・ ポーランド・クラコフ イーグル薬局、シンドラーの工場、アルプス越え      そして、ブログのお休みを

今月末から開催の、大阪での二人展のお知らせを、トップに。
会場にてお目に掛かれるのを、楽しみにしております!


7月25日から30日迄 大阪の igu_m_art・イグエムアートで、
広島からの絵の友人ミノ ヨシコさんと2人展を開催させて頂きます。
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2人が、わぁお、素敵!と喜んだDMも出来、お互いの作品傾向が違う、
面白い二人展になるかも、という空気ですが、

さて、どの様な会場となりますか、
どうぞお時間を取ってお出かけ下さる様、よろしくお願い申し上げます



*****

先回に続き、1年前の6月に訪問したポーランドはクラコフ
ナチスの残した残虐な痕跡を訪ねた様子の2回め、

ユダヤ人ゲットーの中に唯一残り、貧しい人々、ゲットーからの
逃亡者も援けた、現在は博物館のイーグル薬局、

映画「シンドラーのリスト」の舞台となったオスカー・シンドラーの
エナメル工場、現在は「戦時下のクラコフ博物館」を。

そして最後はイタリアに戻る飛行機からの、アルプス越えの
様子をご覧頂きますね。


私にとってのこの旅は、中学1年以来の長い願望、というのも、
当時担任が英語の先生だった事から、TIME誌だったかに載った
アウシュヴィッツ、そして「アンネの日記」について聞かせてくれ、

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それ以来の何十年にも渡る、ずっと心の奥底で願っていた念願が、
ちょうど旅行を計画していると教えてくれた友人のお蔭で叶った訳で、
本当に有り難いチャンスを頂けたのでした。

戦後の長い時を経て見たアウシュヴィッツ・ビルケナウは、
どこか整理され過ぎた感じがしたのでしたが、

それでも今年春に見た映画「関心領域」には、収容所長の
ルドルフ・ヘス夫婦の在り方に、ああ、そういう感じだったのか、と
思った程度で、

振り返ってみて、長い時が過ぎたアウシュビッツ関係跡の痕跡を、
やはり見ていたからだろうと思った事でした。

そんなこんなで、1年後に漸く纏められた簡潔なご案内となりますが、
どうぞご覧下さる様、お願い致します。


先回最後にちょっと書きました、クラクフのゲットーの中に位置した
イーグル薬局」の写真を少し。

タデウシュ・パンキェヴィッチ・Tadeusz Pankiewicz、右端の方。

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実際の薬局の後をそのまま博物館に保管しており、



場所は写真の「英雄広場」の南西奥で、この広場は「ゲットー消滅」
に至る1942年から43年にたくさんのユダヤ人が殺害された広場で、
見える椅子の彫刻は、殺害されたユダヤ人に放置された、シンボルと。

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この道角の建物角で、

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入り口を入るとこの様に。 整然と薬瓶が並び、見えるポスターにも
時代を感じます。

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奥に入ると、こんな感じの調合室や、

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様々な写真展示が下がっており、

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寝室が一番奥角だったと。

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なんとなしアール・ヌーヴォー風の装飾の洗面器があり、

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こういう場面では珍しい犬の写真ですが、
ゲットー清算後にタデウシュ・パンキェヴィチに引き取られた犬
という説明が横にあり、

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もう1枚の説明には、
飼い主に見捨てられた彼らは、一日中その地域を歩き回り、食べ物を
探した。何か食べるものを見つけると、彼らは元の場所に戻ってきた」
[...]
夕方になると、一匹の犬がひっきりなしに薬局に来て、しばらくすると
友人を夕食に連れてきた。

とあるので、飼い主に残された犬の一匹だったのでしょう。
拾って貰えて良かったね!



そして先回のプワシュフ強制労働収容所を短時間ながら見て回った後
訪問した「オスカー・シンドラーのエナメル工場跡」。

現在は「クラコフ戦時下の博物館」となっており、
円柱形の向こうが博物館入り口で、右の広い門がかっての工場入り口と。

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見える多数の写真は、きっとこの工場で働いていたユダヤ人達と。



クラコフの戦時下、つまりナチス占領下の街の様子全般の展示であり、
映画の中で見るのとはまた別の印象の、鉤十字の旗

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ポーランドがナチス・ドイツの元に下ったのは、1939年9月12日。

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そして東半分を占領したのは、密約によって9月17日にソ連軍が。

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帝国クラクフ総督として就任したのがハンス・フランクで、
大のユダヤ人嫌い。
11月7日に到着し、城への儀式訪問、厳粛な式典、と。

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塔の上にも「鉤十字」が翻り、

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ちょっと驚いたのですが、こんな小さな戦車も当時あったのですね。

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建物の床自体が煉瓦敷になっており、中にこんな市電も!
暗い照明で、それだけでも少し陰鬱な印象で!!

