後東大寺の東、小高い丘の上にある二月堂に。
様子をご覧頂きましたが、
その後東大寺の東、小高い丘の上にある二月堂に。
この写真は2日目の午後、良いお天気で晴れ渡った午後
もう一度二月堂に行った時のもの。
もう一度二月堂に行った時のもの。

右の鏡池の真ん中に設えられた舞台では、前日午後、
かなりの雨の中で「能」が演じられており、
かなりの雨の中で「能」が演じられており、

演者も奏者もまるで揺るがず、能の事はまるで知らずとも
雨の下での奉納には感嘆しましたが、
雨の下での奉納には感嘆しましたが、
ちょうど終わる間際で、最後ゆるゆると、背後の幕の中に
去って行かれ、奏者も後を追い、こちらもホッと・・。
去って行かれ、奏者も後を追い、こちらもホッと・・。
二月堂行きには、東大寺中門前から続く緩やかな坂道を
真っすぐ、でも行けますが、
こちらの地図をどうぞ。

ちょうど大仏殿の建物の東側辺りに「猫段」と呼ばれる石段があり、
はい、途中からかなり急な石段、古いせいか歩きにくい石段で、

「猫段」と呼ばれるのは、昔は「猫坂」と呼ばれた事もあるそう。
途中に山猫たちが住んでいたとかで、
雨の時にでも滑って転ぶと「猫」になった、という言い伝えから
「猫段」と呼ばれるようになったとか・・。
途中に山猫たちが住んでいたとかで、
雨の時にでも滑って転ぶと「猫」になった、という言い伝えから
「猫段」と呼ばれるようになったとか・・。
上から石段と東大寺を眺めた所。

ほら、石段の石が同じ大きさの揃った石ではなく、一応きちんと
敷かれてはいるものの、歩きにくい印象を。
敷かれてはいるものの、歩きにくい印象を。
でも、こうして時に眺める東大寺の見事さ、美しさ!!
猫段を上がって来ると、この広場に「奈良太郎」とも呼ばれる
東大寺の「鐘楼」、鎌倉時代の1207~11に再建があり、
東大寺の「鐘楼」、鎌倉時代の1207~11に再建があり、

重さ26,3トンもある国宝の梵鐘は東大寺創建当初のもので、
鐘声の振幅が非常に長く、日本三名鍾の1つなんだそう!
鐘声の振幅が非常に長く、日本三名鍾の1つなんだそう!
現在でも毎日、修二会・お水取り、の時期を除き毎日20時に
撞かれているそうで、(時間は変更あり)近くでも聴けるそう。
撞かれているそうで、(時間は変更あり)近くでも聴けるそう。
はぁ、大体いつも自分の目的に直行するshinkaiめは、この鐘楼、
大鐘も見たのみで、こうしてブログに書くのに改めて読むと、
あれま、と思う事ばかり。 またチャンスがあったら、と慰め、はい。
大鐘も見たのみで、こうしてブログに書くのに改めて読むと、
あれま、と思う事ばかり。 またチャンスがあったら、と慰め、はい。
ここから地図で再度お確かめを。
鐘楼の背後に回ると、鉄柵の付いた狭い石段があり、そこを下ります。
鐘楼の背後に回ると、鉄柵の付いた狭い石段があり、そこを下ります。
下った所はちょうど窪地のせいか、左側はこんな風にシダの葉で埋まり、

右側は小さな池に。 初回にはこの池に白鷺がおり、
大きな亀さんが生息している様子も。
大きな亀さんが生息している様子も。

で、池の向こう側に、こんな由緒正し気な大きな建物。


立札には、重要文化財 大湯屋 東西8間 南北5間

奈良時代の創建 温室あるいは大湯屋・おゆやともいう。
治承4年(1180)の兵火で罹災 建久8年俊乗上人再建
応永15年惣深上人修理を加え 昭和12年解体修理を行う
内部に鉄湯船あり 中古の洗浴の貴重な遺構である、と。
東大寺のサイトの説明によると、
東西に長い建物の内部を3区分し、前面を湯室の前室、
中央が浴室で、風呂屋形を造り、
東西に長い建物の内部を3区分し、前面を湯室の前室、
中央が浴室で、風呂屋形を造り、
その中に重源の命で鋳物師の草部是助・くさべこれすけ、が
建久8年(1197)に造った大きな鉄製の湯船(重要文化財)
が据えられている。
後面は土間で窯場、となっている。 往時は風呂屋形の中に
簀の子を敷き掛け湯したとされる中世の浴室の様子を伝える
貴重な遺構である。
簀の子を敷き掛け湯したとされる中世の浴室の様子を伝える
貴重な遺構である。
(非公開)とあり、どんなか見たいものの諦めていたのが、
2017.7.1に特別公開されたという写真と記事も見つかり、
風呂屋形なるものの形も分かる、素敵な写真!