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長靴で闊歩するドイツ兵。  左上に見える上の欄の写真真ん中に、
ユダヤ人の長くしたもみあげを切りとる兵士の姿が。

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かと思うと、風景スケッチのドイツ兵もおり。

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クラコフ駅の看板 と、

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こちら、手で回してみる時刻表。 どこかで似た様な物を見たっけ・・。

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市民達の残された写真。 圧倒的に結婚式、そして平和な時!

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これは見学した、ポモルスカ通りにあるゲシュタポ博物館の一室で、

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壁に見える汚れはきっと血と思い、係員に尋ねましたら、
分からない、と。



写真奥に見える扉によく似た扉が、こちらの博物館の地下だったかに
あり、下って行くとこの扉で、覗ける様になっているのですが、

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こういうのは、怖がりshinkaiの得意ではなく、到底覗けず退散。



ユダヤ人かどうか、一般のポーランド人にも大変辛い時だったろうと
思われる写真が何枚もあり、

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この2人はきっと両親が亡くなっての、路傍生活だろうと。

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この博物館で、いや他も含めて、一番私めに強烈だった1枚です。
この小さな男の子、どこに向かっているの?!  何度も思い出しては・・。

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この3枚はクラクフ・ゲットーの3か所の門で、上のイーグル薬局も
主人以外は通いだったので、許可証を持ち出入りを。

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で、見える様に市電が走っていたのが、ゲットーが出来て後、
乗客が窓から食料品をゲットーに投げ込んだのだそうで。 
で、即、線路側の窓は全て煉瓦で塞がれたと。


この写真は、ゲットーが徐々に削除され、プワショフの強制収容所に
ユダヤ人が送られた時に、持ち物が道路に散らばった様子。 

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先日DVDの「シンドラーのリスト」を再見していましたら、
ユダヤ人をアウシュヴィッツに送る時など、駅で安心させる為に、
鞄に名前と住所を書くように。後で届けるから。と書かせ、
発車した後、即鞄を開け没収、だったのですね。



シンドラーの工場開き、でしょうか。

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建物2階の多分シンドラーの事務室があったのだろうと思う部屋の
一郭に、工場で作っていた製品が見れる様に展示が。

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彼の机があり、タイプ・ライター、電話なども。

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馬が好きだったという彼の写真も。 右上は?

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入り口に戻り、シンドラーの写真と、記されている言葉は、

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誰かを救える限り、人生には意味がある   ーシンドラー
一人の命を救う者は全世界を救う   ーこれは映画の最後にも出ましたね。



シンドラーの工場から南に下った、ゲットーの一番南端にあたる位置に、
唯一残ったゲットーの壁がある、というので、見に行きました。

高さ3m、というのですが、傍で見るとそう高くもなさそうでしたが、
こうして人の身長と比べると、やはり3mあるなぁ、と。

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半円が上に見えるのは、ユダヤ人のお墓の形を模しているものと。



碑文。
   
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ここで彼らは生き、苦しみ、そしてヒトラーの手先により死にました。
ここから、彼らの死の収容所への最後の道が続く。
ユダヤ人ゲットー  1941 ~ 1943 年

ここに残っているゲットーの壁は、この長さで、
あと一か所、ここから少し先の小学校かの、庭の裏側に少しと。



4日間の旅程を無事終え、空港まで戻り、

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滑走路の明かり。 

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ヨハネ・パオロ2世空港。 また雨が来るような空。

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雲の上に出ると、この青空! そして、飛行機雲。

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南西に飛び、

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ミュンヘンで一服。  そして離陸。

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アルプス越え。 北側の山はまだ白い!

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そして少し茶系となり、

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夕暮れが迫ります。

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アルプスを越え、雲海迄降りて来て、

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クラコフから、 そして78年前から、イタリアに戻りました。

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クラコワ訪問前の オスカー・シンドラーと、映画「シンドラーのリスト」
https://www.italiashiho.site/article/499564686.html

n.1 アウシュヴィッツ強制収容所訪問 ポーランド 世界遺産
https://www.italiashiho.site/archives/20230918-1.html

n.2 アウシュヴィッツ、ビルケナウ絶滅収容所 ポーランド 世界遺産
https://www.italiashiho.site/article/500863140.html

アウシュヴィッツの女性オーケストラ
https://www.italiashiho.site/article/501782208.html

ヘドヴィヒ・ヘンデル、 ルドルフ・ヘス-アウシュヴィッツ収容所長の妻 と、映画「ゾーン・オブ・インタレスト」
https://www.italiashiho.site/article/502056644.html

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「白貂を抱く貴婦人」


こうして、この1年間引きづって来た旅行でもありましたが、
漸くに納得、自分の内に納得した感じも持つようになり、
行けて良かった、と思っています!! 

Hatanoさん、改めて、有難うございました!!


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そして、タイトル通り、この回で一応ブログのお休みを、
9月末迄夏休み、とさせて頂きます。

来春の東京での個展の準備もあり、どうぞお許しを!

宜しくお願い致します。


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