鉄湯船・てつゆぶね なるものは、口径232cm、高さ76cm。
別の窯で温めた湯を樋を使って鉄湯船に注ぎ、湯船に浸からず、
掛け湯や蒸気での入浴方法で、
一見お釜にも見えるものの、中央に湯を抜くための孔16cmが
開いているそうで。
開いているそうで。
つまり儀式前の僧侶たちが身を清める為に使った、掛け湯、と
考えるのが正しい様子。
で、前を通りすぎ、

写真手前小さな三角形に道が分かれ、そこに地蔵様と呼ばれる
小さな石の形が幾つかありますが、撮っておらず、
shinkaiの関心はもっぱら御湯屋の建物に続く素朴な土塀に。
まず最初の建物角の水路造りに、こんな風に瓦が使われており、

東大寺の再建などでの余った瓦の利用、というのも読みましたが、
成程なぁ、少し大きめの古い瓦かも、と。
如何にも素朴で頑丈な土壁が長く続き。 一番下は石が詰まれ、
大きな丸石も嵌め込まれたり、修理の後も。
大きな丸石も嵌め込まれたり、修理の後も。


道と行き当たり、角を回り込むと、こんな風に稲田があり、結構広く、


単純に、わぁ、こんな所に田んぼがある!と感嘆したのですが、
説明にはここは「二月堂供田・くでん」と呼ばれる田んぼで、
お水取りの行事で使われるお供えの餅などを作る餅米を
栽培しているのだそうで!
お水取りの行事で使われるお供えの餅などを作る餅米を
栽培しているのだそうで!
そういえば、しっかり鳥の被害を防ぐ為の網がかかっており、
結構広いですが、これも検索で知ったのは、1反だろう、との事。
はぁ、1反、と言われても一体どの位の取れ高になるの?と
再び検索すると、気候、品種、栽培法によるものの、
再び検索すると、気候、品種、栽培法によるものの、
1反・約990平米で、600~800kgのお米、およそ30~40俵、
に相当する、と分かり、
に相当する、と分かり、
ははぁ、ではお供えには多分十分な取れ高で、お仕えの僧侶方、
お参りの善男善女のお口にも、と、思った事でした、ははは。
お参りの善男善女のお口にも、と、思った事でした、ははは。
ついでに、先ほど土塀に見えた茶色の板の門は、田んぼへの通用口と。
東大寺のサイトの写真は、こんなに美しい田植えの後の様子が。

そしてこの道が、「奈良に寄って・・」と考えた時からshinkaiの
頭の中にドカッと座り込んだ、奈良、二月堂裏参道。
頭の中にドカッと座り込んだ、奈良、二月堂裏参道。


手前右に見えるのは宝珠院。 何とも素敵な道でしょう?!
この道は、逆向きにずっと西に続き、東大寺の裏、北側を通り、
正倉院の前も通るので、次回のチャンスには。
正倉院の前も通るので、次回のチャンスには。
少し先から振り返るとこんな様子で、緩やかな坂道が続きます。

上の写真にも見える、多分古い瓦を入れ込んだろう、土塀。

そして道は、こんな風に二股に別れ、右は二月堂に、

そして左奥にはお寺関係か、はたまた民家がある様子で、時たま
足取り軽く通って行かれる方も。
足取り軽く通って行かれる方も。
右の道に入り込み、振り返る別れ辻。

左に見える門は中性院、見事な土塀が続き、何段かに別れての
石段を辿る一番奥に二月堂が。
石段を辿る一番奥に二月堂が。

中性院。 洒落た、というか洒脱な筆跡で。

門の鬼瓦と、丸瓦の、対火災の渦巻き紋。

門の中を覗くと、根の残るたくさんの鉢、そして見事な藍の鉢。

分かれ道の角から続く、左の白壁の様子。

こちら側に続くお家の前の柵、門には、それぞれ面白い飾りがあり、
この木彫の小さな像も面白く眺めましたが、

も少し上の素敵なお家の屋根の上には、

こんな、女性像が横下を向いて、あっかんベー、をしているのかな、
という様なのも、ははは。
という様なのも、ははは。

ね、こんな坂道は、石段を上がる毎に期待が高まる気がしません?!

ああ、もう着いた。 二月堂!


二月堂の南隣が3月堂ですが、いつもチラッと見るだけで・・!

次回は2月堂に参内を。
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